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社会が正常に感じられない違和感はどこから来るものなのかこの頃よく考える。教育、躾が崩壊し、親や教師に対する信頼が無くなった理由はなんだろう。ボクが思うには今の子供達の横暴さは自由な教育が生んだ弊害だった気がする。良い悪いは別にして日本人の道徳感の中には儒教の心が生きていると思う。この封建的な感覚が薄れ、今の教育には尊敬よりもフレンドシップが勝っている。師や親までも名前で呼ぶ子供達が増えている。だからといって「尊敬よりもフレンドシップが重視される社会」と、「床の間の前に座る威厳ある父親がいる社会」のどちらが優れているかは解らない。
危険な世の中になってきたと思う。毎週のように新しい殺人事件が報道される。その中にでも17歳の凶悪犯罪が度重なるようになってきた。少年達は、17歳である事で殺人の罪が軽減されることを承知して犯行におよぶ。でも怖いのは罰の重さじゃなく人に危害を加えること自体に恐怖を感じなくなったことだ。ボクは人を刺さない。罰が怖いからじゃなく罪(殺人)そのものが怖いからだ。
ボクがそう思う事は社会にとって非常に都合がいい事だ。全ての国民が罪を恐れれば社会は平和だ。ボクは日本人になる事を自分で選択した覚えは無いが、この国では何が罪なのかを常識として教育されてきた。それは自分自身が安全に生活するための渡世術でもあった。
教育の場は家庭であり、学校だった。そこには尊敬と信頼があった。そして時にはテレビや本も人格形成の要因となった。テレビには悪と戦う絶対正義のヒーローや水戸黄門がいた。完全懲悪の世界はシンプルだった。悪の言い分や、美化の入る隙間はなかった。正義は正しく、悪はカッコ悪かった。
それが正しいと言うつもりは毛頭無い。正義と悪は簡単に境界線で分けられるものじゃないし、第一それらの定義は人によって異なるものだ。また、人間の悪を描く事で文学的に厚みが出る場合もある。ただ、正義と悪が混同する事は危険なことだ。悪に脚光を当て、無責任に美化する事は若い受け手の誤解を招くことになる。多様化する教育や情報は益々複雑になって行く。受け手側の感性も当然変わっていく。自由な教育や思想は当然ユニークな人間を育てることになる。その子供達の一人が17歳の凶悪犯罪者だ。
誰もがしない「人を殺す事」を表現して見せた少年達はユニークである事に間違いない。我々は封建的な「躾」が子供の自由を奪う古臭いモノとし、自由な教育のもとにユニークな子供達を育てる道を選んだ。その意味では、彼らはその成功例の一つかもしれない。良い悪いを言ってるんじゃない。それだけの覚悟が必要だって言いたいんだ。
ただ、子供達の心を動かすメディアの質に疑問を覚える。それは、流行歌だったり、マンガ本だったりする。そのモノの影響力は両親や教師の言葉の比ではない。何度もいうけど、良い悪いを言ってるんじゃない。
人を殺す事がカッコいいと思うならそれはそうかもしれない。それはユニークな考えで、「刺す」行為は勇気がいる事なのかもしれない。彼らも好きでこの国の国民になった訳じゃなく、権利も要求したわけじゃない。それは初めから与えられたもので無くなることは想像もしていないだろう。だから義務を果たすだけの我慢が出来ないのかもしれない。
また親や教師も含めて大人も幼稚化してる気がしてならない。娯楽の程度が平均的に中学生レベルだ。別に「スマップ」や「モー娘」を悪く言うつもりはないけども、いい大人と子供とが同じ程度だってのはどういうことだろう?エンターテーメントで老若男女が楽しめることは素晴らしいことだけど、ボクは別の違和感を感じてならない。(今、「スマップ」と「モー娘」の悪口を言ったらみんなに総スカンされちゃうな。)
そして幼稚な親は躾が出来ない。自分が躾られてないから当然だろう。それは愛情にもいえることだ。自分の子供を虐待する親。そんなものは親でもなんでもない。すぐにでも刑務所に叩き込むべきだ。子供を虐待する人間の言い分なんて絶対に聞かない。聞きたくない。
なんだか切なくなってきた。
ボクが好きなフィッツジェラルドの小説「グレート・ギャッツビー」の冒頭で、主人公の父親が主人公に言った言葉がある。「ひとを批判したいような気持ちが起きた場合にはだな、この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ。」
ボクは自慢するような豊かな家庭に育った訳じゃないけど、何一つ苦労しなかったし、両親から充分な愛情を受けて育った。
だからボクは人を殺さない。これは幸せなことなんだね。
'01/01/25
以下はボクが16才のときに書いたモノ。この文章を書いていて思い出した。時代が違うとはいえ同年代のドライブ感はあると思う。
『人間は友達よりも敵をのぞむことがあるだろうか』
考えれば考えるほどわからなくなる。人と戦いたいというのはどこからくるのだろう。犯罪者たちに罰をあたえる社会は正しいのだろうか。社会とは勝手なものであるパターンに当てはまらないものには罰を与えて無理やり従わそうとする。社会に順応できない人を責めるのは正しいことだろうか。誰かを殺した人がいたとすれば、その人はその人の感情や考え方がその様な行動をおこさせたのだろうから、その人を責める理由は「なぜ、あなたはあなただったのですか。」と言うしかないでしょ。誰かが誰かであるのはその人のせいじゃない。それはどうしようもないことでしょ。しかし我々はその人のパーソナリティーをどうすることもできずに社会に順応できなかった理由で死刑にしてしまうんだ。そんな勝手なことがあっていいんだろうか。もしかしたら犯罪者といわれる人々が真にユニークなのかもしれないのに。ぼくは犯罪者をかばってるわけじゃないけど、なんだか納得できないんだ。(1984.8.30)
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