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教育 「初心忘るべからず」 世阿弥
 入学して一月ぐらいたった時期の中学一年生にむけて,同僚教師が「学年通信」を書いている。ふと覗くとそこに「初心忘るべからず」の文字が見える。少し先輩なので丁寧に「この意味知っています?」と問うてみたら・・・。  
 この言葉はよく入学式で何人かの校長の口からも聞いた。有名な言葉で,教育においてよく用いられる言葉の一つであるが,よく本当の意味を知らずに使うことも多い言葉でもある。  
 「初心にかえれ」「初めて事に当たる新鮮な感動を忘れるな」などと理解している人も多いのではないでしょうか。という私も教員一年目,入学生とその保護者たちを前にして,黒板に書きながら,「これは室町時代の世阿弥の言葉で・・・」と恥ずかしげもなく話していた。  
 本当の意味は,下に抜粋したように「事に慣れ,上達し始め,何か自信が出てきたときの自己満足を戒める」という意味がある。なにやら難しくなってきたが,よく「もう自分は大丈夫!楽勝だ。」などと自信が芽生え始めたとき,ときに落とし穴にはまってしまった,なんて経験がある人もあると思います。(エ〜!こんなはずじゃなかった。うまくいくはずだったのにー!・・なんてね。)
 しかし教育の「誠の花」なんてそう簡単に咲かないぞ。


 能の風姿を花にたとえ、「その風を得て、心より心に伝わる花なれば、風姿花伝と名づく」とされた『風姿花伝』は、子どもの発達段階を踏まえた能の稽古の有りようを示した教育の書でもある。
 ここで世阿弥(1363?〜1443?)は、稽古のスタイルを7歳、12〜3歳、17〜8歳、24〜5歳、34〜5歳、44〜5歳、50有余歳に分けているが、成人までをみれば、これは今日の学校教育における初等・中等・高等の三区分にほぼ対応している。

 世阿弥は、数え年7歳で始めるに際し、「ふとし出ださんかかりを、うちまかせて、心のままにせ出すべし」と述べ、「さのみ、よき、あしきとは教ふべからず」といましめている。教えすぎや管理の致すぎがかえって子どもをだめにするというのである。
 12〜3歳になると、「声も調子にかかり、能も心づく」頃となるから、少しずつ教える内容も多くする。この頃は、少年期の完成期にあたっており、「童形なれば、何としたるも幽玄」で声も立つから、「わろき事は隠れ、よき事はいよいよ花めけり」という状態になる。しかし、世阿弥によれば、この花は真の花ではなく、一時的な花、「時分の花」である。

次の節目となる17〜8歳は、声変わりして、第一の花が枯れてしまう。体も大きくなり、いわゆる「腰高」になって、いままでのやり方では通用しなくなる。それで見物人にも笑われ、自信を失って、いやになる。だからここで「心中には、願力を起して、一期の堺(ママ)ここなりと、生涯にかけて能を捨てぬより外は、稽古あるべからず。ここにて捨つれば、そのまま能は止まるべし」という危機に立たされる。

 この危機を乗り越えて24〜5歳になれば、声と身なりがしっかりして、生涯にわたる芸能が定まる初めとなる。このころの花を「初心」というのであって、いわゆる物事のやりはじめを意味しているのではない。

 世阿弥は、上手になりはじめた頃が最も危険な時期だと見ている。まわりから誉めそやされるままに、「時分の花」を「真実の花」と見誤り、咲き誇った花を枯らせてしまう。その花の種を取り、さらに優れた花を咲かせてこそ「誠の花」となるのであって、それが「初心を忘るべからず」ということの意味である。
 このように、世阿弥の発達論には発達段階の不連続性という新しい概念がもりこまれている。そのために誤解もされやすいが、自分の進むべき道が定まり、自信が生まれた時に油断が生じるという指摘は、発達が子どもだけのものではなく、大人にとっても大事なものであることを教えてくれる。(『風姿花伝』岩波文庫)■滝内大三■

(『教育の名言〜すばらしい子どもたち』P75〜76より抜粋【黎明書房】 )

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