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book「声に出して読みたい日本語」  齋藤 孝
 日曜日によく行くスーパーマーケットの中にある本屋に,10冊ぐらい平積みされていた。「本当にこんな本が売れるんかいな?」と思いつつ,手にとってぱらぱらとめくると,「お〜!これも知っている。あれも知ってる」と思うほど,私たち(以上の世代?)にはポピュラーな文章や詩などの日本語が集められている。何か懐かしく,(これなら全頁絶対に読める!)と思いながら買った。
 家に帰って読み始めると,学生時代に読んだ本や国語の教科書に載ってあった(と思う)有名な文がたくさんあって,うれしくなってしまった。本当に見るだけではもの足りず「声に出して」読んでみた。思えば,日本語にはこんなにも美しく,力強く,リズム,テンポにすぐれたものがあったのだ。
 古代〜現代にいたるまで,鍛え抜かれて生き残った文をうんちくあふれる短い解説つきで楽しませてくれる本である。この中には小説や詩,俳句,和歌だけでなく,高校の古文や漢文に載っていたようなものや童謡などの歌詞あり,琉球やアイヌのうたあり,落語や狂言に仏教の本そして早口言葉など,「え!こんなものまである!」と驚くほど分野を問わず載せてある。
 部屋にこの本を(いつののように)投げていると,学校から帰ってきた息子2人が,「あ!この本知ってる。先生が朝会で『売れてる本だよ。』と紹介してくれたよ。『生麦生米生卵』なんかもあるんじゃろ。」という。「本当に売れてる本なのか」と思い調べると,確かに売れているようだ。
 この日の夜家族で,「隣の客はよく柿食う客だ」,「蛙ぴょこぴょこ三ぴょこぴょこ合わせてぴょこぴょこ六ぴょこぴょこ」などと早口言葉を言い合った。私はなぜか,舌がもつれて一番うまく言えない。
 「暗誦・朗誦文化の復活」をねらって,編まれたこの本は確かに声に出して読むことで,「身体に活力」を与え,「心の力」につながってくるように思う。気楽に楽しみながら身につく文章のテキストとして家に転がしてい置くのも悪くはないと思う。(2001年12月)


『大漁』  金子みすゞ
朝焼け小焼けだ
大漁だ
大羽鰮(いわし)の
大漁だ。

浜は祭りの
ようだけれど
海のなかでは
何万の
鰮(いわし)のとむらい
するだろう。

(「声に出して読みたい日本語」−草思社−P96〜P97より抜粋)

『浮世風呂』 式亭三馬
 熟(つらつら)鑑(かんが)みるに,銭湯ほど捷徑(ちかみち)の教諭(おしえ)なるはなし。
 其の故(ゆえ)如何(いかん)となれば,賢愚邪正貧福貴賤,湯を浴びんとて裸形(はだか)になるは,天地自然の道理,釈迦も孔子も於三も権助も,生まれ たままの容(すがた)にて,惜しいも欲しいも西の海,さらりと無欲の形なり。よく垢と煩悩と洗い清めて,浮湯(おかゆ)を浴びれば,旦那さまも折助も,孰 (どれ)が孰(どれ)やら一般裸体(おなじはだかみ)。是乃(これすなわ)ち生まれたときの産湯から死んだときの葬灌(ゆかん)にて,暮(ゆうべ)に紅顔 の酔客(なまえい)も,朝湯に醒的(しらふ)となるが如く,生死(しょうじ)一重が嗚呼(ああ)ままならぬ哉。
 されば,仏嫌いの老人(としより)も,風呂へ入れば吾(われ)知らず念仏をもうし,色好みの壮夫(わかいもの)も裸になれば前をおさえて己(おのれ)か ら恥を知り,猛き武士(もののふ)の頸(あたま)から湯をかけられても,人込みじゃと堪忍をまもり,目に見えぬ鬼神を隻腕(かたうで)に雕(えり)たる侠 客(ちゅうつぱら)も,御免なさいと石榴口(ざくろぐち)に屈(かが)むは,銭湯の徳ならずや。心ある人私あれども,心なき湯に私なし。譬(たと)へば, 人密かに湯の中にて撤屁(おなら)をすれば,湯はぶくぶくと鳴りて,忽ち(たちまち)泡を浮かみ出す。

(「声に出して読みたい日本語」−草思社−P82〜P83より抜粋)


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