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旅行韓国旅行記−ソウル(1990年8月)
セマウル号にのって
大邱 車で,テグ(大邱)にある東大邱駅(トンテグ)に行った。ここはソウル,プサンに次ぐ人口200万の都市だそうだが,そんな大都会的な風景はあまり見られず,整然とした様子だった。ここから「セマウル号」という新幹線的?な列車に乗って首都ソウルに行く。約3時間でつくそうだが,早いのかどうか実際はよく分からなかった。
 わざわざ列車で行かなくても良さそうなものだが,外国で列車に乗ることもあまりないだろうと思い,このコースを選んだのだから仕方がない。駅のホームは,日本のように列車の出入り口と水平ではなく, 少し低い位置にあったように思う。ヨーロッパもそうなのかなぁ?少し変な感じがした。
列車内は,割と広く,きれいだった。(ように思う?)車窓から,韓国独特?の家の屋根の形ー△部分の辺のカーブが緩やかーと韓国の農村風景がよく見えた。
韓国の農村  妻が「ほら,ほら地層がはっきりとこのへん分かるよ!」。なるほど学校の地層の勉強には,もってこいの場所が連なっている。でも,あまり理科に知識の少ない私は,「ソウルに行って何を見ようかな?どういう風にこのガイドの孫さんに言えばいいかな?」とばかり考えていた。
 列車内で昼食を食べた。ソウルのホテル(名前を忘れた!)のハンバーグランチだった。孫さんが「おいしいですか?おいしいですか?」と何度も聞く。「おいしいよ!」と答えると,「よかった!」と嬉しそうにしていた。本当に慶州で食べたものよりかなりおいしかったのですが,「何か気を使っているな?孫さんは。」と思ってきた私たちでした。(本当は正直に言うと,妻がそういって私に伝えたのです。)
写真は,「ホームの雑踏」と「農村の風景」

やっと着いた。ソウル!
 列車は,ソウル駅へ。
すごい人の波。訳も分からず,孫さんについて外へ出て,そこで待っていたまたまた立派な運転手つきの韓国車に乗り込んだ。
 まあ,車が進まないではないか。建物もビルが多く,日本の都会と変わらない。でも当然だが目立つハングル歴史的な建造物が所々にあっておもしろい。プサンにあった銅像も見かけた。
 孫さんが車内で言いにくそうに「連絡があって,予定のシルラ(新羅)ホテルがとれなくなりました。」
 おいおい,また・・・!?どうしてこの旅行は予定外のことばかり起こるのか!?また横で冷や冷やしている妻の姿があった。
 孫さん「ロッテワールドホテルになるのですが,いいですか?」。
 良いも悪いも泊まるところがないのでは困るし,ロッテワールドホテルも検討していたホテルの一つだったから,「いいですよ!」ということになりました。
 でもまたまたガイドブックに載っていた「韓国最高級のホテル シルラ」をのがしてしまった。とことん運がないのかなぁ?私たちも,孫さんも?それにしても旅行代理店め!(`´)

ロッテワールドホテル
ロッテワールドホテル  どんよりとした曇り空の中,渋滞を抜け,川(漢江)の側を通りながらやっとホテルに着いた。その前に観光をしたかも知れませんが,詳しい日程は忘れているので,後ほどいっぺんに紹介しようと思います。
 ホテルは,ソウル市内中心部からは少し離れているようだが,建物は近代的で新しく,併設して「ロッテワールド」もある。(でも,もったいないことにこのワールド内では,遊ばなかった。少し今思えば後悔も・・・)
 ホテルに着いてまた連絡していた孫さんが,「ツインがとれません。」「ダブルですけど,あなたたちは夫婦だからいいでしょ!」
いいですよ,とは言ったがこの人,もう少し人をムッとさせない日本語を教えてもらった方がいいんじゃないの?とやはり少しムッとしながら思った。
(でもこのころから,だいたい性格がお互い分かってきだしたのだった。妻は私をなだめるのに一生懸命,「ご迷惑をいろいろと,ごめんなさい。」・・・これは今の気持ち。)
 ホテルの人に案内され,部屋に着く。なかなかきれいで広く満足だ。窓から川も見える。(結構すぐ機嫌が直る。・・・けど直ってない振りをする馬鹿な夫!)
案内の人のてきぱきとしたさわやかな対応にこれまた,このホテルが気に入った。エレベーターで一緒にこの案内の人と一階に下りて私が,「カムサハムニダ」(?)と言ってチップを渡すと,丁寧に断ってきた。 すごいかっこいいじゃんか!と妻と話したのを覚えている。

研修旅行なの?
 ソウルでも,旅程表のコースからかなりかなり違ったコースを案内してもらった。これは無理矢理に!
私(たち?)がきたもう一つの目的と日本にすむものとしての思いなどを,(妻に言わせると)けんかしていたような口調で孫さんと話し,やっとやっと納得してもらって市内の観光コースではないコースにも行っていただいた。

