狂牛病が問題になってますね。いつもそうですけど問題になって初めて世の中で何が起こっているのか知ることになります。肉骨粉なんてモノの存在も初めて知りました。(それにしても草食動物にそんなモノを食べさせたり、さらに共食いさせるような行為は神へのボウトクじゃないでしょうか?)その度に自分が知っている事のちっぽけさを感じます。でもそれは気になりません。問題は知りたくないモノにあるように思うのです。知識欲ってモノは興味があるモノにしか向かないらしいですから。
ボクは今までに牛、豚、鶏、羊、馬、熊、etc、陸上の動物だけでもたくさんの生き物を食べてきました。それらは焼けた鉄板に乗ってたり、カラリと衣が着いていたり、串に刺さっていたり、または適度な大きさに切られてラップに包まれてたりしています。ボクが手にするそれらは既に食品として認識された後なんです。ボクはその食品の優劣も考えます。特別な飼育をされたことや、産地のことなどです。でも「生き物」が「食品」に変わる屠殺(蓄殺)の瞬間については思考を止めてしまいます。
豚がその瞬間涙を流すと聞いた事があります。また、箱から首だけ出して、たっぷり成長剤を含んだ餌を食べさせられるブロイラーの話も知っています。でも、屠殺の仕事がどんなものなのか、屠殺場の空気がどんなものなのか想像しようとは思いません。それらは自分の知らない(見えない)ところで済ませてもらいたいと思っているのが本音なんです。
自然保護を歌って儲けた金でフェラーリを乗り回しているミュージシャンも、数分前にハムサンドを食べたくせにこんな文章を書いているボクも相当なインチキですね。
自然と共存することの難しさはどこからくるのか考えます。犬やネコや鳥や馬や猿やキリンや鯨は、おそらく環境保護なんて考えてないと思います。なぜ人間だけが自然に懺悔しながら生きていかなくてはならないのでしょう?
便利になることは多くの弊害も付帯しています。進歩は「時間を節約するもの」か「時間を奪うもの」か本当のところは解りません。ただ、人が生まれて生きて死んでいくように、進歩するエネルギーは誰にも止める事が出来ないのかもしれません。
自然保護なんてスケールが大きすぎてどこから取り組めばいいか解らないけど、「ボクの知らないところで、誰かに任せておけば良い事」では無いのです。ボクはとりあえずボク自信が自然の一部である事を自覚する事から始めようと思ってます。
最近知り合った老紳士がボクに教えてくれました。
「仕事の内容を目的に働きなさい。金の為に働けば必ず道を外れてしまいます。」
ボクは老紳士の言葉に多くの光明を見た気がしました。
ボクが知ってる環境保護をテーマにした最高の歌は「始め人間ギャートルズ」のエンディング・テーマだった曲です。ムッシュかまやつの曲だったと記憶してます。タイトルは知りませんが今でも何となく歌詞を覚えてます。この歌の一番良いところは地球上の生命体全てを信じてる所だと思います。
なんにもない なんにもない まったくなんにもない
うまれた うまれた なにがうまれた
星がひとつ 暗い宇宙に うまれた
星には夜があり そして朝がおとずれた
なんにもない大地に ただ風が吹いてた
後日談。
まんもさんからの情報で上記の曲のタイトルは「やつらの足音のバラード
」なんだそうです。さらにこの曲は小泉今日子がカバーしてたらしいです。さすがキョンキョン!あなどれません(笑)
足音か。。。人間もマンモスもみんな足音がします。もうマンモスはいなくなっちゃたけど。。
地上に足音をたてる者も音自体も平和なモノであってもらいたいと思っちゃいました。