僕はヒートンっていいます。今から少しの間、君に僕の話を聞いてもらいたいんだ。別に正座してくれる必要なんかないし、パスタを茹でながら聞いてくれてもゼンゼン構わないよ。君がリラックス出来るスタイルで聞いてくれればいいんだ。だけど競馬の予想をしたり、リチャード・クレーダーマンのレコードを聴くのはちょっとの間だけ我慢して欲しいな。
最初に謝っておきたいんだけど、僕は金属で出来てるから、僕がする話は君にとってきっと冷たくって尖ってると思うんだ。君にはホントに申し訳無いんだけど、僕がヒートンである以上、自分ではどうにもならないから気にしないで欲しいんだ。
今、僕が話したいのは「優しさ」についてなんだ。うーん‥‥‥、でもその前になんでヒートンなんかに「優しさ」について語られなくっちゃいけないかって君は思うだろうけど、それは間違いだよ。それじゃ君に聞くけど、誰の言葉なら素直に聞けるんだい?もともと「優しさ」について語る資格がある奴なんて一人もいないんだ。
おっと、僕がヒートンであることの理由なんか聞かないでおくれ、それは君が君でいる理由と同じくらいナンセンスな質問だからね。
僕はヒートンである事を誇りに思ってる‥‥‥とまで言わないけど、少なくともヒートンである自分を受け入れたよ。誰でもそうだろうけど現実の自分自身をそのまま受け入れるのは楽な作業じゃ無い。君もそうかもしれないけど、僕だって自ら望んでヒートンって名乗った訳じゃないし、好きでこんなカッコになった訳じゃないよ。僕は勉強熱心でもないし、人気者でもないし、動物なんかを観察して本を書いたりもしない。ちょっとだけ“?マーク”に似ててチャーミングに見えるかもしれないけど、その点では“洋灯吊”にはかなわない。少しくらい得意な事もあるけど何ひとつ一番じゃない。いろんな意味でボクより優秀な奴はたくさんいるんだ。
それに僕は今、便宜的に僕って言ってるけど僕は“男”ですらない。確かに僕は“♂マーク”に似てるし、そんな役目もする事もあるけど、どっちかって言うと“♀マーク”のほうに似ているし、そんな役目もしっかりこなす事が出来る。きっと特徴が薄い平凡な存在って奴は、曖昧な存在であり続けるしか無いんだろうね。
もし君が僕の事を全然知らないんだったらウェブサイトでも検索してくれればきっと僕の写真くらいは見つかるよ。世の中には僕のことを紹介したがる変わり者もいるんだ。もし誰かが僕にわずかな値段をつけてるとことで君が僕に同情してくれたとしたら僕は大丈夫だよ、それは経済的価値のみの指数に過ぎないからね。君が僕に会いたくなったら、東急ハンズの金属金具売り場に行って誰か店員さんに聞いてみるといいよ。彼等はみんな僕の古い友人だからきっと僕のところまで丁寧に案内してくれるだろうからね。
前置きが長くなるから本題に入るよ、どうもヒートンってやつは前置きが長くって困るって良く言われるけど、物事にはちゃんと順序があって、順序を守る事が結局は最短距離なんだな。これはウソじゃないよ。きっとカギヒートンも同じ事を言うよ。
「優しさ」と「思いやり」や「気遣い」を混同してる人が多いけど、それは大きな間違いだよ。「思いやり」や「気遣い」は「技術」に過ぎないんだ。それは「優しさ」を表現するための「技術」だし、優しさの不足分を補う為の「技術」でもある。技術は練習すれば身に付けられるし、系統立てて学習する事も出来るんだ。そういう意味ではテーブルマナーと大差無いね。それは身につけようと思えば誰にでも出来る事で、身につけた人は少しだけ上手に生きられるようになるかもしれない。テーブルマナーを身につける為には目の前に豪華なフルコースが無くってもなんとかなる。料理の味が解かる事と、マナーが使える事とは別の問題なんだ。テーブルマナーの優れた点は正しい方法が全部決まってる事なんだけど、逆に最大の弱点はマナーを必要としない人には通用しない事だね。
「優しさ」にもマナーが存在するんだ。でもテーブルマナーと決定的に違う点がある。優しさを表現する為のマナーは大事なところになればなるほど確立していないんだ。それは誰も教えてくれない。君自身が戦って身につける種類のものなんだ。それは簡単じゃないし、厳しい作業だと思うよ。
僕達が「優しさ」と呼んでるモノは、“そこにあるモノ”なんだ。意識して扱える範疇のモノじゃない。「優しさ」は、その人の本質として最初から量が決まってると思うんだ。これは増やせもしないし減らす事すらできない。優しさが足りてる内はなんの苦労も無いよね。おそらく「優しさ」なんて気にもしないはずだ。でも必要なだけの優しさが足らなくなり、キャパシティーを超えた時点で、初めて「優しさ」を意識するようになる。残念だけどその先は全部エゴの世界なんだ。そんな時に、君はキレて投げやりになるかもしれない。それは仕方ない事だよ。誰も君を責められない。でも君に勇気があるんだったら戦わなくっちゃいけない。それは結構疲れる仕事だよ。ウマくやっても、ダメでもそれはエゴと変わらないからね。でも優しさが足らないのは君のせいだから君が苦労するしかないんだな。それこそが君が君である理由だからね。いいことばっかりじゃないんだ。
自ら優しさの許容量を超えた事に気付いた瞬間、たとえリカバーしようと思ったとしても、それはすでに優しさとは違うものに変わっちゃってるんだ。それは「お金」に近いかもしれない。Give
& Takeだね。自分の身をどこまで削れるか、その先にあるモノは誰かの幸せか?そのウラにある自己満足を優先していないか?それは良い悪いの問題じゃなくって優しさとは違う次元の問題なんだよ。
それでも、もっと優しくなりたいと願うのは君の自由だよ。それも君が君であろうとする理由だからね。そして「優しさの許容量を超えた意識できる部分」こそが君の責任であり君が意識出来る君の人格なんだ。
優しさが足らなければ技術を磨けばいい。それがエゴだって言われようが構わない。人と人が触れ合えば誤解が生まれるのは防げないし、気付けない事もある。でも、「優しさ」から生じた失敗はきっと許せるんだ。気付けばその時点でやり直せばいい。疑うべきなのは、たかが「技術の未熟」であって自分の「優しさにあるウソ」じゃない。「優しさ」から発せられる全てのものは間違い無く美しいって僕は信じてるんだ。
これで僕の話は終わるよ。 最後まで僕の話を聞いてくれてありがとう。僕はそれで充分満足だよ。君が僕を見かけたときに僕の話を思い出して欲しいなんて言わないから安心してね。でしゃばり過ぎた事はちゃんと解かってるんだ。
さてと、僕には僕の仕事がある、僕の居場所に帰ることにするよ。
僕はヒートン。大きな穴があいてるし、信じる宗教さえ無いちっぽけな存在だけど、もし君が自分の優しさの足らなさを嘆いているとしたら、大丈夫だよ。きっと僕も同じだから。僕も諦めないし、僕はそんな君が大好きだからね。