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book「あふれる愛 マザー・テレサ」 沖 守弘
あふれる愛 マザー・テレサ  今年山口に行ったときにサビエル記念聖堂に寄った。ずいぶん前とうってかわり、白亜のきれいな建物に変わっていた。聖堂内に腰掛け、教会のおねえさんが静かに話をするのを聞いていた。聖堂やザビエルの説明などもあったが、わたしはそれよりも少し触れていたマザー・テレサのことを思い出した。聖堂の出入り口付近に黄色の小さい紙がおいてあって、そこにはマザー・テレサの言葉が、2つ書かれていた。
 今回はその一つを引用させていただく。沖 守弘さんの「あふれる愛」という15年ぐらい前に読んだ文庫本もあるので、そこからもう一つの言葉も載せておきたい。
 (本当は読み返そうと思ったのだが、夏の最後にUPしたかったので・・これは半分工事中ということにしておこうかな?)
 彼女(たち)の生き方をできるようには思わない。でも(仏教的にいうと)煩悩多き私が、ときどき彼女や彼女の残したものを思い出すことは、決して無意味なことではないように思う。
(2002年9月)


   <平和を求める祈り>
 主よ、貧困と飢えのうちに生き死ぬ
 世界中の同胞のために働く私たちを
 そのことにふさわしい者にしてください
 私をあなたの平和の道具としてお使いください
 憎しみのあるところに愛を
 争いのあるところに許しを
 分裂のあるところに一致を
 疑いのあるところに信仰を
 誤りのあるところに真理を
 絶望のあるところに希望を
 闇に光を
 悲しみのあるところに喜びを
 もたらすものとしてください
 慰められるよりは慰めることを
 理解されるよりは理解することを
 愛されるよりは愛することを
 私が求めますように
 わたしたちは与えるから受け
 ゆるすからゆるされ
 自分を捨て死に
 永遠の命をいただくのですから 


 ぼくたちはとかく、彼女たちをみると、悲壮感とかある種の翳りといったものを連想するけれど も、それはまちがっている。
 ドリスがいうように、シスターたちは決して悲壮な覚悟で仕事をしているのではない。社会奉仕とか慈善事業をしようとしているのではない。まして、世間の 評判になろうなどとは、まったく思っていない。
 ぼくはマザーのことばを引用する。

 親切で慈しみ深くありなさい
 あなたに出会った人がだれでも
 前よりももっと気持ちよく
 明るくなって帰るようにしなさい
 親切があなたの表情に
 まなざしに、ほほえみに
 温かく声をかけることばにあらわれるように
 子どもにも貧しい人にも
 苦しんでいる孤独な人すべてに
 いつでも喜びにあふれた笑顔をむけなさい
 世話するだけでなく
 あなたの心をあたえなさい

 彼女たちが貧しい人を愛する理由のひとつに、貧しい者は金持ちよりもよく笑うからとして、マザーとその姉妹たちのいるところにはどこでも、笑いがあふれ ている。
(「あふれる愛」P110〜111より抜粋)

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