「映画の天使」 メーキングルポ


1999年11月〜2000年4月

98年、99年と天上にめされた日本映画の至宝、カメラマン宮川一夫氏、映画評論家淀川長治氏。
映画を作る達人と、映画を観る達人についてのドキュメンタリー映画撮影の製作ルポを掲載します。

11月21日 神戸へロケハン

30日からの撮影に向けて淀川長治さんが生まれ、育った神戸へ下見。
メリケンパークには、日本で最初に映画が輸入されたことを記念し、
映画発祥のモニュメントが設置されている。
帰りに元町の大丸で開催中の「わが映画人生に悔いなし」淀川長治展を見る。
淀川さんの貴重な写真などは川喜多記念映画財団に寄贈されていることを知る。


11月25日 栗崎監督と会談 

16:00大阪梅田、新阪急ホテルにて、早朝東京から来られた
映画「曽根崎心中」(’81)の監督、栗崎碧さんとお会いする。
生前、監督としてコンビを組まれた宮川さんについて、
たくさんの貴重なお話しをうかがうことができました。メリケンパークのモニュメント
長いキャリアの宮川さんにとっては、唯一の女性監督。
「映画の天使」の中で「曽根崎心中」を使用させて頂くことを快諾。


11月30日 クランク・イン

8:30  日本に映画が初めて輸入されたことを記念した
神戸メリケンパークのモニュメントを撮影。
10:00 淀川長治さんが生まれ、育った湊川・新開地、
      そこは、劇場・映画館が建ち並ぶ興行のメッカだった。
      昭和の始めからこの通りで帽子屋さんを営むおばあちゃんに取材。
      彼女はかつて賑わった芝居小屋、映画館の名前を詳しく覚えられていた。



万願寺・溝口健二監督の墓 13:00 京都、岡崎の満願寺へ
      1956年に亡くなった溝口健二のお墓を撮影。
      右側の銭をかたどった記念碑は、溝口が最晩年企画し、
      製作を果たせなかった「大阪物語」主演・中村雁治郎の献灯。
      彼が演じるはずだった役名が刻印されている。
      また墓碑の側面には、当時大映の社長・永田雅一による
      <世界的名監督>なる文字が彫られている。
      溝口を研究する在日フランス人J・P ル・パップ氏が
      白い菊の花束を持参してくれて、スタッフ一同墓前で合掌。
      1960年代来日したJ.L.ゴダールもここに参拝したという。


12月7日 名ライトマン・岡本さんを取 

午前 京都・太秦大映撮影所跡
      午後 照明技師・岡本健一氏インタビュー


岡本健一氏

岡本健一氏は大映京都撮影所で照明技師として活躍され黒澤明監督「羅生門」、溝口健二監督「雨月物語」などで
名キャメラマン宮川一夫さんと多くの偉大な仕事をされた。大映倒産後は大島渚監督「愛のコリーダ」、「愛の亡霊」
新藤兼人監督の作品、コマーシャル撮影などにつかれた。現在は引退され、京都北野天満宮近くに住まれている。
インタビューは1時間以上行われ、「雨月物語」の名場面・朽木屋敷に源十郎(森雅之)が入ってゆき、夜になって
蝋燭に火が灯されるとともに、屋敷全体が浮かび上がり、亡霊である若狭(京マチ子)が登場するくだりを聞いた。
この映画史に永遠に記憶されるべきシーンについては、「十のうち八割がた出来た仕事」!だったと回想された。

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12月14日 編集開始

スタジオ・デルタ階上の部屋にフィルム編集室を作る。
大阪市北区のプラネット映画資料図書室から、シンクロナイザー、シネテープカッターなど編集機材をお借りし、
16oの粗編集を始める。まずはシーンごとにロール分けの作業。

16、17日は東京へ、大映、川喜多記念映画財団などへ資料映像の使用許可を得る交渉を行う。


羅生門 12月18日 「羅生門」のセット 

午前 京都・鴨川の風景
午後 宮川氏宅 遺品撮影

←映画「羅生門」のセットで使われた扁額

スタッフはこの歴史的な遺品に感動し、
注意深く倉庫から運び出し撮影を行った。
右から監修の太田米男(大阪芸大助教授)、宮川次郎さん。
    


12月27日  宮川さんのお宝フィルム発見

映画館シネ・ヌーヴォにて映写機、映写の光線を撮影。
プラネット映画資料図書室の安井氏から、1936年に封切られた宮川一夫さん第4作「一刀流指南」の
フィルム(約10分間の断片)が保存されているとの報告を受ける。
トーキーの喜劇映画で、フィルムはかなり痛んでいるが、まさにお宝もの。「映画の天使」に挿入することを即決。


編集作業 12月30日 編集作業

撮影済みのラッシュ・フィルムを編集。まず画と音をシンクロ(同調)させ、
シーンごとにロール分けをする。左の男性は監督助手の金城くん。→


1月12日 仮編集試写

13:00より南森町の大貴スタジオにて、オールラッシュ
今までのOKフィルムをシナリオ順に編集したものを音付きで試写を行う。
現在大阪で映画のMAができるのは、ここ大貴スタジオぐらいになってしまった。
挿入する「羅生門」、「雨月物語」、「赤線地帯」などのシーンを確認
また、新たな撮影項目として、ムービーカメラの歴史を取り上げることに決定。
京都府立文化博物館でサイレント時代に活躍したバルボという手回し式カメラ、
東映京都撮影所ではミッチェル、三和映材ではパナビジョンというカメラを撮影するため交渉する。

1月28日 京都 文化博物館

サイレント時代に活躍したカメラ・パルボ(フランス製)を撮影する。

タイトル撮影
東映京都撮影所でタイトル撮影

キャメラはサイレント・ミッチェルを使用。
映画の中で使用する字幕20点を撮る。
タイトル撮影室には、「蒲田行進曲」の
キャメラマンや東映の大勢の撮影部が訪れ、
寒さのせいもあって、一升瓶を囲んで酒宴となる。




1月29日 クランク・アップ

大阪・三和映材にてムービーカメラのパナビジョン、アリフレックスを撮る。
これでサイレント時代から現在までの映画カメラの歴史をたどる。
午後は京都へ実景を、大阪のスタジオデルタに戻りスチール写真を撮影。


4月1日 音楽を佐原一哉氏に依頼

佐原一哉さん
「映画の天使」のラスト・エンディング音楽を、
沖縄島唄のネーネ−ズ、河内音頭の桜川唯丸の
キーボードプレイヤー・佐原一哉氏に作曲を依頼、
スタジオ・デルタで音楽のイメージを打ち合わせ。

4月4日のMA録音までに作曲をお願いする。




4月4日 MA 録音

北区南森町の大貴スタジオにてダビングを行う。
現場で収録した音にSE、音楽などをミックス・整音し、
フィルムと同じ長さの1本のシネテープに録音する。
さらにこれを現像所で光学のサウンドネガへリーレコする。

4月14日 初号試写

イマジカにて初号試写を行う。完成。


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