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![]() ![]() 今は、何十年か?何百年に一回しか見られない仏像が別料金で見られるとタクシーの運転手さんも言っていたが、歩き疲れたこともあってその仏像さんは見なかった。 やっぱり清水といえば舞台だ。けっこう工事していることが多かったのだが、もう見事に修復されたのか舞台はきれいだった。京都の町が下に広がり、よい景色だ。大木だけで作るのだからこの舞台を最初に作った人たちは、やはりたいしたものだ。 ![]() ![]() |
![]() お土産を買いながら、清水の坂を下り、バス停でバスを待った。来るバス来るバスがほぼ満員で、あと3つ4つ先の停留所で降りるだけの私たちは「降りられないかも?」と乗るのを躊躇していた。この道は渋滞もあるし、バスにも乗りづらいぞ。 でも、いくら待っても同じだと思い、仕方なく乗り込んだ。ぎゅうぎゅう詰めだ。降りるとき、なかなか前に行けなくてさすがに焦った。それに加えて、このバスの運転手が、(私たちが三十三間堂に行くと思ったのか)、「もう閉まってますよ!」と冷たそうに言う。親切に言ったのかも知れないが、ちょっとむっとした私たちだった。(三十三間堂に行くんじゃないぞ!でも開いてれば行ってもいいかなとは思ったけれど。それにしても奈良も京都もお寺はせめて夕方5時ぐらいまでは開けていてくれてもいいのではないかと思う。) ![]() ![]() あった、あった、耳塚。豊臣秀吉が朝鮮を侵略したときに、秀吉軍が戦勝と武功の証として鼻や耳を切り取り、塩漬けにして持ち帰った。それを埋葬し、供養している塚である。 (詳しいことは調べて下さいね。ちなみに ![]() |
![]() ![]() ![]() 一人「ここかなあ。」と言ってくれたくれたおばちゃんがいて、教えてくれた場所は普通の家っぽいのだ。少し途方にくれて、目の前の鐘をよく見ると、何か白い部分が見える。やっぱりここだった。最初耳塚を探すとき来た所であり、何度もぐるぐるまわったところであった。何も案内板などもなく、近所の人も知らない。社会科の資料などには必ず登場する鐘なのに、どうしたのかな、と思いながらも写真をぱちりぱちりと撮った。 (よく見ると柱にも「国家安康の銘鐘」と書いてある。まあ個人的には支配者の天下とりには全く興味ないのだが、写真でしか見たことのないものを見られるのは嬉しい。) さあ後は、京都駅に帰り、夕食をとり、早くホテルに帰り、休むことにしよう。やっと休める!昨日に続き本当に歩きに歩いた2日目であった。 |
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![]() ![]() 嵐電に乗って行くのがおもしろくていいのだが、せっかく京都駅の近くにホテルをとっているのだからと思い、駅から京都バスで太秦に向かった。幸運なことに今日は子ども無料の日だそうだ。でも雨はますますひどくなっている。 太秦に着き、映画村までべとべとになりながら歩いていった。入口を入ると、レトロな町並みが小さく作られていた。昔見た電話や電気製品や看板もあって、私はおもしろかった。まず子どもたちと、名前は忘れたが、よくある椅子が動く映画館に入り、小さい子どもたちのTVヒーローが所狭しと展示されている2階を見て回った。 ![]() 昼食も映画村でとり、お土産を買って、大雨の中をバス停に向かった。 |
![]() ![]() それよりも京都市内の交通渋滞には本当に参った。太秦から京都駅に行くバスは、最初は順調だったが、中心部に近づくにつれ、スピードが落ちてきて、もう1〜2キロぐらいで京都駅だっていうところで、最悪のスピードになっていた。歩いた方が絶対に早い。雨さえ降っていなければ歩くのに、と思うくらいイライラするほどの大渋滞だった。 あまり渋滞と雨で身体は冷えていたが、幸いなことに時間の余裕をたくさんとっていたので、京都駅に着いてお土産を買うこともできた。 この旅行、歩け、歩いた、頑張った旅でした。とりわけ子どもたちには感心した。乗り物と歩き、しかも社寺めぐり。ここで楽しそうにできるほど成長していることが一番うれしかった。早くお家に帰って休みたい。そんなこんな思った3日間でした。 |