ぷらっと,よりみち,ひとり旅
京都嵐山途中下車の旅〜
(1996.5.3)

 今年のGWはひさしぶりに京都で学生時代の仲間と逢うことにした.といっても具体的な話が決まったのは前日の5月2日夜である.待ち合わせは,5月3日の昼12時に嵐山の渡月橋に集合ということになった.
 時刻表を見て,嵐山に12時に着くには大垣駅を何時の電車に乗れば良いかの見当をつける.すると,大垣を9時35分発の米原行き普通電車に乗れば,途中米原,京都で乗り換えて,11時53分に山陰線の嵯峨嵐山駅につけることがわかった.逆に言えば,これより早い列車に乗れば,途中で寄り道ができることになる.ひとり旅の良さはその時々の状況で,好き勝手に寄り道ができるところにもある.前の日の夜,愛用のディバックに旅グッズを詰め込み,明日は最初に目覚めたときに旅立とうと決めて寝床に就いた.
 翌日.目覚めはなんと午前4時半.軽い朝食を取り,身支度をして自転車で大垣駅に向かう.大垣駅に着くと5時58分発の姫路行きに乗れることがわかった.つまり予定より3時間半早いのである.ということは3時間半ほど寄り道ができるということである.さて,どこまでの切符を買おうか.嵐山への正しい(?) アクセスは嵐電(京福電鉄嵐山線のことを京都の人はこう呼ぶ)だ,というこだわりと,京阪京津線にも乗っておきたかったので,とりあえず石山までの切符を買った.
 大垣から石山までは何度となく乗った路線なので,途中米原で新快速に乗りかえ,途中駅をショーットカットして,石山駅に7時15分に着いた.ここから,京阪石山坂本線に乗り,南に向かえば,紫式部が「源氏物語」の構想を練ったと伝えられる石山寺である.また,反対の電車に乗れば近江八景のひとつ三井寺に行くことができる.わたしはそのどちらでもなく,石山から膳所に向かって歩きだした.
 石山駅の北口を出てNECや日本電気硝子の工場の間を歩く.しばらく行くと旧東海道に出た.べんがら格子のある家の軒先に「例祭」と書いた提灯がかかっている.どうやら今日は膳所のお祭のようだ.歩き続けるとやがて,琵琶湖の湖岸に出た.このあたりは砂浜になっていて,釣りをする人,犬を散歩させる人,バドミントンをする人,そして,ベンチで横になって文庫をめくる人など,さまざまな湖畔の朝をすごしていた.近所にこういう所がある大津の人をちょっとうらやましく思った.わたしもベンチに座ってしばしぼーっと湖を眺めることとした.
 さて,腰をあげて,湖岸を浜大津に向かって再び歩き出す.途中で砂浜からコンクリートの護岸に変わった.石山を出て約2時間で大津港に着いた.大津港では出航待ちのミシガン(琵琶湖遊覧のクルーズ船)の乗組員が記念撮影をする雛壇に座って休んでいた.

膳所の町並み

ひと休みする「ミシガン」乗務員

 浜大津からは京阪京津線で三条にむかった.京阪京津線は京都の三条と大津の浜大津を結ぶ11.1kmの路線であるが,京都の地下鉄東西線の開通と共にその一部が廃止(地下化)される予定である.浜大津を出るとしばらくは併用軌道(車道を)2両編成の電車が走る.山科までは滋賀県と京都府の境の峠,逢坂山を越えるので40パーミル(1000分の40)の勾配が続く.次いで山科と三条の間の日ノ岡峠を越える.蹴上の手前で66.7パーミルの下りとなる.この66.7パーミルという勾配は,JR信越線の碓氷峠と同じ大きさである.そしてこの坂を下りるとまた,併用軌道となり車の間を縫うように走り,京都の中心街,京阪三条駅に出る.昔の東海道53次の終点である.
 京阪三条から鴨川をわたり三条通りを河原町まで歩く.三条大橋から河原町通りにかけてはかなり人通りが多かったが,三条通や新京極,寺町通は,まだ朝早いせいか人影疎らで,通りを商品の入った段ボールを積んだ軽トラックがクラクションを鳴らして走ったりしている.あと1時間もすればこのあたりも人の波で埋まるはずである.新京極通を下がり(京都の人は南に向うことを下がるという)四条通に出る前に,錦通を西へ入る.錦通の寺町から高倉通にかけての約400mは錦市場といわれ,京の台所ともいわれる所である.通りの両側にはありとあらゆる食材を売る店が並んでいる.
 四条大宮から嵐電に乗り嵐山へ向かう.わたしが京都に住んでいた15年ほど前は籐でできた吊り革(?)の古い電車が走っていたが,今は真新しいワンマンカーに代わっている.四条大宮から嵐山までの駅名は,西院,三条口,山ノ内,蚕ノ社,太秦,帷子ノ辻,有栖川,車折,鹿王院,嵯峨駅前である.難読な駅名が続くが,はたしていくつ読めるだろうか.11時30分頃嵐山駅に到着.ここから待ち合わせ場所の渡月橋まではもうすぐである.大垣のわが家を出発して約6時間かかって目的地の嵐山へ到着した.
 この後,友人達と合流し,嵐山の中ノ島公園で弁当を広げてお昼ご飯.そして,河原町へ出て夜9時すぎまで飲み語った.帰りは京都 21時50分の新幹線に乗り,米原から東海道線の普通電車に乗換え大垣についたのは 23時03分.京都からわずか1時間15分ほどであった.大垣駅のホームには 23時08分発の東京行き快速「ムーンライトながら」を待つ人が並んでいた. わたしにとっては旅の終わりであるが,まだ,旅を続ける多くの人がそこにいた.

京都・嵐山

※今回の旅人:koyama family,Fukumura,Tsuge


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