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人権『社会「同和」教育変革期(つくりかえ)』江嶋 修作編 【明石書店】
社会「同和」教育変革期 最近,本当に久しぶりに江嶋さんの講演を聴く機会があった。楽しく,もちろん中身も考えさせられるものだった。
 思えば10年ぐらい前につれ合いと一緒に,当時江嶋さんの在職していた広島修道大学の「『同和』教育セミナー」に2回ほど自費で参加したのを思い出す。
そのときとかわらず,元気でテンポのいい話しぶりだった。
 さて,ここに抜粋したのは,社会「同和」教育の問題点,差別問題を考えるときの,捉え方の問題点としてあげられた「三つのタ」の一つである。
あとの二つとは,「タテマエ」「タテジワ」である。もし本気で関心ある人はご購入してお読み下さい。
 それにしても最近とみにここに書いてあるような悪い例の人たち,つまり「タテマエ」のみで生きている人が多くなっているような気がする。私の周りだけのことでしょうか?

(2001年秋)


(p22〜p25より抜粋)
タニンゴト
 ある町の「同推協」の役員さん,研修会の前に会ったら,こう言われた。
「先生,どうして地域住民は,あんな古い差別意識みたいなもんに取りつかれているんですかいのォ。なかなか,この古い慣習ちゅうか,これを取り除くんは大変ですなァ。私らは,この問題で頭が痛いんですわ。」

 研修会が終わって,この役員の家に行った。立派な門構えの屋敷だった。
 「まあ立派なお宅ですね。」
 つい,そう言ったら,
 「いや,いまでこそ,こがいな状態なんじゃが,農地改革の前いうたら,こがいなもんじゃなかったんですよ。ホラ二キロほどさきにバス停が見えるじゃろ。以前は,あそこまで,他人の土地なんて通らずにいけたんですけどのォ。」と,こうである。さらに加えて,つい,ホンネを漏らした。
 「きょう,昼間,役場にいた係長,ちょっと生意気そうなんがいたでしょう。あいつのオヤジなんかちゅうのは,私んとこで小作やっとったんですわ。」
 このひとが言うのだ。
 「どうして,住民たちは,古い意識に囚われているんでしょうかね。」

 これを,「タニンゴト」と言う。
 この種の体験は,よくある。教師,公務員(管理層),僧侶,医者。これは,「タニンゴト」タイプの多い職種と言われる。何故か。自分のことを棚上げして,ものごとを考える傾向が誰いからである。いわば,二重人格になりやすい職業とでも考えられようか。

 教師を例にあげておこう。夏休み直前,小学校教師は,子供たちに注意する。
 「夏休みになったからといって,怠惰な生活を送ってはいけません。朝六時に起きて,六時半のラジオ体操にキチンと出て,そして,朝の涼しい時に勉強するようにしなさい。計画を立てて,キチッと実行する習慣をつけなければ駄目ですよ。」
 当の本人(教師)は,どうするか。夏休みになったとたん,「フー,きょうから夏休みだ」と,昼過ぎまで寝てはいないか。
 誤解のないように言っておかねぱなるまい。私は,だから教師は駄目なんだ,などと言おうと思っているのではな。むしろ,所詮,教師もそんなものだ,と言いたいのだ。聖職者論を振り回すひと達の,滑稽さと間違いを確認すべきだ,と。
 同じく,高尚そうな教育原論や教育哲学の専門家のなかに,低俗な学者たちがゴロゴロしている。タニンゴトの「キレイゴト」だけしか語れない世界。元来,教育という行為には,そのような性格があるということ。教育という営みそれ自身が抱える間題として考える必要があろう。

 「同和」教育の場面では,このタニンゴトの問題点が,ストレートに出てくる。
 学校「同和」教育での教案づくり。社会「同和」教育で計画案づくり。それらの中に,こういうのがある。
 「生徒(住民)に,差別に対する怒りをどうやって持たせるか。」
 「持たせよう」という発想の中に,すでに,タニンゴトの要素が含まれている。教師や社会教育関係者が集まって,会議を開く。怒りを持たせる方法をめぐって,議論される。ところが,「持たせよう」と考えている側の当の本人(教師)たちに,怒りなど全然ないのだ。つまり,差別に対する怒りを「持っていない」ひと達が,他人(生徒や住民)に対して,怒りを「持たせよう」というわけだ。
 ここには,「タニンゴト的症候群」とでもいうべきものがある。しかも,生徒たちにも,住民たちにも,その「からくり」を見透かされているというのに。

 自戒の念をこめて言うと,学者・文化人には,「タニンゴト的症候群」患者が,さらに多くなる。この傾向が,学者にとくに強いこと。これが,大学の差別的体質を保持してきた原因のひとつでもあろう。タニンゴトで語り,しかもそのことにまったく気づかない体質は,権威主義的態度と直結する。
 残念なことに,差別問題にかかわってきた社会学者の中にも,「タニンゴト」タイプのひとが多数いる。ひじように権威主義的でもある。「私は差別問題に十年以上も取り組んできたんだ」と,権威主義的態度に満ちた言動をするひと。しかも,既成の秩序と権威と権益を維持するのに一生懸命なひと。こういう権威主義的「学者屋さん」や「調査屋さん」に会うと,悲しい。
 権威主義的態度は,差別主義的態度に結びつく。このようなひとが,社会「同和」教育の講師を引き受ける。すると,どうなるか。その「タニンゴト」的悪影響は,計りしれない。
 先述の,研修会講師も,このタイプのひとりたった。
 タニンゴトの問いかけは,参加者(聴衆)を,「差別はいけません」という空題目(空念仏)の世界に引きずり込んでいく。「あなた方の問題ですよ」「みんなの問題ですよ」「国民的課題なんですよ」という形で。
 まず,<ジブンゴトの問題>として位置づけること。ここからしか始まるまい。

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