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奈良・京都旅行記その1−奈良編(2003年8月) |
古都への旅 今年は、小学校6年の優大がとても歴史に興味を持っていて、テーマパークなどよりできれば奈良の大仏などを見てみたいという強い希望により、奈良・京都〜古都の旅に出かけることにした。 そんな話を家族でしていると、3年生の恒心は「新幹線に乗ったことがない!おれは新幹線で行く。」という。実はまだまだ小さい頃、東広島からこだま号で倉敷や岡山には行っているのだが、どうやら忘れているらしい・・(^_^;) ということで、安くはつかない新幹線で行くことにした。でものぞみに乗るのは、私たちとてなぜか初めてであった。「早いけれど、車内はさほどひかり号と変わらないな」と私たちは思いつつも、結構子どもたちはウキウキだった。 |
大阪から奈良へ 新大阪から大阪駅へ、そこから大和路急行で奈良へと鉄道の旅だ。 大阪市内では、「お!大阪ドームが見えた。」、「大阪弁が聞けるかねぇ」などとワイワイ言いながら窓から見える込み入ったビル街をながめていた。しばらくするとビルは消え、田舎の田園風景に変わっていった。少し退屈だったが、ずっと座って行けたことだけでもラッキーであった。 最初の計画では、法隆寺駅で降りて、法隆寺に行く予定も立てていたが、奈良泊を止めて、京都2泊にしたことで、1日目がすごく大変かなということで、結局素通りすることに変更していた。でも正解だった。天気が雨模様だったし、電車に乗り疲れ、かつ歩き疲れては、大仏までにも到達できないかも知れなかったから・・。 JR奈良駅に到着。近鉄奈良駅は学生時分から(就職してからも)何回か利用したが、私もJRで奈良に行くのは初めてだ。割とこぢんまりした感じの駅だ。でも大阪駅のざわつきと違って、私たちにとってはこちらのほうが落ち着くようです。 おそい昼食をダイエーの中のうどん屋さんでとり、観光客でにぎわう、商店街を抜け、東大寺方面へと重い荷物(これはつれあいですですが・・)を持ちながら、てくてくと歩いていった。 |
興福寺〜東大寺・・仏像めぐり! 猿沢池から興福寺へ歩いていると、途中奈良公園名物?の鹿さんが度々近寄ってくる。さっそく鹿せんべいを買ってやろうとするが、封を開けないうちに鹿が寄ってくるので、子どもたちは少し恐々しながらせんべいをあげていた。でもおもしろくなったのか、せんべいを2回も買ってしまった。 広い興福寺の境内を歩き、宝物館に立ち寄った。 ここには学生時代にも来たこともある。少年の面影を残した阿修羅像も好きだが、私はなぜか、ここの仏像群のなかで、仏様たちに踏まれている「餓鬼像」が気に入っている。「踏まなくても・・」という声が聞こえそうな表情にみえる餓鬼たちが、なにかしら可愛く見えてしまうのです。 興福寺をあとにし、東大寺に向かう途中、国立博物館に立ち寄った。ここでも仏像、仏像ばかりだ。でも普通は飽きるだろうに、少し我慢もしていたのかも知れないが、子どもたちも結構見て回ることができた。 やっとのことで、東大寺に着く。小雨も降り始め、歩き疲れて、本当に「やっと!」という感じだが、東大寺に入ってから大仏殿までがまた長い。沿道のお店屋さんをのぞきながら、早くもお土産などを探しながら、ようやく大仏殿に到着。写真に撮ってやろうと思ったが、何度シャッターを切っても上手く写らない。南大門の金剛力士像もそうだったが、思った以上に暗く、大仏もでかいので、デジカメと私の腕では難しいみたいだ。 ここでは、大仏の鼻の穴の大きさににくり抜いた柱を子どもたちが少し緊張しながら、くぐり抜けた。学生時代に妻もくぐったことがあるそうだが、今日はあきらめたみたいです。外国の団体さんも来ていて、その中のけっこう背丈のある頑丈そうな若者がこの柱くぐりに挑戦していた。「無理じゃろう。」と見ていたら、思った通り腰の前で体が引っかかった。でも他の人に前からひっぱてもらって、何とくぐり抜けてしまった。「すご〜い!」と私たち見物人は拍手喝采であった。 |
正倉院??〜京都へ 「せかっく、ここまで来たのだから正倉院に行ってみよう!」の私の一言がいけなかった。 何か開いているような看板を見たような気になっていたもんだから、言ったのだが、これが近いようで、まだかまだかとみんながあきれ声で言うほど遠かった。しかも雨が降っていて、重い荷物を抱えての歩きだからつらかった。 そしてやっとついたと思ったら・・・、「午後4時までじゃぁ〜、なぜ!」。 これが結末だった。校倉造りの建物だけでも見ようと思っても、全く外からは見えない。「これだけ歩いて、4時はないだろう!」と思っても仕方がないのだが、やっぱり観光客にとって4時はきついと思う。翌日の京都もそうだったが、やっとたどり着いて早い時間に閉まっているところもあった。観光相手だけではないだろうが、その観光客でかなり潤っているはずの社寺などは少し考えてほしいと思った。 家族の非難を背に受けながら、またてくてくと東大寺方向へ歩いて帰った。「鹿のフン」のお菓子などを買って、一路・・タクシー乗り場へ急いだ。もう歩く力はない。近いはずの近鉄奈良駅までタクシー行き、京都まで特急電車で向かった。もう立つのもいやなほど足が棒であった。 |