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人権「ほえろ落第生たち」  福地 幸造 編  【明治図書】
ほえろ落第生たち  「荒れた教室」「これでも学校か」(と教育評論家や世間一般の人は言うかもしれない)というような中で行われる(この本に書かれている)実践を読むと,この文章の最後の方の奥さんの言葉ではないが,「こんな教室ではようつとめん」というのが,私の本音に近いところだろう。
 でも若い頃この本も何回となく読み,「教育権の放棄」だけはすまいと思いつつ,前に行ったり後ろに下がったりしながら頑張ってきた。なるほど全てがうまくいくということがほとんどない教職生活ですが,それでもがんばっていこうと思う。
(抜粋した箇所は,今でも何となく覚えていたとくに好きなところです。)


(p160〜p162より抜粋)
教室の内と外
(前略)
 同じ教室を共用している全日制H枚とくらべてみるとよい。
 そこで次の様な事件が起っている。
 B町地区から、子どもたちが侵入してくる。侵入してくるといっても、その量からいえば定時制の方とくらべてみると、比較にならないのだ。そしてプールで全日制の生徒たちが気持よく泳いでいる。「およがせえや、オッチャン」という声が、かかるのは当り前すぎる子どもたちの希望だ。
 そこで監督の教師が−コテクサの一幕はあったにしろ子どもをなげとばし、子どもの手からは、血が流れていたという−4名の子どもを、校門からパトカーで警察に引きわたすということになっている。はじめて、ウロタエて、こんな処置をとりましたというのではない。この様な処置をとることが公然と教育されており、罷り通っている処置の一つである。
 いろいろとハナシはあるのだが、直接、かかわっているわけではないので、これ以上くわしく触れないが、わたしは呆然とする。B町の子どもたちは一体、浮浪児であるのか。木の股から生まれてきた怪物であるのか。ヤボな質問であろう。にもかかわらず、わたしたちはこの様なヤボな質問からはじめでいかねばならないのだ。
 子どもがよそでわるいことをする。された方のオヤジがおこる。おこってわるいことなどないだろう。おさまらぬ場合、その首すじつかんで、その子どもの親のところへ、ねじこみにいく。シカジカ云々、親はもっと注意しろとネジこんできた。日本ではそうしてきた。今も、そうしている。これが、仁義であった。仁義という言葉が気にいらぬというのであれば、子どもへの大人側の責任のとり方の一つであったといいかえてもよい。今もかわりはない。それを、親のところは、スッとばして、いきなり、パトカーに送りこむというところまで、H校は、なり下っている。
 この様な教育不在(かってあったのがなくなったのではない。はじめからないのだ)が、もっとも端的に未解放部落B町の子どもにだけ、臆面もなく、罷り通っているのだ。すくなくとも、この「教室」にとりくんできた教師たち、それを支持してきたこの湊川の学校体制は、この様な破廉恥なまでの不在から、教師の教育権を放棄すまいとしてきたということだけはいっておかねぼならない。
 それならば、見事な円満具足の形でそれをやれてきたかと聞かれると、わたしなど、先にニヤッとしてしまう。すくなくとも、今この国の困難な諸条件の中で、一寸たりともこの教育権を放棄しないで、キバろうとすれば、円満具足に、ハイ一丁上りという様な自己完結的なコースは、ありはしないのだ。あってたまるかと、わたしたちは考えているのだ。
 当然、混雑する、騒然とする。するのが当り前というコースを必ず歩むというコースなのだ。問題は、その混雑、騒然とした中身のことになってくるだろう。

 吉田先生に『落第生教室』のゲラ欄りをわたして、一読してもらった。先生の奥さんにも回覧してくれていた。先生の奥さんは、小学校の先生だ。その奥さんの読後感は、「わたしなら、こんな教室ではようつとめん」というため息であったという。それからかなりたってからだった。吉田先生はもういとつつけくわえてくれた。
 「そやけどな、フクツアンよ。ああいうとったけどな、あの本の影響かもしれんのやが、うちの女房はな、できへん子、面倒のかかるこの世話ばっかり一生懸命にやっとるぜ」というのだった。わたしのいう中身はこの辺のところにあるだろう。こういうハナシを聞いたとき、わたしは、確実に一日中機嫌がよいのだ。げんきんなものだと思っている−。

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