新城祭礼能では、シテ、ワキ、囃子方による演能と仕舞などは、「新城能楽社」で、「東三喜多会」は仕舞、狂言は「新城狂言同好会」でと、それぞれの会で勤めていますが、もともとは、ひとつの町内の氏子で構成された(本町)能楽社により奉納されていたものです。
元文元(1736)年、新城城主菅沼家三代目の定用公の家禄相続を祝い、この事により始まった祭礼能を永い歴史の中で奉納を続けてきたものの、盛衰は世の常です。衰退の危機にさらされることもありましたが、先人から受け継いだ能楽殿・能装束の維持活用とともに、現在のような形の奉納となりました。
シテ方: 粟谷明生 (喜多流:東京都) H4年からご指導。(故)菊雄師(人間国宝)のご長男。
高林白牛口ニ・呻ニ(喜多流:京都) 400年近くの歴史を持つ京都喜多流を護持・伝承、高吟会主宰。
笛 方: 鹿取希世 (藤田流:北名古屋市) H16年に能楽初の女性重要無形文化財総合指定保持者
小鼓方: 福井四郎兵衛 (幸清流:名古屋市) H18.5.14啓次郎改め11世を襲名いたしました。
大鼓方: 河村総一郎 (石井流:名古屋市) H18年法政大学催花賞を受賞しました。
太鼓方: 加藤洋輝 (観世流:西尾市) H15年以降、故助川龍夫師から引継ぎ指導。
狂言方: 佐藤友彦・融 (和泉流:名古屋市)ほか
平成11年 新城薪能「船弁慶」
新城能楽社
新城狂言同好会
会員11名。もともとは(本町)能楽社の狂言方として祭礼能を奉納していましたが、狂言の演者が絶えそうになり、上演不能の危機にさらされた際(1952年)、新城狂言同好会を組織して、研鑽を重ね、新城能楽社と同様に後継者育成と祭礼能奉納などの伝統保持に努め、今日に至っています。
明治13(1880)年には、本町能楽社としての基礎が定まり、毎年奉納の完全復興がなされたといわれています。
現在、会員14名でシテ方、ワキ方、囃子方(笛、小鼓、大鼓、太鼓)を擁し、後継者育成講座として女性を中心とした喜多流新城明生会(10名)や子どもの稽古を通し、富永神社祭礼能、新城薪能に参加しています。
ご指導をいただいている先生方(敬称略)
しんしろ のうがくしゃ
しんしろ きょうげんどうこうかい
新城能楽社
新城能楽社及び新城狂言同好会ともに、新城能楽社中として愛知県からご支援をいただき後継者育成に努めております。