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DVD!1

cinema日本以外全部沈没
出演: 小橋賢児
監督: 河崎実
日本以外全部沈没
  「日本沈没」の横に置いてあったなにやら怪しいDVD。
「日本以外全部沈没」を借りてきてみんなで見た。

 まさしくB級映画。
「金かかってねぇなー」って感じで、沈没する描写や壊れる感じもまさにおもちゃそのもの。ウルトラマンの円谷プロの方がよっぽど上手い。TVのヒーローものの方が楽に見られるかも知れない。役者たちもわざとなのか、おいおいこんなに下手に演じていいの?って感じだった。(きっとわざとなのでしょう。)

一応、TUTAYAのイントロダクションから・・
「 2011年、原因不明の大規模な天変地異が起こりアメリカ大陸がわずか一週間で海に沈んだ。そして、その一週間後には中国大陸が、さらにはユーラシア大陸、アフリカ大陸が次々に沈没、数週間後には日本以外のすべての陸地が沈没、小さな日本列島に、世界中の難民が押し寄せる。 」

きっと映画よりも筒井康隆の原作の方が思い思いの想像をかき立てるから面白そうな気がする。が、

本当にこんなコトが起きたなら、狭い日本どうなることだろう。食料もあんまり無い国だしね。
外国人、国外追放!ったって、国外は海じゃないの?
本当にエゴむき出しの日本人が嫌になる。
こんな感じで国際社会のトップに立っても嬉しくもない。
もっとも経済的には、実際に日本はいろんな国々に追い抜かれるという学者さんの説もあるようだ。
何にしても、いろんな国のいろんな人たちと心を通わせる努力が必要だ。

 この映画の中に、母親が子どもに寓話を読み聞かせる場面が出てくる。
私以外はこの寓話を知っていたので、家のどこかに買ってあるのかも知れない。
たぶん、これかな?と思うものをNETで見つけたので、貼っておきます。

「てぶくろ」 (ウクライナ民話)

雪の降る森の中、こいぬと歩いていたおじいさんが手袋を片方落として行ってしまいます。
ねずみがかけて来て「ここで暮らすことにするわ」と手袋の中に入ります。
次にやって来たかえるが「わたしも入れて」と言うと「どうぞ」と入れてくれました。
うさぎ、きつね、おおかみ、いのししが次々とやって来て仲良く中に入ります。手袋はもうぎゅうぎゅうづめです。
そしてやって来たのは、くま。「わしも入れてくれ」「とんでもない。まんいんです。」のやりとりのあと「ほんのはじっこになら・・・」とくまも仲間に入れてもらい、手袋は今にもはじけそうです。

でもこの狭いはずの手袋には全員が入ってしまうのです。
そしてみんなが仲良くくらしたとさ。

(2007.05.14)

cinemaNORTH COUNTRY(スタンドアップ)
出演: シャーリーズ・セロン 、フランシス・マクドーマンド
監督: ニキ・カーロ
NORTH COUNTRY
  先日「スタンドアップ」を借りて観た。昨年1月に公開上映されていたみたいだが、全然知らないまま何故か借りていた。面白くはないだろうなぁという思いは見事外れ、引き込まれながら一気に観てしまった。

(あらすじ)
「 全米で最初にセクシャルハラスメント訴訟に勝った実在の女性をモデルに映画化した感動ドラマ。主演は「モンスター」でアカデミー主演女優賞に輝いたシャーリーズ・セロン。監督は「クジラの島の少女」のニキ・カーロ。暴力夫と別れ、2人の子どもを連れて故郷の北ミネソタの町に戻ってきたジョージー・エイムズ。周囲の冷たい視線に耐え、自分一人の手で子どもたちを養うために彼女が選んだ仕事は鉱山労働者。しかし、同僚のほとんどを占める男性たちからの露骨で悪質な嫌がらせは、ジョージーの予想を遥かに上回る酷さだった…。 」

