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CINEMA!その5

cinema踊る大捜査線 THE MOVIE 2
主演: 織田裕二、柳葉敏郎、深津絵里
監督: 本広克行
踊る大捜査線 THE MOVIE 2
 久しぶりの家族そろっての休日。私たちは十数年ぶりの、そして息子たち二人は初めてのボウリングをして遊び、その後この映画を見た。私は他に見たいのもあったのだが、家族そろって見られるし、息子がかつてファンであったこの映画を見ることにした。
 今日は何かあるのか始まる前に、TVカメラが劇場内を撮していた。結構子ども連れも多く、賑やかな声もしていた。本当TVを見ているような感覚で映画館の大スクリーンを見た。
 お台場って、こんなに賑やかなの?って行ったことのない私たちは思うのだが、まるで観光地で、湾岸署も観光案内所状態で、観光グッズなどを売っている。刑事たちのいる署内もガラス張りみたいで、各自の机にはパソコンが置いている。そんなスマートな海に囲まれたレジャースポットの中で、一人「おれの事件は?今度こそおれの事件かな!」などと事件を求めてうろうろしているのが、ご存知青島だった。
 事件など起きない方がいいに決まっているのだが、起きてしまうのがフィクションである。でもやっぱり面白く、子どもたちでも楽しめる。「事件は現場で起きている」という言葉は、好きな人は多いと思うのだが、何とこの映画では、青島たちと対照をなす警視庁女性管理官が、「事件は会議室で起きているのよ!」と言い、本当に所轄を駒のように使い、いつでも替えのきく兵として扱っていく。
 こんな管理官のような人物−自分だけの体面を考え、上にはへいこらし下の者は使い捨ての道具とみて動く人間−この社会にはごろごろいるぞって思ってしまった。だから、行き過ぎ、へまをやらかしながらも、現場で誇りを持ちながら仲間を大切にしている青島たちになぜだか共感してしまうのでしょうね。最後ごろに自分で判断できず、うろたえていく管理官の姿を見ていると悲しくも思えてくる。
 最後の最後でおちのあるのが踊る大捜査線。珍しくもう暗くなった帰り道、広島大橋を通っているとき、「お!封鎖されてるかも?」なんてたわいのないことをを言いつつ『Love Somebody』を口ずさむ車内のわが家であった。「日本の官僚ってやだな。」「でもSATは、間抜けだったよねぇ・・」・・・と話は尽きない、楽しい映画だった。

ワーナー・マイカル・シネマズ広島
cinemaマイ・ビッグ・ファット・ウェディング
主演: ニア・ヴァルダロス、ジョン・コーベット
監督: ジョエル・ズウィック
マイ・ビッグ・ファット・ウェディング
 ここのところ二人とも映画を見る余裕がなくて、買っていた劇場の券の有効期限がまたまた過ぎようとしていたのだが、何とかぎりぎりで観に行くことができた。二人で行けたのはおよそ1年ぶりだろうか。夕方までには家に帰るぞと、またまた時間だけを気にして入った映画がこのマイ・ビッグ・ファット・ウェディングだ。
 でも妻はあらかじめチェックをしていたようで、一人であらすじを頭に入れていた。これはいつものことで、私はというと観ながらときたま分からなくなると隣でこそっと聞くことが常なのだ。何の先入観のない私は、いつものようにぼ〜と観ていたが、背中の腫れ物の痛さもちょっとだけ忘れたほどの面白さだった。
 主人公は、子供時代から親の路線通りにギリシャ漬けで育ち、何もエキサイティングなことが起らないまま、30歳になってもただ両親が経営するギリシャ料理店のウエイトレスをしているだけのトゥーラ・ポルトカロス。お父さんは、「ギリシャ人はギリシャ人としか結婚してはならぬ」と強い願望をいつも口にする頑固さ。
 そんな彼女を目覚めさせてくれたのは、レストランにやってきた背の高いハンサムな男、イアン。ここからの彼女の大変身ぶりには驚かされた。父親の反対を押し切り、大学に行き、コンピュータを学び、ダイエットして、ファッションも髪型も一変する。
 こんな彼女に神様が微笑んでくれたのか、就職した旅行代理店でイアンと再会を果たし、あれよあれというまに二人はつきあいはじめ、結婚を約束する。ここで終われば、ちょっといかした恋愛物語だが、本当の物語はここから始まる。
 彼女の家族をはじめ、親戚の何と数が多く、しかもみな口うるさく、おせっかいで本当ににぎやかなのだ。ギリシャ独特の風習に彼と同様に私たちもは驚きの連続だった。お祭り好きで大家族主義のギリシャ人の民族性も良くわかり、おおげさな反対や一見、人のことを気遣うことがあるのかいなと思う行動にも、後半になるとなぜか、親しみと彼女たちに対する愛情を感じてしまう。「でもお父さんは、こんな賑やかな大家族じゃむりじゃろうね」、とこれは隣席の妻のひとこと。自分自身そう思う。でも大家族も楽しそうだぞ、「オッパー!」(観たら何のことか分かるよ(*^_^*))
 実はこの映画、主演のニア・ヴァルダロスが実経験を基に脚本を書いて自ら演じたものだそうだ。ん〜!大したものだ。

