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〜 南極 〜1999年2月5日〜18日
ついに海外旅行へ行ってしまいました。しかも南極。初めての海外が南極とは... 雨男が行ったので当然天候は悪く、みんなからヒンシュクを買ってしまいました。
南極までの遠い道のり(地図)南極Q&A、補足など。2月5日 成田 → ニューヨーク → ブエノスアイレスまずはニューヨークへ向かう。南極へ行くのに北のアラスカの上空を通って行く。何か変な気分。ニューヨークで乗り換えてブエノスアイレスへ。ひたすら飛行機で移動の長い長い1日であった。
2月6日 ブエノスアイレス朝、やっとブエノスアイレスへ到着。着陸時に機内で拍手が沸き起こる。奇跡だったのか? ブエノスアイレスは南半球にあるので当然夏、そして蒸し暑い。ターミナルから出たら土砂降りの雨が...今日は1日ブエノスアイレス市内観光。午前中はバスで観光スポットをまわり、午後はフリータイムとなった。ところが、午後は雷雨... ブエノスアイレスは広々していて奇麗な街でした。
何やら怪しいマーキング。沢山描かれている。
横断歩道を一度で渡りきれないほど幅がある。後ろは泊まったホテル。その上の看板は... 地球の反対側まで来てこの看板を見るとは。
雨男のお陰でこのような風景も見れるのだ。 2月7日 ブエノスアイレス → ウシュアイア6:30の飛行機に乗るために深夜2:45にモーニングコールが...殆ど寝ていない。眠い目をこすりながら飛行機に乗り込み、南米最南端の街、ウシュアイアへ向かう。ウシュアイアの空港は2年前までは「世界一危険な空港」と呼ばれていたらしい。今は新しい空港になっており、ホッとする。風が強く、めちゃくちゃ寒かった。夕方までティエラ・デル・フエゴ国立公園をバスで観光した。世界最南端の鉄道にも乗る。
観光鉄道ですが...
ブエノスアイレスまで3063km、アラスカまで17848km。 2月7〜15日 南極クルーズ(2月7日)夕方から本命の南極クルーズへ向かうため耐氷船ディスコ号に乗り込む。今回のクルーズの乗客は全て日本人なので海外旅行という感じがしない。これから問題のドレーク海峡を横断する。ドレーク海峡は南米大陸と南極大陸の間約1000kmあり、1年中荒れているそうだ。自分も酔うだろうと思うとちょっといやな気がした。
(2月8日)深夜、ものすごい揺れで目を覚ます。体が勝手に移動し、荷物が床を行き来している。あまりの揺れに同室のF氏と大笑い。幸い2人とも酔ってはいないようだ。朝食は揺れのために調理ができず、果物だけになってしまった。とにかく立ってられない。座っていても吹き飛ばされそうになる。コップ、本、椅子、人間、何でも転がってしまう。怪我人も出てしまった。こんな状態で起きているのも辛かったので、1日中寝ていた。
(2月9日)まだまだドレーク海峡を航海している。今日の夕方には南極へつく予定であったが、嵐の影響でだいぶ遅れてしまったようだ。船に付いているGPSを確認すると、まだドレーク海峡の半分しか来てなかった。ガックリ。ドレーク海峡での船の傾きクイズがあった。正解は47.8度。よく転覆しないもんだと感心する。エクスペディションリーダーの話だと、過去のエクスペディションの中でも3本の指に入る数字だと言ってた。
(2月10日)結局、1日遅れで南極へ到着した。早速、鯨やペンギンのお出迎え。揺れもなくなり、ほっとする。夕方、南極大陸に上陸する。南極は平原のイメージがあったが、実際には険しく高い山だらけだった。気温もそんなに寒くなく、八王子より暖かった。大陸上陸の感動もつかの間、ペンギンの糞の臭さ、汚さに閉口してしまう。南極は離れて見るのが一番。
南極上陸。持っているのは鯨の骨。とても重い。
ペンギン。 その後、ゾディアック(ゴムボート)でクーパービル島へ向かう。ここにはペンギンのルッカリー(営巣地)がある。
いかにも "南極" って感じの写真。 (2月11日)今回の南極ツアーで訪れる最南端の場所となるピーターマン島へ向かう。この位置でも南極圏にはまだ到達していないそうだ。ここには避難小屋があり、ウクライナの基地の人が数日前から来てお土産を売っていた。その後、船はルーメル海峡を抜ける。ここは両側が切り立った崖の狭い海峡で、海も氷で覆われている。ここを船で突破する。 午後はヴィンケ島のポートロックロイにある基地に行く予定であったが、海が荒れて上陸が中止となってしまった。郵便が出せる場所だったのでとても残念。慰めてくれるかのように鯨が戯れてくれた。
避難小屋のドアの前で寝ているペンギンのヒナ。
この先がルーメル海峡の核心部。 (2月12日)船は馬蹄形のデセプション島の湾内に入った。ここは火山島、つまり湾内は昔の噴火口のはずなので、温泉に期待を寄せる。その前に捕鯨基地跡に上陸する。上陸地の砂利が暖かく湯気が立っていた。
アザラシ。 午後はいよいよ温泉入浴。温泉といっても、湯船があるわけでもなく、海岸の一部が適温になっているだけ。水際はとても熱く、適温ゾーンは幅1m位だけでその先はとても冷たい。適温ゾーンにいても波がくると冷たくなり、波がおさまるとめちゃくちゃ熱くなる、の繰り返し。拷問を受けているようでした。やはり日本の温泉が一番です。
これでも温泉。 その後、他の島へ向かう予定であったが、海が荒れて上陸できそうにないのでデセプション島内のスペインの火山観測基地を見学することになった。ここを観光客が訪れるのは初めてとのこと。えらく歓迎を受けた。 これで南極上陸はおしまいとなった。あっけなかった。結局南極にいる間、曇りの日が続き、スカっと晴れた日はなかった。あとはまた揺れる船でシェイクされるだけ...
