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book「本所深川ふしぎ草紙−『片葉の芦』」 宮部みゆき 
1999年に『理由』で直木賞を受賞した宮部みゆきの作品。その『理由』を近くの本屋で探したが見つからず,とりあえずと思って置いてあった『火車』を買って読んだ。
とりあえずのはずが,この作品ではまってしまった。男性作家の書く推理小説にはない文章?文学の香りがする?1960年生まれは私と同級生!などと思いつつ,他の作品『竜は眠る』,『魔術はささやく』などを片っ端から読んだ。
(『理由』も広島市内の本屋でようやく見つけて読んだ。)
「本所深川ふしぎ草紙」はその一つ。この作品は,深川七不思議を題材に下町人情の世界を描く七つの短編集である。

下の引用は,その中の『片葉の芦』の一節。殺された鬼とか守銭奴とか言われた近江屋藤兵衛の真の姿とは?お園の語る「恵むことと助けることは違う」という意味は?
終わりまで読むと最初に感じた登場人物の印象ががらりと変わる。
短編ながら一文一文が妙に頭に残る作品であった。


近江屋を去るときになって、入れ違いにお美津が帰ってきた。
彦次は、胸の底がどきりとするのを感じた。
おくれ毛一本なく、きちんと結い上げた髪。渋い光沢を放つ着物を着こなし、足袋は雪のように白い。すんなりした手と首筋、ふっくらとした顔は、それよりも まだ白く、透き通っているようにさえ見える。
番頭は丁寧に、お園と彦次を、昔旦那様に恩を受けて、お参りに来て下さった方です、と紹介した。
彦次の名を聞いても、お美津はきれいに整えた眉を動かすこともなかった。
「あっしは昔、お内儀さんがまだ子供だった頃に、食うものに困っているところを助けていただいた者です」
彦次がたまらずにそう言うと、かの女はおっとりと笑みを浮かべた。
「そうでしたか……そういうことなら、たくさんありましたからね。気にしないで下さいまし」
それきり、いんぎんな、通り一ぺんの挨拶を残して、着物の裾をするするとならし、座敷の奥に消えた。

「あっしを覚えていなかったんだ……」
駒止橋のあたりまで戻ってきて、ようやく彦次はそう言えた。お園は黙っていた。
あの、片葉の芦は何だったんだろう。お嬢さんはあのことも忘れていなさるのだろうか。
「なあ、彦次。一ついいことを教えておいてやろう」
茂七が笑った。
「おめえ、源助が、いやに今度のことに詳しいのを妙だとは思わなかったかい」
確かにそう思った。彦次は不審げにうなずいてみせた。
「だろう?それはな、・・・・・・(後略)・・・・・」

(P43〜45より引用)


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