悲しみも所詮知識でしかないと思いました。
世界にはボクの知らない不幸がたくさんある。でもボクはその不幸を知らないから何も悲しくない。結局ボクには目に映るものだけしか解らないし、その映り方も何かのフィルターを通してしまっている。
加藤大治郎の死も悲しいが、ルーベンスの絵の前で「もう疲れたよ」と眠りにつくネロ少年を思うとやっぱり悲しい。悲しみはリアルとはまったく無関係なのかもしれない。
イスラエルで起こっている自爆テロも悲しい。でも悲しいというより恐いというのが正直なところだと思う。爆弾を持って自爆する人間が自分のそばに来ないとは限らないからだ。
悲しいと思えるうちはまだ余裕があるのかもしれない。それが理解を超えてくると恐くなり、自分に関わる前に逃げるか、やられる前に攻撃するか選択を迫られることになる。
また、悲しいと思うのは条件反射でもある。だとしたら条件が揃えば悲しくなるともいえる。例えば「死」が悲しい事だという前提が無ければ感情に訴える事が出来ない物語はたくさんある。
悲しみは知識の中にあるのだろうか。
ボクには良く解らない。
でも喜びがある場所は知っている。喜びは近くにあるけど、それとは解り辛い。どれも同じように見えるから、外側だけを見ていても解らない。そしてそれは稀であるからこその喜びかもしれない。
喜びとは、きっとこういうモンなんだ。
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