No.36

 マクドナルド郊外店での午後の事です。幼稚園位の男の子達二人が店内を走り回ります。別の一人はゴミ箱のフタをガチャンガチャンと叩き続けています。ウィークデイの店内は利用者も少なく子供達の遊び場にはちょうど良いかもしれません。でも利用者はいないわけでは無いんです。時々大きな声で「静かに座ってなさい!」と子供に注意する母親達は自分達のおしゃべりに夢中です。盗み聞きする必要も無いくらいの音量で話す彼女達の話題は、なんと躾や教育論まで飛び出してきます。恐れ入ります。

 いったいこのお母さん達が実践してる教育って奴はちゃんと機能しているのかと、いらぬ心配までしてしまいます。子育てにはきっと色んな方法論があるんでしょうね。自由奔放な教育もあるし封建的な教育もあります。どの教育方法が正しいのかなんて未来永劫解らない事なんでしょうけど。

 ボクは子供の頃のことを思い出しました。ボクは可愛気ない子供だったかもしれません。小学校低学年の時にボクのパーソナルな問題で先生同士が教育方針を戦わすのを目前にして、ボクはその原因になってる事が辛かった事を覚えています。先生の言う事は正しくなければならなかったのに、その先生達の意見が180度違う事が不安でした。

 また二年生の時に掛け算「九九」を暗記した時にも嫌な思い出があります。授業は1の段から9の段までそれぞれ先生の前で暗唱するテストと、ランダムに15問ほど並べられた問題を所要時間1分で全問正解しなければならない「1分テスト」がありました。1の段をクリアすると自分のカードの1の段のところに合格のハンコをもらえて、9の段まで「暗唱テスト」と「1分テスト」の一つづつハンコを増やしていくシステムでした。暗唱テストは覚えてしまえばOKです。でも1分テストは結構大変です。たとえば4の段のテストならば4×7=、4×3=、4×9=、4×5=・・・なんていう感じで15問くらい続きます。これをいちいち頭の中で「しいちがし、しにがはち、しさんじゅうに・・・」とやっていたんでは時間がかかるし、慌ててしまうもんなんですね。それでボクが攻略方法としてやったのが問題を上から解くのではなく「九九」の順に解いていくやり方です。これならば、いちいち九九をはじめから言い直す必要がありません。確かにこの方法は効果的でボクのカードには誰よりも早く合格のハンコが増えていきました。でも、ボクは卑怯な事をしていると自覚していました。これはいけない事だと思っていました。隣の席の子にボクの不正?がバレて先生に言いつけられた時には、怒られると思うよりも恥ずかしい気持ちで一杯になりました。先生は何も言いませんでしたが、ボクはその後のテストは全部ボイコットしました。先生を裏切ってしまったという気持ちが長く心に残ってしまったんです。

 子供には子供の正義がきっとあるんですね。

 そんなボクも小学校の高学年になる頃には先生も人間なんだって解るようになり、先生だって機嫌がいいときもあれば、そうでない時もあるし、どう接すれば人間関係がスムーズにいくかなんてことも考えるようになりました。そうなるまでは大人のウソやインチキは子供に大きな戸惑いを与えるのかもしれません。

 マクドナルドのお母さん達を見ていて、教育って何だろうって思いました。勉強や知識を教える事は勿論、道徳やマナー、ルールも教える方法があるんでしょうね。だけど、豊かな人間性を育てるなんてことまで考えるとそれは「神」の領域のような気さえしてきます。そしてその基礎となる部分が幼年期に大きく関わって来るんでしょうね。

 ボクは大人がかざす付け焼刃の教育論で子供が育つとは思えないんです。でも大人の存在は子供の教育に間違いなく重要だと思います。きっと子供は小さな目で見つめています。それは大人が口にする教育的な言葉ではなく、身の回りの大人の行動そのものなんじゃないでしょうか?子供は直感的に真実を見極めます。良い事と悪い事の区別は理屈ではなく敏感な肌で感じるんじゃないでしょうか。子供は親の顔の変化を経験的に予測するのかもしれません。つまり教育とは親の生き様そのものなんじゃないかって思ったりしたんです。

 子供もいないし、結婚さえしてないボクが語る事じゃないけれど、思ってしまった事は仕方ない。あーあ、また余計な事を書いちゃった。。

 

02/09/03

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kuntan's note