ある日の夕暮れの頃である。目黒のとある場所に立ち止まっていると、足元に落ちて来たものがある。飛来物を目で追うと、それは一匹の蝉だった。
ボクは滅茶苦茶びっくりして飛び退きました。ボクは「虫・禁止」なんです。
そのセミはコンクリートの地面の上で転げ回ると、また思い直したようにフラフラと飛んで行きました。彼も少々夏バテ気味なのかも知れません。それにしてもセミを見たのは久しぶりでした。
まだ季節は八月になったばかりです。少々フライング気味のセミだったかもしれませんが、きっと彼はまだ頑張ろうと思ったんでしょうね。そういう姿って、たくましくも見え、また悲しくも映ります。
セミは長い間、地中、もしくは木の根っこ近辺で幼虫時代を過ごします。そして夏の夕方に木に登り羽化します。セミが成虫でいる寿命は1週間とも言われますが実際はひと月くらい生きる事もあるそうです。セミは飼育が難しく観察も困難な為に正確な生態はまだ解ってないのです。
ともあれ、一生の内のわずかな一夏で青春を謳歌しなければならないセミは大変です。きっと悩んだり愚痴ってる暇なんか無いんでしょうね。セミは限りある命を一日一日全力で生きてるんだと思います。残念ながら彼等には去年の夏のアバンチュールを懐かしむことは出来ないんですからね。
だから、セミはかわいそうか?ホントのところどうなんでしょうか?
セミ的には幼虫のままで快適な土の中でゴロゴロしてる方が楽チンでいいのかもしれません。いつまでもゴロゴロしていたいのに、体が変化するもんだから仕方なく木に登ってしまうのかもしれません。地上に出てみれば空気は悪いし、木は少ないし、騒音が凄い。彼等は少ない木を探してそれにつかまり「アチーよー」「つれーよー」と泣いているのかもしれません。
それとも彼等は長い間、土の中で将来の夢を設計し、恋に恋して、やる気まんまんで、自ら変化を望み、羽をはやして飛び立ったのかもしれません。そんな彼等は「生きるってスゲーぞー」「嬉しいぞー」って叫んでるのかもしれません。
そのへんはきっと昆虫学者にも永久に解明不可能でしょうけどね(笑)
どっちにしても都会で暮らすセミには同情します。木が少ないのはもちろんだけど、「さあ、外に出よう!」と思ったら頭の上にアスファルトを敷かれちゃってたり、寝てる間にショベルカーで根こそぎすくわれちゃう事もあるかもしれません。
なんて言ってると、いつのまにか環境保護の話になっちゃうんだけど、最近少し違う考え方に思いあたったんです。人間様が語る環境保護なんて所詮エゴだって解ってるけど、自然を残したいのも、自然を利用したいのも、結局は人間の欲望に変わらないって事なんです。結局人間は全部欲しくって、何一つ諦められないんです。そして永遠の場所も守りたい。
シマウマもブラックバスもキリンもハゲタカもクモザルもきっと自然保護なんて考えてません。生態系なんて言葉も知らない。でも彼等は文句ひとつ言わずにうまくやってる。人間は理屈をこねるだけこねるけど、自分達が作った理屈にさえはみ出している。問題はそこなんです。
なぜ人間が地球を守らなくっちゃいけないんだろう?人間様はそんなに大したものなんだろうか?
神が人間を作ったのか、人間が神を作ったのかは知らないけど、人間が生きたいように生きてその結果、どの種族が絶滅しようが、森が砂漠になろうが、南極の氷が溶けようが、海が汚れようが、オゾン層が無くなろうが、それは大いなる大地の意思なんじゃないんだろうか?それで地球が滅んだとしても、それはただ我々が「滅んだ」と感じるだけで、きっと宇宙にとってはどうでもいいことじゃないんだろうか?もしくは生態系をリセットする事こそが大自然が作った人類の役目なのかもしれない。
ステラーカイギュウやフクロオオカミが絶滅しても誰にも迷惑かけなかったし、トキや海ガメが絶滅しても、きっとおなかはすくし、翌日も新聞は配達される。
ただ、ちょっと悲しいだけだ。
だから人間だってきっと特別じゃない。
今も遠くにセミの声が聞こえます。きっとセミだっていろんなこと考えてるんだよね。
セミ君も頑張れ!