渋谷の街では「スクラッチ」が問題になっています。スクラッチとは店舗のショーウインドウなどのガラスに文字や落書きを刻み付ける犯罪行為です。
問題になる以前から渋谷の街は落書きで溢れていました。だから落書きは今に始まったものでは無いんです。ただ最近の落書きには秩序と美徳が無くなってしまった気がします。落書きは場所を選ばくなり空いてるスペースがあれば店舗だろうが公共の建物だろうが関係なく広がっていきました。落書きの上に新しい落書きを書いたり、きれいに修復された壁もすぐに落書きの餌食になります。
そのエスカレートしたカタチがスクラッチかもしれません。スクラッチは傷であるために上書きも修復も不可能です。対象物自体の交換をしない限り元には戻りません。
ボクは落書きはキライじゃないんです。落書きの中には素晴らしい落書きをする作家がいます。色使いがキレイだったり、絵柄が良かったり、景色を素敵にみせたり、もしくは風刺が利いたリアルタイムな落書きをする人もいます。そんな落書きを見てると楽しくなるんです。素敵な落書きだったらボクの家にも描いて欲しいくらいです。でも、今増殖しているのはそんな素敵な落書きじゃありません。素敵なものは増殖しないんです。
そして問題はそこにあるんです。
場所を考えず、そぐわない場所にセンスや才能のカケラも感じない落書きが全てを台無しにするんです。そんな光景を見ると悲しくなるし単純にムカツキます。センスのカケラもない落書きをされた被害者の怒りは別でしょうけど、ボクは環境を汚された被害者でもあるんです。
パブロ・ピカソやアントニオ・ガウディーが落書きをして回ったらどうだったでしょう?壁の盗難を警戒して見張りがついたり、夜間は通行禁止になったり、街に入るのに入場料を取られてしまったりするかもしれません。ここはそんな国です。確かにそれも嫌ですね。それはそれで別の問題は起きるでしょうけど街は汚くならず、新しい落書き文化が芽生えたかもしれません。もしくは素晴らしい落書き作家は「芸術のねずみ小僧」になったかもしれません。
でもそうはなりません。美しいものは稀であり、そこらじゅうにはびこる醜いものにあっという間に踏みつけられてしまいます。そしてそんな構造を作るのは才能のカケラも無い自分を自覚できない人々であり、その存在を助成する社会だと思うんです。世の中は利潤を求め美しくないもので溢れかえっています。
才能が無い事は罪ではありません。才能が足らないことを認めないのが罪なんです。才能なんていうものは少しずつなら誰にでもあります。でも、求めて止まないレベルの才能を持ってる人なんて一握りしかいませんし、才能なんてそれでいいと思うし、しかたない事だと思います。
ニュース番組が落書きをする若者にインタビューしていました。彼らは落書きする理由を語ります。
「自分らしさを出したいから。」
「自分がここにきた証を残す為。」
前者は自分らしさが賞賛されるレベルに届かないことに早く気付いて下さい。あなたらしさは向こう側が透けるくらい充分に伝わってますから。後者は絵である必要すらありません。東京バナナでも買っておとなしく帰ることを勧めます。
さてさて、昔近所の壁に落書きをした子供達はそんな事を考えて落書きしたんでしょうかね?大事なことは絵を描くことの動機じゃなくって、絵そのものなんだけどな。
彼等の増えすぎたイカサナイ落書きは関係者の反感を買って完全排除に向かっています。近い未来に落書きに対する厳しい条例や法律が制定される事でしょう。そうなればきっと街はキレイになります。それはそれでOKです。でも同時にボクが好きな落書きも無くなってしまうのが残念です。言うまでも無く落書きは犯罪です。でも、「落書きねずみ小僧」が大活躍出来るような街に住みたいなって思いました。