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book「後世への最大遺物」 内村鑑三
後世への最大遺物  学生の時に何気なく本屋で買って読んだ本である。薄くて読みやすそうで,教科書に載っていた人かな?というので買ったのかも知れない。
 「われわれがこの世の中に遺して逝きたいもの」(遺物)は何かと問うて,金か?事業か?思想か?と考える。そのいずれも遺すに価値のあるものである。しかし,これは誰にでも遺すことのできるものではなく,最大の遺物ではない。と言う。
では,かれの説く最大の遺物とは何なのか?
とても勇気の湧く一冊である。


たびたびこういうような考えは起りませぬか。もし私に家族の関係がなかったならば私にも大事業ができたであろう、あるいはもし私に金があって大学を卒業し 欧米へ行って知識を磨いてきたならば私にも大事業ができたであろう、もし私に良い友人があったならば大事業ができたであろう、こういう考えは人々に実際起る考えであります。

しかれども種々の不幸に打ち勝つことによって大事業というものができる、それが大事業であります。

それゆえにわれわれがこの考えをもってみますと、われわれに邪魔のあるのはもっとも愉快なことであります。邪魔があればあるほどわれわ れの事業ができる。勇ましい生涯と事業を後世に遺すことができる。とにかく反対があればあるほど面白い。

われわれに友達がない、われわれに金がない、われわれに学問がないというのが面白い。われわれが神の恩恵を享け、われわれの信仰によっ てこれらの不足に打ち勝つことができれば、われわれは非常な事業を遺すものである。われわれが熱心をもってこれに勝では勝つほど、後世への遺物が大きくた る。

もし私に金がたくさんあって、地位があって、責任が少くして、それで 大事業ができたところが何でもない。たとい事業は小さくても、これらのすべての反対に打ち勝つことによって、それで後世の人が私によって大いに利益を得る にいたのである。

種々の不都合,種々の反対に打ち勝つことが,われわれの大事業ではないかと思う。それゆえにヤコブのように,われわれの出逢う艱難につ いて我々は感謝すべきではないかと思います。
(p67〜68より引用)


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