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旅行韓国旅行記−釜山・慶州(1990年8月)
さてこの夏は・・・
 新婚旅行(どこに行ったのでしょう?)で海外旅行に目覚めた?私たち2人は,何を血迷ったか同じ年の夏休みに「パスポートが切れる前に,やっぱり外国じゃー!」。「でも近いところがいいだろう!」というので韓国に行くことにしました。(それから,この9年間行けてませんけど・・・。いつ行けるのだろうか?)
 新婚旅行はLook JTBでいったので,「カードも作ったし,JTBでいいんじゃないん?」という,妻の一言で・・・・・・・決まらないのがこの夫婦の日常なのです。
天の邪鬼の私は,「違うところを試すのも・・」といって,当時呉の中通りにオープンしたばっかりの『日通旅行』の「Look World」(何か名前が似すぎているが,JTBではない)で行くことにしました。
(でも,何とトラブルっぽいことの多い旅行だったことか!後々にいろいろと大反省のお父さんです。)
(余談言うと,この日通旅行さん,今はもう中通りにはかなり前から?もうない。)
『地球の歩き方−韓国』で研究?しつくして,いざ出発だ!!!

福岡空港・・・間に合うか?
 当時(1990年)は,まだ広島空港もなく韓国便の多くは福岡から出ていたので前の日のお昼から新幹線に乗って博多駅に行き,駅近くのホテルに一泊し,翌朝から福岡国際空港で私たちが乗るJAL便を待っていた。
 これで分かるようにいまから比べると,とてつもなく高価な旅行なのだ。しかもグレードの高い個人旅行プランだったのでべらぼうに高かった。(今考えるともっと安い旅行でも良かったとも思うのだけども,・・・若く,まだお金もあった?)
 「この旅程表に書いてある便の番号と違うけど,次に出発する飛行機が私たちの乗る飛行機じゃないの!」と妻。
「そんなことはないじゃろう?」と旅程表の時刻と便の番号を比べながら「・・・おまえが正しい!」,急いで出国カウンターへ!
妻の賢さに感謝しながらも,「どうなっているんだ!(ー_ー#) 」と早くも眉間にしわの寄りはじめた私でした。

あっという間の釜山・・・ガイドさんは?
 初めて乗ったJAL(私のみ)の心地よい余韻に浸るまもなく,1時間もかからずに釜山金海国際空港に着いた。空港ロビーで円をウォンに替えて外に出ると,「LookWorld」の看板を持った女性がいた。
この人が係員だと思って近づくと,やはりそうだったが,この人の一言,「余り出てくるのが遅いので,お年寄りの人かと思った。」で,少しムッとした。
 この人の名前は孫さん(だったと思う)。若くしっかり者のエリートという感じの人だった。この人には,韓国での4日間お世話になった。・・・が,例のごとく?私のあれも見たい!これはどうなったの?!につき合わされ,(この人も結構性格がきつくて・・)大変な客だと思ったかも知れない。
 今にしてそう思います。でも,最後の2日間は,やっと仲良く慣れ,しっかり感謝の言葉を贈りました。それにしても間に立った妻は,いつも思うがえらい!(と,これも後にして思う。)
 旅程表が今,どこに行ってしまったのか?分からないので,思い出すのに苦労しているが,ここ釜山を運転手つきの立派な車(韓国車)で移動しているとここは,やたら坂の多い街のようだ。そして,海のにおいのするやはり,港町だ。港近くの食堂で「辛い海産物入りのごったに」みたいなものを食べ,まず釜山観光に出発した。
(この4日間,食事はすべて孫さんが手配してくれた。私はまずまずおいしく思うものもあったのですが,妻はもうまるっきし口にあわなかったと今でも言っている。)

釜山竜頭山公園
釜山で唯一観光した場所です。わりと観光客の人も多い。でも韓国の人も多いような気がする。この公園には「釜山タワー」があって釜山街を見渡せる。もともとこの公園のある位置がかなり 高いので展望台からは良く見えた。
 でもわざわざ釜山に立ち寄るプランで,この公園に来た目的はもう一つの目玉の「李舜臣の銅像」を見ることだった。この人,日本の豊臣秀吉が朝鮮を侵略したときに亀甲船という船を使って,秀吉の軍隊を撃退したということで韓国では「英雄」になっています。
(ソウルの街でもこの人の銅像を車の中から見かけた。)この人の目は,日本の方角をにらみすえているということだ。あー!あっちが日本なんだ。(私たちは観光客だから,撃退しないで!) 

