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book「戦後思想を考える」 日高六郎
戦後思想を考える 私が就職して1年目の年に買って読んだ ように思う。日高六郎さんの文章については,卒業論文を書くときに図書室で見つけて,「これだ!」と思って引用したのを覚えていたのだ。
 下の文は,この本の中の「水俣から考えること」という章の中から抜粋した。十数年経った今でもこの部分のかけらが,脳の中に残っていたのかも知れない。 そう思いたい。
 本棚の奥から見つけたこの本,全文を読みかえすことのできる時間はいつとれるだろう。


 そこでさっきの明水園で働いている子どもの問題になります。私はこう思うのです。いま一 般に給与は、能力に応じて支払うということになっている。しかしそのときに言われる能力というのにはインチキがある。全部とは言わないけれども、かなりイ ンチキですね。これは社会学的にもそうなんですけれど、課長の能力があるから課長になるんじゃなく、課長になったから課長の能力が発揮できるということが 大いにあるのです。いま教育委員会は,能力があるからこの人は校長にしましょう、教頭にしましょう、ということになっている。しかしそういうときにいう能 力というものには、疑わしいことがありうると私は思う。

 給与体系細分化の根拠は、能力に応じてということです。社会主義社会になってもそういうことになっていますね。ところが、物差しをひと つ転換しますと、まったくちがうことになる。Aさんは80のことができる。Bさんは60しかできない。そこでAさんには8万円を支払い、Bさんは6六万円 しか支払わないということが平等という考えがある。しかし、二人とも汗水たらして、一生懸命働いたということでは同じだから、双方に同じ8万円なり7万円 支払ってていいじゃないか。そういう哲学がありうる。そして前の平等観があとの平等観よりも絶対に正しいという主張は成り立ちません。それはちがった物差 しなのです。

 先日、水俣病センターの人と若い患者さんが、京都の私の家へ来ました。そして泊まっていった。トラックでミカンを長野へ運び、そのかえ り長野からリンゴを運んで帰るので私の住んでいる京都が、ちょうど中継地点みたいな位置なので、そこで一泊していく。その患者さん…、胎児性の患者さんな のですげれども、しっかりした青年です。その人がトラックに乗ってきた。その青年にとっては遠くに出ることははじめての経験でした。もうそれで非常にうれ しいのです。働くということがうれしいのです。しかし彼はやはりからだが弱い。肩の筋肉がないぐらいに、非常にやせているのです。だから、実際に重たいリ ンゴ箱やミカン箱を上 げ降ろしするというのは、とてもできません。しかし彼も一生懸命働いています。そこでその三人にたいする報酬をどうするか。同じ額でも、いいのじゃないで すか。それで、センターの人も患者さんも不平を言うはずがない。そういう価値観、物差しがありうるわけですね。

 もちろん私は、そういうふうにいますぐ日本が変わるとは、夢にも考えていません。考えませんけれど、基本的にそういう考えかたも成立す るはず。患者さんのの労働とはいったい何かという問題、その労働をいったいどういうふうに評価しなければならないか、という問題です。・・・

(P188〜P191より抜粋)


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