 シャーリーズ・セロン演じるシングルマザーが、男ばかりの職場である鉱山に仕事を求めてやってくる。景色は雪山、重機群、大型機械と油、泥・・、すべてが寒々しく雑然としていて男臭さい。
上の紹介には「露骨で悪質な嫌がらせ」と書いているが、まさにその通り、いやそれ以上のセクハラが繰り返される。セクハラって言う言葉より、私には性差別という日本語の方がイメージとして素直に写るような感じの観ていてとってもいやらしい、えげつない、もう止めろや!と言いたくなるぐらいのものだった。

 そんな職場になぜ女性たちがやってくるのか?
「美容院のシャンプー係では二人の子供を育てていくことは難しい」のだ。
問題の一つはまさにここにある。荒々し男どもに混じり、昔言われた3K(Kitsui、Kitanai、Kiken)職場その中に、飛び込まない限り、一人で子供たちを養い、育てていくことなどできない人も多いと思う。これだけでとても勇気の要る行動だと思うのだが、それに加えて、えげつない職場の同僚たちの女性に対する嫌がらせの数々。

 なぜ男どもは、セクハラをこりもせずに繰り返すのか?
「女にはこの仕事は、できねぇ!」
と思わせたいから。裏返せば、自分の仕事をとられるかも知れぬという恐怖心である。

 組合も一緒になってセクハラ男どもの味方をする。組合の「一員」であるはずの彼女に味方するものもあらわれない。
ここに(一律に言うことはできないけれど)組合の弱点がある。会社に対しては弱者(労働者)の味方であるが、組織(組合)内においては、強者(多数)優先となりがちである。労働環境、条件改善を訴えることも組合を「通さないとできない」ならばなおのことである。

 ジョージーがただ一人裁判に訴えた背景には、様々な組織絡む人間模様があるのだ。
さて、その裁判、これがまたねっちっこく個人的な過去を執拗に暴きながら、いやらしく進んでいく。セクハラ関連が裁判になりにくいわけである。訴えた方が逆に傷つくことが多いのかもしれない。
しかも会社側が立てた会社の代理人弁護士は、「女性」なのだ。

 結果は、「スタンドアップ」
この映画の日本語題そのもので、一人、二人、・・と同僚たち(女も「男」も)静かに立ち上がっていく。
「あなた一人だけの問題ではないのですか!?」
という論理がようやく崩されていく。
最後の最後に、やっとホッとする場面にであう。

 私には、邦題の直接的に一つの場面、テーマに結びつく「スタンドアップ」よりも、映画の景色を深くイメージする原題の「NORTH COUNTRY」の方が、似つかわしくて良いような気がした。
(2007.03.20)

cinemaブルース・オールマイティ
出演: ジム・キャリー 、ジェニファー・アニストン
監督: トム・シャドヤック
ブルース・オールマイティ
 2003年の映画だからちょっと古い。でも最近は新作を競って見るよりは、旧作で見ていないものを探して見る方がHIT率は高いことに気がついた。

さてこの映画、主なあらすじを花本マサミさん(高校の先輩らしい)の文章から引用・・

テレビ局のレポーター、ブルース(キャリー)、アンカーマンの座をライバルにとられ、生放送の失敗でクビ。交通事故までおこして散々。恋人のグレース(ジェニファー・アニストン/ブラッド・ピットの奥さん)の慰めの言葉に耳もかさない。
 あげくの果てに神サマに毒づいてしまう。すると神サマから連絡があり、「不満があるなら君がやれ」と神の座を譲られる。

 せっかく神からもらったパワーをブルースは、面白いように自分のためだけに使っていき、ライバルをけ落とし、念願のアンカーマンの座を奪い取ることにも成功?する。
 途中、神様の大変さが分かってくる。何せ何百何千何万という人が毎日、
「神様お願い・・」と祈るわけだから。
素人神様のブルースがそれをさばききれるはずもない。
 しかも、この神のパワーによっても「人の心は変えられない」のだから。

