「明るくなるまでこの恋を」
(製作日誌 text by 高岡 茂)



1999年9月上旬  芦屋市の某お好み焼き屋にて初顔合わせ 

脚本、監督/大森一樹
プロデューサー/高岡茂(スタジオ・デルタ)
制作/景山理(シネ・ヌーヴオ)
大森一樹監督

総製作費100万円の劇映画を作るという奇跡のプロジェクトがたちあがる。
大森監督は撮影日数1日でとりあげてみせると不敵に笑った。
シネ・ヌーヴォの景山氏から突然、プロデュースをふられたわたくし(高岡)は、
不安におののきながらも、久しぶりにふつふつと燃えた。これは暴挙である。
しかしこの冷え切った日本映画界において、
低予算などという次元を超えた製作費100万円を、いかに有効に使い、
面白い映画を作れるか?これが今回の製作コンセプトである。
上映日10月29日に向けて、映画が走り出した。



大森一樹プロフィール             
1952年生まれ。自主映画「暗くなるまで待てない!」でデビュー。
その後ATG映画「ヒポクラテスたち」や、斉藤由貴との3部作や、 
「ゴジラ」シリーズ等、現在日本映画界を代表する監督の一人。  
 芦屋市在住。   


9月25日 メインスタッフ ロケハン

撮影/深沢伸行 照明/杉本 崇

大森監督にくどかれ、このプロジェクトに参加する東映京撮の奇特なスタッフが、
大阪市内の撮影予定地にロケーション・ハンティングを行う。
撮影本番日は10月16日夜から朝までにさだめる。
しかしまだ大森監督のシナリオの決定稿はあがっていない。
キャスティングを先行して行う。
撮影機材、録音機材などは大阪市北区のビジュアルアーツ(映画学校)に依頼。
映画学校の生徒さんたちが、はやメーキングビデオの撮影を行う。


9月30日 大森監督のシナリオ第一稿あがる

キャスト
タイトルは「明るくなるまでこの恋を」
オールナイトの映画館の中でくりひろげられるドラマ。
いわゆるグランドホテル方式と呼ばれる映画の王道をゆく脚本。

ユーイチ、リュウ、アサカズ 3名のキャスト決まる。
尼崎のピッコロシアターで演劇を勉強中の若者。



10月1日 南河内万歳一座へ

登場人物の何人かを演じてもらうため、北区の扇町ミュージアムスクエアにある
南河内万歳一座の事務所へ行く。公演準備でお忙しそうなのに、
デスクの奈良さんが快く引き受けてくれる。
仕事仲間の録音部2人がきまる。当日先約されていたロケをキャンセルしての参加。
これで、撮影・照明・録音のメインスタッフが確定した。


10月5日 スタジオ・デルタでミーティング

10月5日スタジオデルタでの大森監督とキャスティング会議。
ある大物作家に出演依頼を試みる。果たして実現するか?



大森組スタッフ 10月11日
メインスタッフ、キャストがロケ現場でリハーサル

ロケ現場は映画館シネヌーヴォ。
左からカメラマンの深沢さん、大森監督、チーフ助監督の石川さん。
本番撮影に向けて綿密な打ち合わせ。
撮影は夜の9時ぐらいから、徹夜で行われる。






南河内万歳一座の役者さんたち
      出演する南河内万歳一座の役者さん →


      左から木村基秀さん、安宅慶太さん、荒谷清水さん、
      それから前田晃男さんの4人が出演。
      南河内万歳一座自身、10月22日から24日まで滋賀県の
      栗東芸術文化開館さきらでの新作公演が迫る中、
      快く出演を引き受けてくれました。







10月14日 東映京都撮影所でオールスタッフ

サングラスの老人役・野口貴史さんの衣裳合わせ。


野口貴史さん



劇中の新聞
劇中に使われる新聞


映画に登場するユーイチ、リュウ、アサカズの若者3人は
銀行のATMを襲撃したあと、
オールナイトの映画館に逃げ込んできた。
盗んだ3500万円はどうなるか!?
助監督の下戸さんが作成した毎朝新聞のトップ記事。





ついに撮影開始・クランク・インのページ


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