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book「地の底の笑い話」 上野 英信
地の底の笑い話 「歌は唖にききやい・・」
わずか4行の詩(諺)。これを上野英信は鹿児島で聞いたという。
私は,福地幸造(兵庫県湊川高校などでご活躍していた国語の先生。) の1970年刊の本で初めて知った。
どうしてもこの諺が載っているという上野英信の「地の底の笑い話」が欲しくて,本屋をかけずり回った。
広島の古本屋でやっと見つけた。絶版になっていた岩波新書だった。
筑豊炭鉱地帯のなかで共にはたらき,生きた上野だからこその,それこそ「地の底」からの文学である。
また,彼だからこそ聞き取ることのできた諺かも知れない。

この「差別語」だらけの諺を,時に思い起こしながら,私は仕事をし,生きようと思う。
人にはそれぞれの生があり,人生がある。
でもまわりを見渡してごらん!忘れられた人がいませんか?彼らや彼女らの人生を見ようとも聞こうとも せず,生きている私はいませんか?
それって,幸せなことなのでしょうか?

book

歌は唖(むご)にききやい

道やめくらにききやい

理屈やつんぼにききやい

丈夫やちゃいいごばっかい


福地幸造の文章から,この諺を解説していただきます。
(前略) 
唖,めくら,つんぼ(現在は使いません!差別語です。:注かっくん) に何を聞けと言うのか。聞いてみた人もいなかったのだった。言語喪失,視覚喪失, 聴覚喪失の者に,言語のことを,みることを,きくことを誰一人として聞いてみたことがなかったのだった。
 だからこそ「丈夫なやっちゃいいこばっかい」とならざるを得なかった。 この国の「丈夫なやっちゃ」の知ったかぶりの,道理は「いいこばっかい」うそばかりにならざるを得ない転落の 必然性があったはずである。しかし,「丈夫なやっちゃ」の側は,自らが「丈夫なやっちゃ」のために, 病めるもの沈殿しつくしている下層の重層する疼痛は,体質的に受けつけぬという健康病 があったのだろう。
 健康であること,「五体完全」であることが,病んでいる者の,その病が分からぬという, どうしようもない断絶がある。・・・・(後略)

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