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「人を殺さない国」貫け中国新聞 12/17(2003年)

 今回の騒ぎを見ていると、昔を思い出す。子どもだった1940年ごろ「バスに乗リ遅れるな」という言葉がはやり、日本は日独伊三国同盟を結んで太平洋戦争に突入していった。
 2001年の米中枢同時テロ以降「バスに乗り遅れたらいかん」となったが、運転手の米国が、どこを向いて走ったらいいのか分かっていない。それなのに最後に乗ろうとしているのが日本だよ。行き先がめちゃくちゃだって分かっているのに乗るのはばか。愚かなことを繰リ返すね。
 日本は「殺し、焼き、奪う」だけでなく「殺され、焼かれ、奪われる」という二つの戦争体験をして、やっと平和憲法ができた。同じような体験をしたドイツの憲法に当たる基本法にも「武器を取って戦うことを強制されない」とある。日本人は米国以外のことをもっと知るべきだ。
 自衛隊がイラクで襲われたら武器を持って応戦するだろう。今まで人を殺すことのない素晴らしい国だったのを台無しにするのが小泉首相だ。何が国益か。憲法を守るのが日本人。小泉首相は憲法をねじまげて、日本人の風上にも置けない。武力で問題は解決しない。平和的手段しかないと分かった今だからこそ、イラクやパレスチナの間題で調停役を買って出るなど日本は平和憲法を実践するべきだ。
(小田実さんの文章から)

 イラク戦争関係の記事が連日あり、昨日は、サダム・フセインが見つかり、拘束された。研究も何もしていないから、マスメディアを見る限りだが、フセイン政権下での圧政は決して賛同することなどできないし、やはり憎みべき政治家の一人であろう。しかし、今の日本政府のアメリカ追従の姿勢となると話は別次元である。
 NewsRoomにもエノラ・ゲイの展示に関して書いたが、「米国の善」にはとってもきな臭い匂いがする。「従わない者(国)は悪である」といっているように聞こえるから、善ではなく、むしろく独善であろう。
 でもどうして最近、この国のトップは、こうも思慮というものが欠けてきたのだろうか。憲法前文を引用して、自衛隊の海外派遣の理由説明をするなんて、普通に学習している子どもや学生からは想像すらつかない、日本国憲法の精神をねじ曲げての説明は理屈のための理屈としか言いようがない。
 あまりにもこの関係の記事数が多すぎて、逆に書くのを躊躇していたが、若いときにたくさん読んだ小田実さんの記事があって、なつかしくかつ賛同するところも多かったので全文を引用した。
 『二つの戦争体験』・・本当にそうだと思う。その歴史の上に立って、日本国憲法があり、日本の今があるのだ。自衛隊員の中には、人を殺したいなどと思っている人は一人もいないと思う。でも殺されるかも知れず、武器を取って殺すかも知れない、と思っている人もいるだろう。テレビの映像の中で自衛隊の人が、「命令が出たら仕方がない・・。」家族の人が、「もし行くことになったら辞めさせます。」等というのも映っていた。こんな事態を想定して入隊した人は少ないのではないでしょうか。
 「殺さず、殺されず」、そのためにはやはり今イラクに派遣することよりも、日本は別の道を探り、米国の他の多くの国とも意見を交わし、本当の意味での国際協調主義を貫いてほしいと思う。
 それにしてもいいのか悪いのか、自衛隊が「軍隊」であることをもはや政治に関わる人たちも隠そうとしていないと感じているのは私だけでしょうか。

 もう一つ、同じ紙面に自衛隊イラク派遣決定に際して、マフディ・エルマンジェラ氏が書いていた『相互理解に傷 再考を−日本の民意尊重求める』と題した文章を最初のところだけ抜粋する。

すべての日本を愛する人たちが恐れていたときが来てしまった。自衛隊のイラク派遣決定のことだ。どんなもの言いをしようと、これは国際法上の論拠のない、明白な軍事介入である。
 派遣の意味ははっきリしている。それは過去14年、間断なく続いてきた無辜(むこ)の民に対する軍事侵略への、政治的な全面支持である。
 終わリなき戦争は既に、50万人の子どもたちを含めて、200万人の罪のない犠牲者を出している。劣化ウラン弾の実験はいうに及ばず、168力月の猛烈な砲爆撃はTNT火薬換算で、ヒロシマとナガサキに投下された原爆の何倍にも匹敵する。この間、イラクは最も基本的な人道上の基準、規制を無視した新型殺人兵器の実験場と化してしまった。一国民と文明の身の毛のよだつような破壊の継続に参加するのにほかならないのに、日本政府は「復興」にどんな貢献をしたいのだろうか。断じて、これは本来の日本ではない。  

 「50万人の子どもたちを含めて、200万人の罪のない犠牲者」、一体これまでメディアは何を報道してきたのか。アメリカやその支持国の尊い犠牲者のことも決して忘れてはならないが、イラクで罪なき、むしろ政治と戦争によって虐げられた民衆のことをもっと私たちに知らせてもいいではないか。日本に住むどれだけの人たちが、民衆の本当の犠牲者の数を知っているというのか。アメリカ兵の犠牲者一人に対して、一体幾人のイラクの民衆が亡くなっているのだろうか。決して数の問題ではない。あまりにも私たちが知らないことが多すぎるのだ。アメリカの機嫌をとることよりも大切な役割が日本にはあ るはずだ。日本にしかできないことを私たちが考えるためにも必要な情報は求めたいと思う。


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