「大人は判ってくれない。」
そんな事を言う「子供」には返す言葉はありません。なぜなら、その言葉自体がナンセンスだからです。
思春期を経験した人、今まさに思春期にいる人はみんな「自我」っていう厄介なヤツと対決した事があると思います。人によってはそれが「存在理由」だったり「愛」なんて人もいるかもしれません。また、どうして自分の心がこうも揺らぐのか誰かに教えてもらいたい人もいるかもしれません。または、全ての出発点になるべきゆるぎない土台を求めてる人もいるかもしれません。または、毎日感じる圧迫感や行き所の無い感情はどこから来るのか知りたがってる人がいるかも知れません。なんにしても厄介モンですね。それらに完全勝利した人っているんでしょうか?いたら話を聞かせてください。「自分はこんなに自分なのにどうして他の誰とも違わないのか。」「自分が自分である理由と証拠はあるのか。」思春期って餌が多くて楽しいですね。ウソです。ボクは今も思春期ですから。
他人に自分の何が解るもんかと思う発想は、自分を理解して貰えない苛立ちから来るものです。確かに「誤解される事」は辛いことです。しかし他人に「完全に理解されてしまう事」はもっと恐ろしい事だと思います。想像した事がありますか?
誰かに伝えたい自分が「本当の自分」なら何の問題もありません。ただし「理想である自分」を誰かに押し付けることはエゴです。もしくは「自分自身の評価による自分」も同様です。それを他人に解ってもらえないと嘆くのはナンセンスだと思うのです。問題は「理想の自分」と「現実の自分」のギャップにあるのかもしれません。
「完全に理解されてしまう事」ということは、無意識のインチキも含めた全てを他人に見抜かれてしまった時です。
見せたい自分とホントの自分の溝の深さを認識する作業は辛い事です。そんなことは全て放棄して「見せたい自分」を他人に誤解してもらってる人は楽チンでいいかもしれません。もしくは本人が見抜かれてないと思ってるだけでも充分幸せです。
なんだか凄くイジワルに聞こえますね。でもこれは人に言うべき事じゃなくって自分自身を戒めてるだけですから気にしないで下さい。
ボクは逆も考えます。「他人を理解できるのか」をです。結論から言ってしまうと不可能と言わざるえません。理由は上と同じです。ボクは他人から相談を持ちかけられる度にかなり凹みます。自分の無力さを露呈するからです。他人の相談にのるという事は相談者の理解が必要です。でもボクに相談者の一体何が理解出来るというんだろう。。それでもボクは相談者の立場や気持ちを想像します。材料は相談者から一方的に聞かされる触った事も無い情報だけです。そんなモノに温度は無いんです。だから相談者のホントの痛みを知ることなんて出来ません。歴史上、人類は同じ過ちを繰り返しています。それは知識としての理解と体験としての理解の差じゃないかと思うんです。相談者に対してボクは適当に調子のいいアドバイスでもして自己満足することは出来るかも知れません。もしくは親身になったつもりで相談者の言葉を聞いていれば、それだけで相談者は満足するかもしれません。ボクが出来るのはそのどっちかです。悔しいけど。
「大切に思ってる人の痛みなら癒してあげたい。」「信頼してる人にだから癒してもらいたい。」と考える人もいるかと思います。そう思うのはたぶん悪い事じゃないです。しかし、そこに存在するエゴとは別問題です。そんなにエゴを怖がってたら何も出来ないと指摘されるかもしれませんが、自分の都合でそのくらいのエゴは仕方ないと開き直る事は非常に危険な事なんです。ホントにちょっとした隙間を見つけてエゴは人の心に忍び込みます。そして良心や思いやりだと本人が思いたがってる中にこそ、その隙間が存在するんです。
ボクは人と人は最終的に理解出来ないものだと考えています。だからと言って、理解しようと努力する事をあきらめたわけじゃありません。本当に考え方の違う人がいたとしても、理解は出来なくても、そんな考え方が存在する事を認めることは出来るはずなんです。その為にエゴと戦い続けるのなら望むところです。
ボクは本当の痛みは人に話したり出来るものじゃないと思います。また、それは何か他の問題の影に隠れてしまって本人がその痛みの存在に気づかないこともあります。痛みの理由が見当違いだと痛さの質も違ってくるんです。どちらにしても痛みを感じることが出来るのは自分の心だけです。そしてその痛みを癒すという事は忘れることじゃなく、完全に受け入れる事が出来た時だとボクは思ってます。痛みは「無」にかえるのではなく「生」に生まれ変わるんです。それまでの果てしなく厳しい道を歩き続ける事が出来るのは自分自身だけです。
世界はあなたが生を受けた時から始まりあなたが死ぬ時に終ります。あなたは何時も世界の中心にいます。あなたはあなたの目で見、あなたの耳で音を聞き、あなたの手で触れます。喜びも、怒りも、愛しさも、悲しみも、全てあなたの中にしか存在しません。それらを感じることができるのは他の誰でもないあなたの心だけなんです。それ程までにあなたは特別な存在なんです。
「大人は判ってくれない」
甘えるのはよしなさい。あなたは悲しいくらいにあなた自身なんです。それがあなたの自我です。あなたが望んだ事なんです。そして自分の自我を主張するのならば自分以外の存在を「大人」とか「他の誰か」と、ひとくくりにするのはフェアじゃない。正々堂々一対一で勝負するべきなのです。
あなたが誰かを解ったと思う以上には誰かがあなたを解ってくれるはずがないのです。
古い映画のポスターを見て思春期ってヤツを思い出しました。彼はは少し熱っぽ過ぎるところもあるけど大切な古い友人です。