ワーナー・マイカル・シネマズ広島
cinema戦場のピアニスト
主演: エイドリアン・ブロディ
監督: ロマン・ポランスキー
戦場のピアニスト
 時代は1939年、ポーランドはナチスドイツに侵攻される。その後そこに住むユダヤ人たちは、ゲットーと 呼ばれる居住区に強制的に移される。そこでの生活は、毎日の食べ物さえも自由に得られず、加えてドイツ兵による暴行や殺人が繰り返される。
 この場面を見て、『シンドラーのリスト』を思い出した。ほとんどが白黒で表現されていた「シンドラーのリスト」と違って、この映画はカラー映像である。
 この二つの映画には似たような場面があった。無意味にユダヤ人たちが外に連れ出されて並ばされ、これまた無意味に頭を銃で撃たれて殺される。たてつくことはおろか、質問や意見をドイツ兵に言おうものなら、それだけで撃たれる。足などが不自由で車いすに乗ったり、松葉杖でようやく歩いているものまで、むりやり立たされたり、踊らされたりする。立つことができないものは殺される。そして自分たちで殺したり、暴行して倒れたユダヤ人たちの上をまるで遊びのように、ドイツ兵の乗る自動車が轢いて走り去る。
 人間の尊厳や存在すらも「簡単に」奪ってしまうこんな場面の連続を見て、暴力機構を手にした権力への怒りや、それを手すると変わる人間の愚かさを思った。もはや人間とはいえないと思う。
 そういった歴史の事実の中、やがて何十万ものユダヤ人が収容所へ移されるようになる。帰ることのない列車に乗せられて・・。
 その列車に運よく乗ることを免れたこの映画の主人公、ピアニストのシュピルマンは、決死の思いでゲットーを脱出する。数は少ないが、ユダヤ人たちにも優しくするポーランド人たちに助けられながら、戦火の中をドイツ兵からの逃亡を続ける。
 心の中でピアノを奏でることを唯一の希望としながら、身を隠すシュピルマンであったが、ある晩彼は遂にひとりのドイツ人将校に見つかってしまう。
この将校の前でピアノを弾くシュピルマン・・。長く静かなピアノ演奏がつづく。
 私は最初このシュピルマンを助けた将校がドイツ軍だとは思わなかった。一人ひとりの中には、こういったドイツ人たちも結構いたのかも知れない。自分の意志とは別にユダヤを差別していく、せざるを得なくされる状況をみながら、戦争が差別を増幅していった、その事実は間違いなくあると思った。
 最後のキャストなどの字幕が流れ、画面が黒くなるまで、椅子からだれも立たなかった。あのピアノとオーケストラの演奏を聴いていたから、立つことができなかったのだ。

ワーナー・マイカル・シネマズ広島

二人で見た映画に