慶州チョースンホテル
 車で慶州(キョンジュ)の「チョースンホテル」へ。当時もっとも新しいリゾート地といわれた普門湖のほとりにあるホテルです。「豪華ホテル」「近代建築と伝統的なデザイン」とか,ガイドブックに書いてあるので期待したが,かなり期待はずれだった。部屋もそんなに広くなく,明るい雰囲気もデザインに感じられなかった。私は,中途半端ではなく近代建築なら近代建築で統一してほしいと思った。 でも,庭は美しくつくられており,特に夜はイルミネートされていてちょっときれいだった。
でもでも,宮廷料理とあった高級そうな料理は,はっきりいって食べるものがなかったし,楽しみにしていた民族舞踊も曜日の都合でなくなった。また,少し怒りだした悪い癖のある私でした。

普門湖リゾート
普門湖 ホテル近くの広大な公園には,大きな風車や小さな滝,韓国の史跡を形取ったもの,そして湖と緑。なるほど韓国のリゾート地なのだろう。やたらと韓国人カップルの姿が目についた。
 よほど人が良さそうに見えるのか,3〜4組のカップルが,カメラを持ってきて,「撮って下さい!」と言ってくる。(言葉は分からないのだが・・分かる!?),(私たちだって,カップルなのに!)と思いながらも撮った後,とても嬉しそうにしていた彼らの様子を見ていてほのぼのとした心地になった。何と明るく幸せそうなこと!私たちの2人並んだ写真は,ここではあきらめた。

慶州
 翌日車で,古都「慶州」へ。ここは,新羅王朝の都として栄えたところで,日本でいったら奈良・京都といったところか。まあこの街では歩かされたなあ。短く行ったところを紹介します。
「古墳公園」
古墳公園 たくさんの古墳。というより緑の小山だ。きれいに整備してある,という印象がした。写真はその中の「天馬塚」の前にたつ妻と孫さん。(何故かはぶてている〜広島弁〜お父さんは,孫さんと写った写真が一枚もない。ありゃ?でも儒教の国だから・・・と訳の分からない理屈!)
「仏国寺」
仏国寺 慶州の山をぐるぐると登り,着いたような気がする。歴史の教科書に出てくる寺院だ!あの中にお経の入っているという「石塔」もある。(貴重な塔なのだろう,あちらこちらの町中にも模造の塔があった。)でも,塔というには私的には小さすぎるという印象がした。でも山中にこの大伽藍,大したものだ!これを焼いた秀吉の軍隊はやはり憎まれて当然だと思った。
「石窟庵」
仏国寺からさらに山中に入った。本当に淋しい山の奥。仏教僧の修行のためのものというのもうなずける。ここには,新羅最高の仏教芸術とされる仏像たちが,並んでいた。私がおもしろいと少し思ったのは,日本の鐘と同じような鐘がおいてあるのだが,韓国の場合はつり下げている位置が低く,台に穴が掘っている。(響きを良くするためなの?)
「雁鴨池」
「アナプチ」と読みます。新羅の宮廷人の華麗な生活を移した庭と池だそうだ。無理に孫さんに連れて行ってもらった。孫さんは,とても困っていた。お金が足らないらしい。本部と何回か連絡していた。(でも,旅程表には慶州各地をまわれるように書いているのだから,これは旅行代理店が悪いぞ!)結局,行ってもらったが,工事をしていてあまりきれいではなかった。

ここで少し余談
<光復節>
私たちが釜山・慶州に着いた日にちは,8月15日。日本の「終戦記念日」だ。韓国では,この日を「光復節」という。(長い日本の植民地支配から解放された日という意味)ガイドの孫さんが,気を使って「終戦・・・」というので,「本当は何と言うんですか?」と私が問うと,「コウフクセツ」と答えてくれた。帰国するまで,「降伏」とはなんか変だなあと思っていたが,単なる自分の頭のミスだった。

<民防の日>
「古墳公園」の中にある写真の天馬塚(ここは内部に入れる)を歩いているとき,外でサイレンが鳴った!!「外に出ないで下さい!!」とガイドさん。鳴り終わってしばらくして,「では出ましょう。良かったですね。古墳の中にいたから。」と孫さんは言うが訳が分からない。後で分かったことだが,毎月15日,韓国では全国民を対象にした民間防災訓練が行われているらしい。これを「民防の日」というそうだ。私たちはたまたま,古墳の中にいたからいいようなものの,町中や外にいた人は地下道や避難所に避難しなければならないと言う。観光客も例外ではないらしい。今はどうなんだろうか?この当時はまだ,南北分断の影響の強く残る空気を感じていた。

<参鶏湯(サムゲタン)>
慶州での2日目の夕食に,ホテルから少し離れたお店で食べた。鶏1羽の内蔵を取り除き,その中に餅米,栗,ニンニク,高麗人参などを詰め込み,素焼きの鉢でコトコトと煮込んだ料理。高級とかスタミナが付くとかガイドブックには書いてあったが,私の口には合わなかった。味も覚えていないぐらいだ。


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