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book「ニュースキャスター」 筑紫哲也
ニュースキャスター 最近、本を読む暇と心の余裕がなく、でもほしい本は買っておくものだから、読んでいない本がたまりにたまってきた。さて、どれから読んだものか?と思案しながら、「やっぱり面白そうで、読みやすそうな」本から手をつけることにした。
 この本は、もはや知らない人の方が少ないのではないかと思われる筑紫さんの本だ。マスメディアの内側からみた世界にも興味があったし、「ニュースキャスター」と「ニュースを読むアナウンサー」の違いは?なんて疑問を持ちながら読むと、この本はやはり面白かった。
 新聞・雑誌の記者・編集者からテレビのニュース報道の世界に迷いながら飛び込んだ筑紫さんの苦悩、いろいろな人との出会い、何に「こだわって」作っているのかなど、筑紫さんの体験や考え、そしてその人間性までもうかがい知ることができる。
 実際にそこで仕事をしてみないと、良きも悪しきも本当は分からないものだろうとは思うが、その時代の有名な人やトップリーダーといわれる人に会って、話が聞けるということだけでも、とても羨ましいし、私にはしたくてもできないことである。
 この本の中からまず、クリントン前アメリカ大統領が来日し、TBSが行った「市民対話集会」の舞台裏を表した『大統領がやってきた』から一部引用する。


(前略)・・私が全体を通して最も印象深く、好きだったのはクリントンが教育について語った箇所だった。
教育にとって一番大切なのは、子どもたちがこの世界には自分のことを大事だと気にかけているものがひとりでも存在しているのだと信じられることだ
 かならずしもそうではない少年時代を送ったと思われる大統領の個人的実感がにじみ出ているように私は聞こえた。
(P120より一部抜粋)

 もうひとつ、読み始めて「これは・・ただものではない」と感じ、まず最初のページから深く読まされた部分を、ページの順序を逆にして抜粋する。
(2003年2月)


・・・特別に用意したのは帰国の途中、麻薬の供給源コロンビアに立ち寄って作ったレポートだけだった。特別な仕掛けの代りに、後半の対談コーナーにたけしさんの生出演を求めた。この「危険な試み」にスタッフたちは息を詰めながら進行を見守っていた。が、大失敗をやってしまったのは彼ではなく、私のほうだった。
 コロンビア・レポートがあったせいで話はアメリカの麻薬問題に及び、アメリカは供給源の撲滅に躍起になっているが、自分の国に強い需要があるからこそ供給がある。もしそれを断ったら麻薬の値段は高騰し、薬代稼ぎのための犯罪は激増するだろう−そういう話の展開になっていった時に私の問題発言が飛び出した。
 そうなったら、ニューヨークの五番街(高級で知られる通り)も「屠殺場」となるだろう・・。「like a slaugterhouse」という英語の表現があり、帰国したばかりの私はうっかり、それを転用してしまったのだが、自分が偏見の持主だとは思っていなかった。だが、この用法は「残酷な殺し合いの場」としてこの語を使っており、食肉処理とそれに従事する人たちをそれと同じだと見なす大きな過ちである。抗議を受けて私は言った。
 「私が採れる方法は二つあると思う。ひとつはひたすら謝って嵐が過ぎるのを待つ。もうひとつはなぜ私が誤ったかをめぐって徹底的に議論をすることだ」。後者を選ぶことに合意ができてから約一年、月一回のぺースで私は品川に通った。「実感」を持って問題を理解するために私にとっては必要な過程だったのだが、時には仏教、時にはペットの問題まで持ち出す私のしつこさに呆れていたと相手のひとりは後になって語った。
(P23〜24より抜粋)


ある会合
 この10年余、東京の町の中でもっとも変貌が激しいのは品川−汐留の辺りである。
この変化を私が年々、この目で確かめ続けているのは、年に最低一回はこの地を訪れている
からだ。しかし、その行先は12年前とさして変わっていない建物である。東京食肉市場。都民の旺盛な胃袋に対応して食肉をまかなっている場所である。そこで働いている、今では旧知の人たちと会うのが目的だ。
 向こうからもわが方に訪ねてきたり、相談事があったりするから、会うのは年に1回ではないが、労組の「旗開き」などの時はどらが出向く。久しぶりに見る懐かしい顔もあり、私の目当てはそこで供される「新鮮な」もつ鍋や珍品の「はらみ」だと勘違いされることもあるが、本当は彼らと会うのが楽しみなのである。
 しかし、彼らの置かれている環境は決して楽しい一方ではない。むしろ逆である。
 私たちの国には長くて古い被差別部落の歴史がある。この、いわれなき差別と偏見に加えて、宗教などさまざまな背景があってか、動物を食料に処理することに心理的な抵抗や禁忌があった。人のいやがる、そういう仕事に従事する(せざるをえない)人たちが、被差別の人たちに多かったから、差別は重層的となった。
 今では大っぴらに肉食をたしなみ、血のしたたるステーキや焼肉を好む人たちが、それを供する側に偏見を抱くというのは身勝手もいいところである。だが、それは存在する。
 品川からそうは遠くない築地には、こちらは都民の魚類への欲求を満たす魚市場があるが、そこに働く人たちに対しては、このような偏見はない。
 また、大都市、特に関東では部落差別はかなり沈静化し、状況は改善されているという声もあるが、実際には表面化しないだけの部分も少なくない。
 そんななかで、「部落」と「食肉処理」という二重の差別が凝縮しているのがこの職場である。さまざまな局面での差別のなかでもっともきびしい場所にいるのが彼らなのである。
 もうひとつ、あまり知られていない大事なことを付け加えれば、にもかかわらず彼らは高い水準を持つ技能者たちである。これは、この国の消費者が世界でもっとも商品に対して繊細で要求が高い消費者であることと関係している。拙劣または乱暴な処理をした食肉など、だれも買わないか、安値でしか売れないのである。
 私は処理過程の始めから終わりまで、そしてそれがセリ売りされるところまで現場を見せてもらったが、その迅速さと技術の確かさは見事という他なかった。 にもかかわらず、素人の私にはわからない繊細な点で、セリ値の幅の開きは驚くほどであった。

 私はそういうことの全てを初めから知っていたわけではない。むしろ無知であった。いや無知こそが今日に続く彼らとの交友関係の始まりだった。
 私は今では彼らに対して同情を超えた共感を抱いており、その意味では「味方」と言えるかもしれないが、出会いの初めは「敵」であった。しかも、この敵対関係は、私が、『筑紫哲也NEWS23』という月曜から金曜までのニュース番組を始めたその初日に始まったのである。
 番組としてはいわば船出のその日に、いきなり座礁したようなものだが、その顛末は後で詳しく述べるとして・・(後略)
(P10〜12より抜粋)

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