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旅行奈良・京都旅行記その3−京都編NO.2(2003年8月)
銀閣

清水寺
清水寺 両脇のお店屋さんをちらちら覗きながら、清水寺に着いた。
今は、何十年か?何百年に一回しか見られない仏像が別料金で見られるとタクシーの運転手さんも言っていたが、歩き疲れたこともあってその仏像さんは見なかった。
 やっぱり清水といえば舞台だ。けっこう工事していることが多かったのだが、もう見事に修復されたのか舞台はきれいだった。京都の町が下に広がり、よい景色だ。大木だけで作るのだからこの舞台を最初に作った人たちは、やはりたいしたものだ。
音羽の滝 右の写真は、音羽の滝で、すごく人が並んでいるから止めようと言う妻のいうことを聞かず、金の器?(すごい商売根性だね)を買い、子どもと妻に並んでもらって、撮したものだ。

アテルイの碑左の写真は、社会の教科書などに載っている平安時代の蝦夷の雄アテルイの碑である。東北から征夷大将軍の坂上田村麻呂につれてこられて、京都で没した。このお寺にその碑があるとは知らなかった。

三十三間堂じゃなく、豊国神社〜耳塚
 お土産を買いながら、清水の坂を下り、バス停でバスを待った。来るバス来るバスがほぼ満員で、あと3つ4つ先の停留所で降りるだけの私たちは「降りられないかも?」と乗るのを躊躇していた。この道は渋滞もあるし、バスにも乗りづらいぞ。
 でも、いくら待っても同じだと思い、仕方なく乗り込んだ。ぎゅうぎゅう詰めだ。降りるとき、なかなか前に行けなくてさすがに焦った。それに加えて、このバスの運転手が、(私たちが三十三間堂に行くと思ったのか)、「もう閉まってますよ!」と冷たそうに言う。親切に言ったのかも知れないが、ちょっとむっとした私たちだった。(三十三間堂に行くんじゃないぞ!でも開いてれば行ってもいいかなとは思ったけれど。それにしても奈良も京都もお寺はせめて夕方5時ぐらいまでは開けていてくれてもいいのではないかと思う。)

豊国神社  さて豊国神社はどこだ?すぐに見つかるだろうと思っていたが、広い三十三間堂のまわりをぐるりと歩いても見つからない。これは自分たちでは無理だと思って、近くの国立京都博物館の受付の人に聞きに行った。一人の男の人は、困った様子で「豊国神社・・ですか?」と分かっていない様子だったが、もう一人のおねえさんが「ああ、耳塚や。ここをまっすぐ行って右に曲がって・・」と教えてくれた。博物館には入らないのに、教えてくれてとてもありがたかった。
 耳塚 教えられたところに豊国神社はあった。でも目的の耳塚が見つからない。ここでもお寺をぐるっとまわっても分からないので、神社のお札などを売っている人に尋ねた。「左の道路をまっすぐ行ったところの公園の・・」と教えてくれた。何も買わないし、本当は豊国神社に来たのではないのに、これも丁寧に教えてくれた。
 あった、あった、耳塚。豊臣秀吉が朝鮮を侵略したときに、秀吉軍が戦勝と武功の証として鼻や耳を切り取り、塩漬けにして持ち帰った。それを埋葬し、供養している塚である。
(詳しいことは調べて下さいね。ちなみに耳塚の案内板京都市の案内板はこちらです。)

方広寺〜ホテルに
方広寺鐘の銘方広寺鐘楼 地図で見ると豊国神社の近くに方広寺もあるはずだから、ついでにあのだけ見てみようと思い、豊国神社のまわりを探すが、どこにも「方広寺」というお寺は見えない。「おかしいなどう見ても豊国神社の隣なのだけれど・・?」と思い、近くを通る人に聞いてみるがなかなか分からない。
一人「ここかなあ。」と言ってくれたくれたおばちゃんがいて、教えてくれた場所は普通の家っぽいのだ。少し途方にくれて、目の前の鐘をよく見ると、何か白い部分が見える。やっぱりここだった。最初耳塚を探すとき来た所であり、何度もぐるぐるまわったところであった。何も案内板などもなく、近所の人も知らない。社会科の資料などには必ず登場する鐘なのに、どうしたのかな、と思いながらも写真をぱちりぱちりと撮った。
(よく見ると柱にも「国家安康の銘鐘」と書いてある。まあ個人的には支配者の天下とりには全く興味ないのだが、写真でしか見たことのないものを見られるのは嬉しい。)
 さあ後は、京都駅に帰り、夕食をとり、早くホテルに帰り、休むことにしよう。やっと休める!昨日に続き本当に歩きに歩いた2日目であった。


3日目、雨〜太秦映画村
太秦映画村1 最終日だ。子どもたちも楽しみにしていた映画村に行く。でもあいにくの雨模様だ。
 嵐電に乗って行くのがおもしろくていいのだが、せっかく京都駅の近くにホテルをとっているのだからと思い、駅から京都バス太秦に向かった。幸運なことに今日は子ども無料の日だそうだ。でも雨はますますひどくなっている。
 太秦に着き、映画村までべとべとになりながら歩いていった。入口を入ると、レトロな町並みが小さく作られていた。昔見た電話や電気製品や看板もあって、私はおもしろかった。まず子どもたちと、名前は忘れたが、よくある椅子が動く映画館に入り、小さい子どもたちのTVヒーローが所狭しと展示されている2階を見て回った。
太秦映画村2 外に出ると江戸時代の町並みだ。これは20年前と変わらないかな。でもに扮した人たちが、気軽に写真を撮らせてくれし、以前よりも親切っぽくなっているように感じた。映画のスタジオも見学し、弓矢や手裏剣を投げて遊んだ。雨じゃなかったらもっと遊べるんだけど、けっこう楽しめた。
 昼食も映画村でとり、お土産を買って、大雨の中をバス停に向かった。

帰途〜歩き疲れた、頑張った!
太秦映画村3  雨もどうでもよかったが、考えようによっては、歩きに歩いた2日目に降らなくてよかったと思う。最終日は、ほぼ映画村の中で過ごすことができたからよしとしよう。
 それよりも京都市内の交通渋滞には本当に参った。太秦から京都駅に行くバスは、最初は順調だったが、中心部に近づくにつれ、スピードが落ちてきて、もう1〜2キロぐらいで京都駅だっていうところで、最悪のスピードになっていた。歩いた方が絶対に早い。雨さえ降っていなければ歩くのに、と思うくらいイライラするほどの大渋滞だった。
 あまり渋滞と雨で身体は冷えていたが、幸いなことに時間の余裕をたくさんとっていたので、京都駅に着いてお土産を買うこともできた。
 この旅行、歩け、歩いた、頑張った旅でした。とりわけ子どもたちには感心した。乗り物と歩き、しかも社寺めぐり。ここで楽しそうにできるほど成長していることが一番うれしかった。早くお家に帰って休みたい。そんなこんな思った3日間でした。


旅行記に☆彡奈良・京都記その2