(2月13日)船は南米最南端の街、ウシュアイアへ戻るため、再びドレーク海峡へ。大揺れでクルー2人が怪我。行きは海の状態を見ながら蛇行して航海したが、帰りは怪我人搬送のため、ウシュアイアまで最短コースをとるとのこと。当然揺れはますます激しくなる。帰りは51度まで船が傾いたそうだ。
写真が撮れるくらいだから、この傾きはまだ序の口。
「タイタニックごっこ」をやる人がいないか期待したが、いなかった。(当たり前だ)
クルーは船が傾いても平然と歩く。撮る方は必死。 (2月14日)相変わらず揺れている。が、夕方にはドレーク海峡を抜けたらしく、揺れは収まってきた。最後の夜はクルーの人達も加わって遅くまで宴会が続いた。この日の夜、やっと晴れたので、南十字星を見ることができた。
(2月15日)朝、すでにウシュアイア港に入港していた。久しぶりに街に戻ってきた。港は波が全くなく、鏡のようだった。ドレーク海峡とつながっているというのが信じられない。下船してクルーとお別れした。9日間も一緒に過ごした後なので、お別れが辛い。病院で検査を受けた怪我をしたクルーも特にひどい怪我ではなかったらしい。ひとまず安心。
街を望む。 2月15日 ウシュアイア → ブエノスアイレス下船後は博物館へ行った。世界最南端の刑務所跡が博物館になっている。この辺は何でも"世界最南端のXX"というキャッチフレーズがついている。ウシュアイアを夕方飛び立った飛行機は、途中の街を経由しながら21時過ぎにブエノスアイレスに戻ってきた。この後、夕食を食べに行く。やっとステーキだ!噂に聞いていたアルゼンチンの牛肉、ちょっと硬いけど美味。
2月16日 イグアスの滝観光・ブエノスアイレス → ニューヨーク今日は1日フリータイム。その日の夜の飛行機でニューヨークへ向かう予定となっている。このフリータイムを利用して世界3大瀑布の一つ、イグアスの滝へ日帰り観光することにした。飛行機の遅延、欠航が当たり前のラテンの国のこと、遅れたら日本まで自力で帰ってこなければならない。ちょっとスリルを感じつつ出発。昼ごろイグアス空港に到着してすぐにバスに乗った。しかし、このバスは滝へ行くのではなく、滝とは反対の街へ行くバスだった。仕方がなく、街からタクシーで滝に戻ることにした。運転手も含めると7人が乗ったタクシーは猛スピードで滝へ向かった。滝に着いた途端、土砂降りの雨... みんなのヒンシュクを買う。滝はその大きさ、迫力、体に響く轟音で圧倒されっぱなしだった。
轟音に圧倒される。
カヌーで遊べそうないい瀬があるけど、その先は滝。 さて、イグアスの滝からの帰りの飛行機。なんと定刻に出発した。奇跡だ。これでブエノスアイレスでツアー一行と合流し、無事に日本へ帰れる。作戦成功を祝してシャンペンで乾杯する。ブエノスアイレスへ到着後、国際空港へ向かい、出国審査直前のツアー一行に合流することができた。
イグアスからブエノスアイレスへ戻る飛行機の中から。 ニューヨークまでのアルゼンチン航空はとっても古そうなジャンボだった。しかもコンピュータの故障でツアー客以外は自由席...ちゃんとニューヨークにたどり着くのか?
2月17日 ニューヨーク → 成田朝、ニューヨークのJ・F・ケネディ空港へ。ところが上空で待機している。混んでいるのか? 30分程で着陸体制に入った。なんとびっくり、空港は濃霧だった。着陸した衝撃でそこらじゅうで座席の上の荷物入れが音を立てて開く。恐ろしい。でもなんとか無事に到着した。4時間の待ち合わせで成田行きのノースウェストに乗る。アルゼンチン航空と比べるととてもきれいで快適な機内であった。
2月18日 帰国成田に到着。暖かい。聞けば5月の陽気とか。しかし、リムジンバスで八王子に着くとお約束の雨。今回、行く先々全て悪天候という雨男のパワー全開の旅でした。一緒に行った方々、申し訳ありませんでした。 また、ちょうど同じ時期に南極大陸を徒歩で横断していた冒険家の大場満郎さんも悪天候で断念したとか。これも私のせい?
その後写真を現像した。な、何と半分近くが真っ黒の写真だった。どうも船の揺れでバッグが転がり、中に入っていたカメラが壊れてしまったようだ。特に今回のハイライトのルーメル海峡の写真は全滅...合掌。
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