Chi-Circleトップページに人権と教育
教育『君人の子の 師であれば』 国分一太郎   【新評論】
人の子の 師であれば  1959年初版の本。もとは東洋書館から1951年に出されたそうだから,私の生まれる10年近く前の本だ。この本の新版を1984年頃に買って読んだ。古くても絶版にならず,次々と形を変えながら版を重ねている。細々とした?需要があるのだろう。
 というのも中身を読むと,国分さんが「この本の生命は,もう終わってしまったものとかんがえていました。」と(1959年の新書版のためにのところに)と謙遜して書いているのとは逆に,今でも十分価値のある,いやまさに情報の氾濫する現代にこそ必要な一冊であることが分かる。
 全頁紹介したいぐらいの,(教えることを仕事としているものにとっては)実践に裏打ちされた言葉がぎっしりと詰まっている。
 題名の『師』という古めかしい言葉とは裏腹に,子どもと教師と教育について優しい愛情にみちた(でもきびしい)本である。

 帯にも載っていた「あとがき」の文章から・・・
 「きのう一日のつかれに,われをわすれて寝ころんでいても,朝になれば,あなたは起きなければなりません。起きて学校へ向かわなければなりません。50人,60人の子どもが,あなたを待っているからです。待っている子どもに,きょうもまた,なにか一つ新しい,よいことを,あなたは教えてやらなければなりません。あなたは,生きた子どもを,親たちから,世の中から預かっている人なのです。重い責任をもっている「魂の技師」なのです。
 国分さんからこのように言われると「その通りや!がんばらんとな。」と素直に心に入ってくる。反対に同じようなことを,下の抜粋にあるようなその時だけの形や格好だけに重きを置くような人から言われると,「あんたに言われとうないわ!」と思う。
 いつまでもと勇気と誠実さを失わない一市民でありたいと思う。


「ひとりの人間・一市民」

 こうして、わたくしたちは、子どもには、相手がどんなに幼くても、それをひとりの人間・一市民としてあつかう態度をもつように、教師であるあなた白身は、ひとりの人間であり、一市民であることのほこりをもち、ひとりの人間・一市民であることの権利を高くかかげ、その身体的・精神的自由を追求し、それを保持するように努力しなければなりません。  
 つまり、子どもをひくつにしてはいけないし、また自分もひくつになってはいけない、子どもを、じぶんの目で見、じぶんのコトバで自由に意見をいい、自分の頭で考え、自分の判断にもとづいて行動する人間に育てなけれぱならないのなら、このしごとに従事する教師・自身も、そうでなくてはいけない−こういうことになります。  
 かんたんにいえぱ、あなたは、子どもがあなたの前にシッポをふってくるように教育してはいけない、同様に、あなたは、校長や指導主事や村の有力者の前に、シッポをふるべきではないというのです。コトバだけは美しい、子どもを一人の人間としてあつかう「児童憲章」が必要なら、先生を一市民としてあつかう「教師憲章」も必要だということになります。  
 教師の人間を変革するための、ひとつの土台はここにあるのでした。長い間、ひくつな境遇に涙をたたえてきた教師たちの自己成長はここから出発していくことでしょう。  
 それなのに、指導主事のくる日は、「いつも、「きょうみたいだといいねえ」
と、子どもたちすらつぶやくほどに、やさしかった(?)先生が、翌日は、子どもに、「やっ.はり同じだねえ・・」
こうなってはおしまいです。この術を子どももおぼえてしまいます。「これが世の中だ!」 という気持をもたせてしまいます。
といって、指導主事のきた日も、
「おこりっぽい先生よ。ジャンジャンおこりたまえ。」
こんなことをいうわけではありません。せめてあなたか、ふだんの日は、子どもたちの名を、
「カズオ!」
「ユキ子!」
と呼びすてにしているのなら、その日だけほ、
「カズオ君」
「ユキ子さん」
こんなネコなで声をだして、子どもたちをびっくりさせてくれるなというわけです。やっぱり、
「カズオ!」
「ユキ子!」
でよろしいというわけです。いつもは、春の山のなだれのあとみたいな、殺風景なおけしょうをしている女の先生が、その日だけは、一面銀世界、とくに鼻の山のみねには深雪がたまっている、こんな異様なおけしようをしてきて、子どもたちを、戸まどいさせてはならないというわけです。ひとりの人間・一市民が、こう変わるようでは困ったものだというわけです。誠実さが必要です。ことに、今の日本では「勇気」が必要です。  
 そういう点では、わたくしも、その勇気にとぼしかったと思います。  
 生活綴方・生活教育の運動が、ようやく当局から圧迫されはじめたころのことでありました。
ある日、校長が、わたくしを近くの温泉旅館の一室によびました。行ってみると、・・・
・・・(後略)・・・(P176〜179より抜粋)


人権と教育のページに