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教育おかげ(斉藤次郎)

「おかげ」

 「障害」児を持つ親や,登校を拒否している親が,誇らしげにあるいはしみじみと,わが子に感謝します」と語るのをよく聞く。
  学校や世間の冷たい仕打ちに耐え,子どもをはげまし,苦労を重ねるうち,教育問題のみならず,社会のありようやそこにひそむ不合理をはっきり知ることになった。弱い立場のものを抑圧し,差別するのがだれであれ,それとたたかっているのがだれなのかも,はっきりした。もし,わが子が「ふつう」の子どもだったら,そんなことはなにも知らないまま,抑圧し,差別する側に自分もまわっていたに違いない。 人間らしい生き方を,私はこの子のおかげで勉強できました,と親たちは語るのである。
 とすれば,学校の先生とは何とよい職業であろうか。「障害」をもつ子や,登校を拒否する子どもたちと身近にふれあうことができる。だれが彼らを差別し,「教育」という名の抑圧を欲しいままにしているか,だれが彼らを助け,彼らと共に生きようとしているかを,日常的に見きわめられる立場にいるからである。人間らしい生き方を学ぶチャンスに,学校の先生ほどめぐまれているものはほかにはいない。
 しかし,一般には,自分のクラスに「障害」児を迎えて心から喜ぶ先生は少ない。クラスから登校拒否児が出て喜ぶ先生も少ない。これは一体どういうわけだろうか。仕事がふえるからだろうか,それとも管理職がうるさいからか。
 もしかすると,先生という職業を「教える」ことに限定してしまい,子どもから学ぶということを忘れてしまうからかも知れない。子どもに「先生」のおかげだと思わせることに熱中し,子どものおかげで人間らしい生き方を学ぶ喜びに気がつかないのではないか。
 そういえばもうじき「仰げば尊し,わが師の恩」と歌わせる,季節である。
(点鍾より抜粋)



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