占領ってどんな状態なんだろうって考えてみました。
携帯電話の高性能化はとどまる事を知らないようです。いまどきカメラ付きはあたりまえ、動画が何分取れて画像のクオリティーがどれだけあるかで商品価値を競っているみたいです。もう電話としての性能なんかどうでもよいのかもしれません。
携帯電話を忘れて外出した時に不安になった事はありませんか?それだけで生活が成り立たなくなる人もいるかもしれません。携帯電話を持っている人の殆どは常時携帯していますよね。寝るときは枕もと、移動中はポッケやバッグの中、食事中もテーブルに出しておかないと落ち着かない人までいます。携帯電話が生活に浸透したという事なんでしょうね。
どこかの独裁者がアメとムチ政策をやってたのを見てどう思いましたか?その独裁者を外国人がやっつけに来ました。外国から武器を持って現れた兵隊達を独裁者の国の人たちはどんな気持ちで見てるのでしょうか?
携帯電話の利用者みんなが「携帯電話料金は高すぎる」「N○Tは儲けすぎだ」って思ってるけど、その便利さに慣らされてしまってもう捨てられなくなっていませんか?だけど「貴方達をN○Tの支配から解放してあげる」と言ってN○Tをやっつけに外国の兵隊が攻めて来たらどうだろう?携帯電話のアンテナ施設にト○ホークを打ち込まれて携帯電話がつながらなくなったらどうだろう?
アメ
= 便利さ、それに伴う安心感。
ムチ =
高額な携帯電話料金。それを無くす不安感。+α
独裁者 = N○T D○C○M○
解放される者 =
支配されてる事に気付かない人たち
支配されている事に気付かなければ、それは支配されてる事にさえならないのかもしれませんね。
前に「カワイイ」という言葉を多用する人たちは、カワイイ理由が必要でないのかもしれないと書きました(No.19にて)。技術の進歩はインターフェースを道具側から人側に近づけます。それは説明書が無くても感覚だけで簡単に道具が使えるようになることです。マルチメディア化は進み、新聞はカラーになり、WEBもどんどん進歩しています。メディアのリアティー化が進むと言葉の表現が不要になるのかもしれません。情報をより疑似体験できれば説明が不要になるからです。文字や音だけでしか伝えられなかった事が映像や動画で伝えられるようになり、そのクオリティーが進めば進むほど情報の鮮度を落とさずに直接伝わるようになります。例えばA子がブティックでカワイイTシャツを見つけます。それをデジカメ付き携帯電話で写真に撮りB子にメールで送ります。B子はTシャツの画像を見ます。その際「カワイイTシャツ見つけた」で文字は足りてしまいます。どうカワイイのかの説明は最初から要らないんです。記憶媒体がよりリアリティーに人側に寄れば寄るほど人が表現する隙間を奪ってしまうのです。
カワイイかどうかは実物を手にした本人が悩めばいいんです。クオリティーの落ちた情報を他人に伝える必要は無いんです。Tシャツを買おうとも思わない人が実物を見もしないでTシャツのデザインだ素材だ寸法だ値段がどうしたとヨコヤリを入れる必要も無いんです。
子供の頃見た本に未来の人類の絵がありました。それは頭でっかちで体が細くまるで宇宙人(?)みたいな姿でした。どうやら未来人は移動手段が便利になり歩かなくなるから足腰が退化し、頭だけを使うようになるので脳が大きくなり頭でっかちになるそうです。でも本当でしょうか?現代人は頭使ってますか?頭を使ってる連中は確かに便利なものを考えて、便利な使い道を考えて、都合のいいエフェクトを加えて頭を使わない人間を支配してます。この支配の仕方が巧妙だから支配されてる人たちはそれに気付きもしないのかもしれません。世界は一握りの頭を使ってる人たちに理屈でごちゃごちゃに掻き回されて好き放題複雑にされてる気がします。
世の中に起こる現象はきっと今もシンプルだと思うのですが、その現象に対する理由付けが複雑すぎるんです。人の数だけ理由が生まれるのはもちろんですが、意図的に耳障りのよい綺麗な嘘も語られたりします。なにはともあれ当事者以外の意見がうるさすぎる事が物事を複雑化したように見せる原因になってるのかもしれません。そして聞きたくなくても聞こえて来る意見には何者かの意図が入り込んでいる可能性が多いように思えます。
理由無く苛立ったり突然キレたりする若者は理由が無いのでなく、それを考える能力をメディアの発展に削ぎ取られてしまって何に苛立っているのかもう全然解らないんじゃないでしょうか?
何をしても世の中は変わらないと思う無力感もひょっとしたら何者かに植え付けられてしまったブレーカーかもしれません。何もしなくても世の中は変わりつづけているし、世の中を変えられると思い込んだ人間によって世の中は本当に変わって行くのかもしれません。
メディアの発展や知的欲求は悪い事じゃないと思います。ただし其れゆえのヨコヤリの増大にも覚悟を決める必要がありそうです。ヨコヤリ情報がいくら巧妙に出来ていても、その理屈が現象自体を凌駕することはありません。理屈だけなら戦争だって良しとも悪しとも都合が良いように説明できます。既に現代のメディアとその道具は世界中の人達全員で容赦なく一個人を攻撃することも可能にしてしまったのです。ヨコヤリなどの自分の非経験的記憶に基づいて悪戯に結論付ける事も、ヨコヤリを増幅する事も、ヨコヤリにヨコヤリを入れる事にも慎重さが必要ではないでしょうか。そしてやっぱり最後には自分の頭を使う事しか残されていないと思います。
占領ってなんだろう?
何が奪われるのだろう?
何を守るべきなんだろう?
既に何かを奪われてないだろうか?
自分は何者かに占領されてないだろうか?
そんな事を思いました。