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本「サンダカンまで−私の生きてきた道」 山崎 朋子
サンダカ
ンまで−私の生きてきた道  日本テレビ系で日曜日の朝放送している、「いつみても波瀾万丈」という番組に山崎朋子さんが 出演していた。食い入るように番組を見た。
 見終わって、「しまった!ビデオに録っておけばよかった。」と思っても後の祭り。
 放送後何日か経って本屋で、この本『サンダカンまで』を見つけた。読みながら、番組で彼女が語っていたことや、再現VTRの場面がよみがえってきた。
 彼女が当時の軍港の町呉市で、小学校時代を過ごしたこと(私たちに縁もある二河小学校に在籍)、小学校3年生の時に潜水艦長であった父親が訓練中に亡く なり、母と妹との「女だけの家」となったこと、女優になりたく、家出もした学生時代、小学校の教員時代のこと、朝鮮青年との出会いと別れ、喫茶店の仕事を 終えての帰り道で、顔をナイフで7カ所(68針もの傷)も切られたこと、そして『サンダカン八番娼館』のおサキさんとの出会いなど。
 『サンダカン八番娼館』という映画はテレビ上映していたときに見た記憶はあるが、その原作者である山崎さんについては、この番組とこの本で初めて知った ことが多い。(何せつれあいがNewsRoomで紹介していた山崎豊子さんと混同していたぐらいだから・・かなり恥ずかしい!)

   最終ページより−「夫の上の言葉によれば、私の人生は、万丈とまでは行かないけれど波瀾に満ちた方だということだ。波瀾とは、人生浮き沈みの激しかった ということであり、大体において不幸を意味する。わたしも、波瀾多かった分だけ不幸だったのだろうが、しかし、その不幸に拉(ひし)がれ終わるので はなく、それに学んで向日的に生きようと決心しいささかながらそのように歩めたことは、幸せであったと言わなければならないだろう。そしてそのよ うに思いつつ、いま、わたしは、風にそよぐ庭前の草木の葉叢に眼を預け、胸に一種の平安の心の少しずつ湧き満ちてくるのを感じているのである−
 番組の中で、「傷つくことをおそれてはいけない」と、若い人たちにと語った言葉が、今も深い意味を持つものとして印象に残っている。人生何があるか分か らないからこそ、志高く歩んでいきたいと思う。

 抜粋したのは、山崎さんがナイフで傷つけられた顔などを手術した井上医師の言った言葉に関わる部分と、彼女の結婚に関する思想を表している部分である。


 あなたの顔の傷もそれと同じで、今の医学をもって治療しても完全に元どおりにはならぬ以上、あなたが、(宿命)として引き受けるほかはないでしょう。ひ とつ、「傷痕も身の内」と思 って、人生を普通に歩いて行って下さい。それが、医師としてのわたしの気持なんだね-

 井上医師の言葉は救いのない非情なものであって、わたしはたいそう打ちのめされた。期待していた一条の光が掻き消されて眼の前が真っ暗になり、胃のあた りに閏えている大きな鉛の玉に、鈍くしかも深い痛みが走る感じ。
 しかしわたしは、同時にまた、井上医師の言葉をさわやかにも感じていたと言わなくては精確でない。
この人は、いや、井上先生は、嘘を言っていない−と直観したからである。先生は、自身では「医師として嘘は言えない」と言われたが、その域を超え<人間と して>の真情に立って、わたしにとって耳当たりの良いその場凌ぎの言葉を棄て、事実を告げて下さった−と諒受し得たからである。
 この先生は、嘘を言わず、もっばら本当のところを言ってくれている。そう思うと、わたしの胃のあたりの鉛の玉の重みは幾分ならず軽くなったような気がし た。
そして井上先生の言われた言葉のひとつを、懸命に脳裡に反芻したのである。
 −先生は、「傷痕も身の内」というふうに言われた。
そうか、「傷痕も身の内」なんだ。人間の看板ともいえる顔に残る傷痕も、それもわたしのこれからの人間存在の一部なのだ。
 天平美人の体型を遺伝的に受け継いだ人は、その体型を終生自分の<天授のもの>として生き抜いて行くしかなく、その事実を恨み悲しむか<天与の宿命>と して肯定するかだけが、その人の心と知恵に委ねられているということになる。そうだ、わたしは、先生の口にされた言葉とおり、「傷痕も身の内」と観念して これまでどおりに生きて行けば、それで良いのだ。
 わたしの眼が少し明るくなり凍っていた表情が幾分かゆるんだのを見とどけると、井上医師は去って行かれた。
そしてその夜わたしは、はじめて、いつものような眠り、夢と現の境にあるような浅い眠りではなくて、すべてを忘れての深い睡眠に就くことが出来たのであっ た。
(P54〜55より抜粋)

 
 女性の多くが、結婚をしようとする時、まず考えるのが、相手の男性の<条件>のようだ。
順位は人によって違うだろうが、第一に相手の家の財産と社会的地位、第二に学歴、第三に職業・職位、第四に系累すなわち舅・姑・小舅姑の有り無し、第五に 思想・人柄または性格、そして第六に容姿、等など。
<世間一般的な価値観>から見て、財産は無いより有る方が、学歴は低いより高い万が(プラス価値)と採点されるわけで、従って、金持ちで有名大学を出てお り、大企業に就職して職位的な昇進も見込むことが出来、舅・姑の世話責任の薄い男性、それが<理想的な結婚相手>だということになる。
 しかしながら、わたしは、今にして振り返ってみるに、そのような(つれあい選び)を為なかった−と言って良いような気がする。わたしは、財産・学歴・職 業における(条件)というものには関心がなく、ひたすらに男性の<思想・人柄>を見ようとしていた。いや、もうひとつ、その人の<志>というものの有り無 しを、<選びの規準>として胸に構えていた−と強調した方が精確かも知れない。
 金光澤さんは、東京大学を出ているとはいえ朝鮮人であり、当時の日本の社会状況では差別されていて、適わしい仕事に就けず、貧乏の底に生きていた。しか し彼は、植民地化された民族の回復・分断された国家の合併・民衆の幸福を願うという三箇条、それらを統一するものとしての社会主義革命をみずからの人 生の目的として、極貧をいささかも恥じていなかった。すなわち、光澤さんは<志>を持った青年だったのである。
 一方、上の方はと言うと、家は質しく、学歴はなく、あまつさえ全身を結核に侵されており、職業は先行きの全く約束されていない売文業的研究者。彼も、世 の常の(結婚的条件)においてはほとんど零点と言って良かったが、しかし、彼の胸には年齢にかかる被支配階層と言ってよい<子ども>への共鳴、それにもと づく児童文化・児童史研究への熱情があり、それが彼の<志>であったのだった。
(P330〜P331より抜粋)

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