では,硬軟?とりまぜてご紹介します。

パゴダ公園
レリーフ  車を止めるところが近くにないからと,20分ぐらいで出てください!と言われて入ってみた。
 この公園は,日本の植民地時代の1919年に起きた「三・一独立運動」の発祥の地だ。
 園内には,この公園の名の由来だというパゴダ(塔)が並んでいた。独立運動を象徴する「独立宣言記念塔」もある。
入ってすぐ気がついたのだが,ここにはパジ・チョゴリを着たたくさんの老人の姿が目立つ。憩いの場なのだろうか?
 でも,私たちが入ってきたときの視線と雰囲気は何か「よそ者が入ってきたぞ。」と言いあっているような感じ(あくまでも感じですけれど・・・)がした。
急いで後ろの何枚もの独立運動を表した壁画のレリーフを写真におさめないと・・・,と思い一枚一枚次々と左に2mぐらいずつ移動しながら,カメラのシャッターを切っていると,・・・
 一人の老人に呼び止められた。(少し・・かなりヒヤッとした)
 「写真は撮れましたか?日本の方ですか?」 
 (何を言われるのだろうか?写真いけなかったのかなぁ?)
 「はい!」と答えるとそのご老人は,私はこういうものです。と一枚の紙をくれた。
 その紙には,パゴダ公園の略史・・(中略)・・「平和のために歴史を正しく理解しましょう。」「カムサ ハム ニダ ありがとうございました」「日本語ガイド・・・」と書かれてあった。
 この人は,日本のNHKにも出たことのある人だと言っていた。(ああ よかった!内心ほっとした私でした) 職業なども聞かれ,社会科担当だと答えると・・・「きちんと正しく伝えていってくださいね。」と優しく言われた。
 とても嬉しかった。こんな人に偶然会おうとは!時間が迫ってきたので残りのレリーフをカメラにおさめ,礼を言って別れた。
 なぜか心配そうな顔をしていた孫さんにこの老人のことを嬉しげに告げると「それはよかったですね!」と言ってくれた。(やっと分かってくれたよ(^_^)V)

後日の余談
 ・・・日本に帰って何日もしないうちの新聞に目を通すと,私たちが訪れたこの公園に日本の観光団が訪れたときに,老人たちからかなりの罵声?などを浴びたそうだ。この新聞の詳しい内容は忘れたが,やはり目的を持って学ぶ姿勢で行かねばと,二人で話しました。

南山(ナムサン)公園
 もう一つ,観光コースではおそらくないところを紹介します。
 この南山公園は,ソウルで一番高いところにある公園です。途中まで車で行ったが,かなりここでは坂道を歩かされたような記憶がある。
 この公園にきた目的の一つは,公園内にある「安重根(アンジュングン)義士記念館」を見たかったからだ。(安重根は,韓国併合を推進する伊藤博文をハルピン駅で狙撃し,処刑された。韓国ではもちろん独立運動の英雄の一人です。)
 記念館の中には,思ったほどたくさんのものはなく,数分で見てしまったが,当時の抗日闘争の一端を雰囲気だけでも感じることができた。

景福宮
景福宮  李王朝の正宮として1394年に建てられた(現在残されているものは,1968年再建のもの)。とこれはガイドブックから。
 まず目についたのが,広い石畳!きれいで広々としていて,背後の歴史的な建物とよく調和していた。ここでいくらか写真を撮った。
 ぐるぐるとその他の建物と庭を見て回った。ハングル文字発祥の建物というのもあった。ソウルの中心部に・・・ずっと残しておいて欲しいなという思いでした。

国立中央博物館
国立博物館  この博物館のある建物,もととも博物館として建てられたものではなく,日本の植民地時代に「朝鮮総督府」として建てられたもので,そういった歴史を残す意味でも建物自体貴重なものなのだろう。 それにしても立派な建物だった。でも韓国の人々の生活と犠牲の上に建てられたものと思えば,立派な建物も見方が変わってくる。
 ここには目玉である?「金銅弥勒菩薩半跏思惟像」を見に行ったようなものだった。京都広隆寺においてある木製の弥勒菩薩半跏思惟像と材料は違うにせよ,とてもよく似ている像だ。「本当によく似ている!でも韓国の方が少し小さい。」(でも誤解のないように,朝鮮からの渡来人が伝えたものが日本のものなので。)
 韓国の小学生も見学にきていた。館内は写真撮影禁止!なのに・・・ピカッと光った!・・・さぁーと小学生がカメラを服の下に隠していた。・・・この光景がここでは一番おもしろかった。

ソウルオリンピックスタジアム
ソウルオリンピック  なぜかサービスの良くなった孫さんが連れて行ってくれた。
今回でもっとも観光!と言う感じで,妻はここをもっとも喜んでいた。よかった。

ショッピング
 さて,旅程予定にないコースをその他いろいろとまわってもらったおかげで,予定にあった市場とかのショッピングが少なくなってしまった。
 でもしっかり買い物はしましたよ。孫さんに案内されて,どこか分からないけれど数軒のお店に連れて行ってもらいました。
 あるお店で,バッグを見ていて,結構良さそうなもの(私にはさっぱり分かりませんが・・・)があったようなのですが,私たちが「他にないの?」というと,店の小さなドアを開けてくれた。そこには倉庫みたいな物置があって,整然と立派な商品が所狭しと置いてあった。やった〜・・・???
ちなみに孫さんも,自分も良い買い物ができたといって,喜んでいた。
 何せ,プサンと慶州ではあまり買い物はしなかったので,ソウルで少し使ってしまいました。(でも以前の経験から早くからものをたくさん買うと・・・重くてしょうがないのだ。) 


食事
 ホテルでは,「日本食」(たいしたものではないけれど)も食べられたし,夜は焼き肉とキムチが中心で,私は満足でした。
・・・・が,やはりあまりお肉を食べない妻は,「もう行かない!」と言っていた。
 余談ですが,ホテルの隣のデパートでは,インスタントラーメンの袋を店の前に貼って,インスタントラーメンを作って食べさせる店があった。結構繁盛していた。

帰路
 やっと仲良くなりつつあった孫さんと別れ,ソウルの金浦国際空港から福岡へと帰っていきました。
広島に帰り,「どうだった?」と聞くと妻は,「私は気を遣って疲れた!」



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