Chi-Circleトップページに旅行記に 奈良・京都旅行記その3
旅行奈良・京都旅行記その2−京都編NO.1(2003年8月)
金閣

やっと京都
リーガロイヤルホテル京都  やっと京都に着いた。ホテルは、京都駅に近い、リーガロイヤルホテルをとっていた。
リーガロイヤルといえば、広島では、市民球場近くのでっかくてとても高くつきそうなホテルのイメージがあったのだが、インターネットで検索していろいろ調べると、期間限定なのだろうか、4人泊まれる部屋があって、これが一人当たりの宿泊料が思った以上にとても安かった。子ども料金はないが、それでも食事代込みで奈良のホテルや旅館に泊まるよりもはるかに安かったので、いったん予約していた奈良の旅館をキャンセルしてここを取った。
 京都駅からホテルのシャトルバスが1時間に6本も出ていて、しばらく待っていると、マイクロバスが到着し、ホテルに出発。ぐるーと京都駅をまわっただけで、約5分で到着。近いことは知っていたが、もう歩く気はなかった。このシャトルバスを今回の旅行では、食事のたびによく使った。
 ホテルの部屋には、通常のベッド2台にエキストラベッドが2台入っていた。想像すると狭く感じるかも知れませんが、これがけっこう広く、値段からしてもとてもお得だったと思う。食事は、またシャトルバスに乗って京都駅に行って食べた。かわった(しゃれた)作りの夜の京都駅も、そこから見える京都タワーなど、昼間とは違った風景となり、おもしろかった。

京都〜バスの旅・・まるで修学旅行?
 2日目、京都駅から、市バスであっちこっちを見て回ることにしていた。
市バスのセンターに行き、修学旅行でよく使う「1日乗車券」を購入した。乗り間違えようが、何回乗ろうが、1日500円なのだ。ややこしい京都のバス路線だが、学生時代4年を過ごした街だから何とかなるという自信もあった。でも路線バスだから多少の窮屈さはあるけれど・・。鹿苑寺金閣
 市バスでまず向かった先は、金閣だ。学生時代は、自転車や原付で東西南北、不自由なく動いていたから分からなかったが、やっぱり京都は大きい街だ。広島弁でしゃべくっていると、親切なおじさんが「ここへ行くにはこう・・。」とか子どもと連れ合いに話しかけてきてくれた。「こんな遠かったっけ?」という感じで、のろのろくねくねと曲がりながら、金閣についた。
 金閣寺の金ぴかの建物や大きな池、よく手入れされている大きな庭をぐるぐるとまわった。子どもたちは、金ピカの屋根のてっぺんの鳳凰が気に入ったようだ。
立命館大学構内にて  つぎに向かったのは、近くの立命館大学だ。ここは私の母校でもあるのだが、それよりも「平和ミュージアム」ができていると聞いたので、ちょうどいい機会だからと足を伸ばした。歩くのもすでに疲れていたので、今にも停留所から動き出しそうなバスを追いかけて、たぶんこのバスで間違いないかな?と思いながら、バスに乗り込んで、すぐ2つ目ぐらいで降りた。
 大学の受付でミュージアムのあらかたの場所を聞いて、少し大学の構内を本当に久しぶりにまわってみた。夏休み中だからもちろん学生たちもまばらだ。20年前と比べて、建物が増えていた。大学の建物の一つに子どもと同じ名前のついた建物があって、えらく子どもも喜んでいた。でも考えてみると、奈良や京都のお寺の広さとこの大学の広さを比べると、毎日何万という学生が学ぶにはやはり小さいよななどと思ったりもした。社寺の土地が広すぎるのかも知れませんが・・。

国際平和ミュージアム
国際平和ミュージアム 平和ミュージアムは、大学の外にある。受付であらからじめ聞いていたので、すぐに見つかるだろうと思って、「お父さんの頃は、ここに中華料理屋があって、ここには・・」とぺちゃくちゃうれしげにしゃべりながら探していると、どこだか分からなくなってしまった。それでも行ったり戻ったりしながらやっと着いた。
ホント過信は禁物だけれど、実際にどでかく立っている建物ではないので分かりにくいのも事実だと思う。案内板がもっと大きく付けられていればよかったのにと思う。
国際平和ミュージアムにて 展示会場は、地下にあった。入ると、戦時中のようすがよく分かる写真パネルや映像、それから衣服や当時のお家の内部を復元した部屋などもあった。その戦時中の部屋に入ると、灯火管制で電球を黒くおおった薄暗い部屋からラジオなんかが聞こえてきて、少しだけタイムスリップした気分にしてくれる。
受付に座っていたおじさんとおばさんが、私たちが広島から来たことを知ると、原爆資料館のこととか、平和教育のことなど親しそうに妻と子どもたちに話していた。おばさんの方は、元小学校の教師をしていたということだ。会場での写真撮影も許可していただいた。ゆっくりと見ることはできなかったが、また機会があれば来たいと思う。  

銀閣〜だんだん足が痛くなってきた
慈照寺銀閣  バスを乗り継ぎ、西から東へ急いだ。銀閣寺道に着いて、しばらく歩いて、やっとおそい昼食を喫茶店でとった。まだまだこれから歩きは続く。
 銀閣に向かう上り坂で、突然恒心が「お腹が痛い。」という。少し休んだがなかなか直らず、それからしばらく歩き、銀閣に着いたが、少しまわったところでまた苦しそうな顔をし出した。おそらく食事時間のくるいと慣れないバスなんかで調子を崩したのだろう。一番しゃべって元気のいい恒心は調子悪くなると、黙りこくるので分かりやすい。
 結局、銀閣の庭や小山をぐるっと一回りできたのは、私と優大だけとなった。金閣と比べると派手さがないので、子どもには不評かなと思ったが、「この方が昔のままだろうね」と優大は関心を寄せていた。ほとんど見ることができなかった恒心の方は、私たちが回り終えたところに妻と待っていた。何とか腹痛はおさまったみたいだ。
 それでも家族みんなかなり疲れていたので、つぎに行く清水寺へは、バスはあきらめて、タクシーで向かった。気さくなタクシーの運転手で、銀閣にたくさんいた人力車の大体の値段(へぇ〜、というほど高いそうだ)を教えてもらったり、清水寺をはじめ、京都の社寺にまつわる話などをしてくれた。何故こんな話ができたかというと、昼間なのにものすごい交通渋滞だからだ。この道は抜けるところがなく、毎日こんな感じだだそうだ。京都の人は気長というか何というか、でも道を造る場所はすでに地下しかないのかも知れない。
 のろのろとタクシーは進み、少しだけ狭い道を運転手さんが近道をしてくれ、清水寺のお店屋さんの少し手前まで行って降りた。この坂を歩いてここまで来ることを思えば、やっぱりタクシーは正解だった。両脇のお店屋さんをのぞきながら、あと少しのぼれば清水寺だから。
奈良京都旅行記その3〜京都編NO.2奈良・京都旅行記その3〜京都編NO.2

旅行記に☆彡奈良・京都旅行記その1に