 この映画、全編コメディタッチで楽しく見られるのだが、ところどころはっとするような言葉に出会う。

神様が言う。奇跡とは・・。

「・シングルマザーが、二つの仕事をかけ持ちして、子どもと遊ぶ時間を作る。これが奇跡だ。」
「・10代の若者が、ドラッグをやめ、勉学に励む。それが奇跡だ。」

なにもかも神に頼る者は、自分の中のパワーに気がついていない。
奇跡を起こすなら、自分で起こせ。
上を見ているばかりでは、何も起こりはしない。


なぜか自分の中にパワーがわいてくるような感じがしませんか?
って言いながらつかの間の休日をごろりんと過ごしているオヤジであった。
(2006.08.16)

cinema僕ははラジオ
出演: キューバ・グッティング・Jr. 、エド・ハリス
監督: マイク・トーリン
僕ははラジオ
 昨晩、家族で今日返却しなければならないDVD「カンフーハッスル」を見た。本当に「ありえねー」カンフー場面の連続で、これはこれで結構面白く、最後も案外美しくまとまっていた。
 今日の午後から、新しく借りた「僕はラジオ」という映画(DVD)を見た。何かの作品に予告が出ていたのが頭にあって、ぐるぐるとレンタル店内を回ってみて見つけた。
ちいさんと二人でうつらうつらとしながら見たのだが、思わず(不覚にも)涙が落ちそうになった。(いつものことながらもう一人は、ティッシュで目を押さえながら見ていたが・・。)

 主人公は、知的障害を持ち、学校にも行かず仕事もなく、ラジオだけが友達だった青年、ジェームズ・ロバート・ケネディ君(後に「ラジオ」というニックネームで呼ばれる)である。
 映画では、彼とふとしたことから出会った高校アメフト部のジョーンズ コーチや家族とのかかわり、周りの人々の心の変わりようなどが綴られていく。なかなか文章ではあらわしにくいのだが、これは見ぜひ見ていただくしかない。

「ラジオは、はじめから何も変わっていない。でもみんなを変えてくれた。」
「人のために何かすることは、間違いではない。」

少し違うかも知れないが、そんなセリフもあった。
ラジオさん、彼は、実在の人物で、現在もサウスカロライナ州アンダーソンにある高校のアメフトチームのコーチとして活躍している人だから驚きでもあり、いろんな意味でアメリカの(国?)人々の懐の広さを感じてしまう。
借りてみるのではなく、買っても良いと思ったDVDだった。
(2006.04.15)

cinemaパッチギ
出演: 塩谷瞬 、高岡蒼甫 、沢尻エリカ 、楊原京子
監督: 井筒和幸
パッチギ
 井筒監督作品は、「ゲロッパ」をDVDで観て、「へぇー、おもしろいじゃん!」と思ったので、レンタル店に一つだけ借り残っていたのを幸いと思い、借りてみた。
 ついさっきまで観ていたのだが、結局「とても面白かった!」と思う。
 1968年、という社会的なものもあるのだろうが、何か懐かしくって、そして飽きさせない映画作りはすごいと思うし、所々に監督自身の社会問題感も見え隠れしていて、(見る人によっては賛否両論有るでしょうが、)私は良かったと思う。観ていてある意味爽快でもあった。
 レンタル店のキャッチコピーには、「もう一つの韓流」(少し違うかも知れないが・・)などのことばと松本人志さんの紹介文が貼られていたが、韓流ドラマとは全く違う(と思う)もので、「これこそが・・」という思いが伝わる作品だったと思う。
 映画の中で、たびたび流れる、フォーク・クルセダーズの「イムジン河」が何ともいえない叙情感を醸し出していて、頭から離れない。この曲は、1968年、ザ・フォーク・クルセダーズの第2弾シングルとして予定されながら、直前で発売中止になった曲であり、この曲の代わりにシングルとして出された「悲しくてやりきれない」も効果的に映画の中で流れている。この二つの曲のエピソードについて、最近いつだったか、どういう番組だったかは忘れたが、TVで放送していたのを覚えている。
 また、この「イムジン河」に関しては、リンクしている「ふらと人権情報ネットワーク」の中のシリーズ「音楽とともに」(1)に、松山猛さんの紹介が載っているので、興味のある人は、またご覧ください。復刻CDも出ているようなので、買ってやろうかな?とも思う。
(結局CDも買いました。)
(2006.02.14)


二人で見た映画に