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人権「部落の歴史と解放理論」  井上 清  【田畑書店】
部落の歴史と解放理論  井上清さんが2001年11月23日に亡くなった。本棚には「日本の歴史(上中下)」など井上さんの本が数冊ある。
 教員になって2年目「PTA対象の同和教育研修」において,社会科担当が「部落の歴史」について15分程度話をすることになっているというので,何ヶ月も前から広島市内の本屋をめぐり,関係のありそうな本を何冊か買って学習した。その中の一冊が井上清さんの「部落の歴史と解放理論」である。
 正義感の強い,いささかも揺るぎのない信念を感じさせる文章で,「そうだ!そうだ!」と思わず納得させられてしまう魅力がある。「部落の歴史」に関する研究は近年もっと進んだものになっているが,「不平等」に対する怒りをこめた明快な歴史観は,今読み返しても学ぶことが多い。(歴史以外でも「矢田教育差別事件」など同和教育をめぐる問題などもこの本により知ることができた。)
 
  「信念貫く一匹狼」 哲学者 梅原 猛氏の話(11月25日付朝日新聞) 
 自分の信念を曲げない一匹狼的存在だった。一方で思想的に反する学者とも親交を保ち,「土佐の快男児」という印象があった。マルクス主義の公式にあてはめすぎ,著述に生身の人間を感じられないきらいもあったが,弱者としての女性や被差別部落などに光を当てる史観は,正しかったと思う。


 自由民権運動の中から、部落民の人間的誇りを説く人も出た。高知県出身の中江兆民がそれである。彼は明治のはじめフランスに留学し、民主主義思想を身につけて帰国し、民権派最大の革命的理論家になった。彼はその革命運動のために1887年末、政府より東京から追放されて大阪に住み、「東雲新聞」という民権主義の新聞の主筆になった。(中略)
 彼は1889年(明治12年)その新聞に、自分を、部落民の立場において「新民世界」という論文を書いた。世間はわれらを死人の衣をはぐとか、飲食を乞うとかと、いやしめるが、世間には、生きているものの衣をはぐものがあるではないか、俸給を色乞うものがあるではないか、わいろをやり、わいろを取るものがある、正妻を追い出して妾をひきいれるものがある、このような上流階級の、りっばな服装をしたばけものの方こそ、われら、ぼろを着てはだしで歩くものよりも、はるかに社会を毒し、公衆を害するものである。世間の民権論者は、頭上の貴族をののしるが足元の新平民を尊敬することを知らない、これでは真の民権論者ではない。「平民」とは貴族にたいすることばであって、士族に人権をふみにじられ自由をうばわれ、軽蔑されていた旧時代の民にたいすることばである。われら「新平民」、いな「新民」こそ「真民」である。新平民を差別するものも、早く真の自由な「新民」 「真民」になれ。
 兆民はこのようにさげんだ。彼は専制政府こそ、差別の元凶であることを知っていた。彼は部落民と交わり、これに「真民」の自覚をふきこんだ。この翌年第一回の衆議院議員選挙のとき、大阪の部落民たちは、彼のためあらゆる応援をして、当選させた。代議士になった彼は、最初の議会で、人民の政治的自由をうばう法律を廃止し、天皇制の専制をかざるにすぎない憲法を民主的なものに改めようとしたが、昔の自由党のなかまも、兆民とともに動こうとはしなかった。兆民は議会を「無血虫の陳列場」とののしつて、議員を辞職した。
(P70〜P71より抜粋)

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