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![]() 今回はその一つを引用させていただく。沖 守弘さんの「あふれる愛」という15年ぐらい前に読んだ文庫本もあるので、そこからもう一つの言葉も載せておきたい。 (本当は読み返そうと思ったのだが、夏の最後にUPしたかったので・・これは半分工事中ということにしておこうかな?) 彼女(たち)の生き方をできるようには思わない。でも(仏教的にいうと)煩悩多き私が、ときどき彼女や彼女の残したものを思い出すことは、決して無意味なことではないように思う。 (2002年9月) |
<平和を求める祈り> 主よ、貧困と飢えのうちに生き死ぬ 世界中の同胞のために働く私たちを そのことにふさわしい者にしてください 私をあなたの平和の道具としてお使いください 憎しみのあるところに愛を 争いのあるところに許しを 分裂のあるところに一致を 疑いのあるところに信仰を 誤りのあるところに真理を 絶望のあるところに希望を 闇に光を 悲しみのあるところに喜びを もたらすものとしてください 慰められるよりは慰めることを 理解されるよりは理解することを 愛されるよりは愛することを 私が求めますように わたしたちは与えるから受け ゆるすからゆるされ 自分を捨て死に 永遠の命をいただくのですから |
ぼくたちはとかく、彼女たちをみると、悲壮感とかある種の翳りといったものを連想するけれど
も、それはまちがっている。 ドリスがいうように、シスターたちは決して悲壮な覚悟で仕事をしているのではない。社会奉仕とか慈善事業をしようとしているのではない。まして、世間の 評判になろうなどとは、まったく思っていない。 ぼくはマザーのことばを引用する。 親切で慈しみ深くありなさい あなたに出会った人がだれでも 前よりももっと気持ちよく 明るくなって帰るようにしなさい 親切があなたの表情に まなざしに、ほほえみに 温かく声をかけることばにあらわれるように 子どもにも貧しい人にも 苦しんでいる孤独な人すべてに いつでも喜びにあふれた笑顔をむけなさい 世話するだけでなく あなたの心をあたえなさい 彼女たちが貧しい人を愛する理由のひとつに、貧しい者は金持ちよりもよく笑うからとして、マザーとその姉妹たちのいるところにはどこでも、笑いがあふれ ている。 (「あふれる愛」P110〜111より抜粋) |