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人権「荊冠の叫び」 西口 敏夫   【部落解放新書】
荊冠の叫び  最初の話は,初めて赴任した職場で先輩の人から「下駄で足を踏んだ者と,踏まれた者」というたとえでよく聞かされたことを思い出す。
 2番目の話はあえてこの部分を抜粋した。まだ数十年も経っていないような同和教育の歴史の中で,最近よく「こういう方法で・・・」とか「ああそれはこうやれば・・・」とか簡単に話す議論や会話が耳につく。そういうとき私は,心の中で「あなたは,部落差別の何を知っていますか?」と疑問に思うことがある。
 同和教育はとりもなおさず,「部落解放」に向けた教育である。なのに「部落差別」を知らず,現実に学ばず,という姿勢はいかがなものでしょうか。同和教育をするためには,まず「部落問題(同和問題)」を学ぶことを忘れないようにしたいと思う。
 とくに引用した文にあるように「差別の重み」を感じる心をいつまでも持ち続けたいと思う。軽く分かったような口を利く人はやはり軽くしか分かっていないのではないでしょうか。最近の情勢を見てそのように感じてしまうのは私だけでしょうか。
教育

(p82より抜粋)
イソップの物語にこんなんありましたやろ。
イソップの子どもが田んぼへ向けて石を投げている。田んぼの中のカエルが「やめておくれ。あんたの投げる石がわしに当たったら,わしは死んでしまうんや。やめておくれ。石を投げるということは,あんたにとっては楽しい遊びかもしれんけど,わしに当たったら死んでしまうんや。石を投げるのはやめておくれ」と叫んだという話や。差別する者は,何気なしに簡単に話しているけれども,差別を受ける方はそうと違う。(後略)

(p80〜p82より抜粋)
部落差別いうたら重いぞ,みなさん。
男と女が恋愛をしていた。ところが,ふとしたことで仲が切れた。デートしていたけれど別れた。こんなことはなんぼでもある。二人がデートして,ええ仲であった。ところが,部落であるということが分かって,ぞうりを捨てるようにして捨てられてしまった。このときに捨てられた方は,差別されたらかなわんと思うて,男であったって,女であったって,命を絶つ。自殺する。こういうことがぎょうさんありますねやで。
 おいらは,そんな話をよく知っている。昨日も映画にAさんという人が出ていた。これは住吉の男とAさんが恋愛していて,アパートに2年も住んでいた。結婚しようという。このAさんは徳島の部落の人。そしたら,男の方の母親がムリヤリに息子を引っ張っていなはった。二人の仲を裂いてしもた。このAさんは世をはかなんで,ついに自殺しやはった。その母親というのは学校の先生やで。
 高知にある青年がいた。この青年は滋賀県の女性といい仲になっていた。ところが,その青年が部落だとわかったんや。やっぱりこの親がムリヤリにさいたんや。この時すでに彼女は,妊娠4ヶ月であった。「おまえは部落の子をはらむのか。おろせ。」と言っておろさせた。そしてその子を墓に埋めた。青年はその話を聞いて,自分の子供の墓にせめて花一輪を供えたいと思って,花を持って行った。すると,ちょうどその時,父と墓で会うた。「おまえはまだ生きていたんか」「けがらわしい」と言われた。ガクッときて,お先真っ暗や。彼女も彼から離れていって,とうとう青年は彼女とデートをした思い出の宇治の奥の紅葉が谷といういところへ入って,農薬を飲んで自殺した。
 「けがらわしい」と言うた父親は,滋賀県の現職の警官であった。学校の先生とか市役所の職員とか,現職の巡査とかが特に差別意識濃厚や。奈良はちょっと違うけどな。要するに部落差別というのは命にかかわるんや。「おまえが部落民やから」言うて別れさせられたらかなわんなあとおもって命を断つんや。

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