No.54

 地球上の生きものの中でで人間だけが特別な気がするのは何故だろう。人間だけが環境を破壊してる気がするし、人間だけが生きものを殺しすぎる。おそらく人間だけが人間の価値観で人間と他の生きものとを区別し比較ています。

 多くの生きものは身の周りの世界だけを相手に生きています。ウツボのように居心地のよい場所を見つけて目の前の世界だけを相手に生きてるものや、鯨や渡り鳥のように広いフィールドで生活するものなど生活形態は様々ですが、それぞれの五感の届く範囲で生きています。

 でも人間は手に届かない世界を意識して生きる事が出来ます。行った事のない場所から見える景色をあたかも知っているように記憶しているし、自分が存在すらしなかった時代の現象も経験したような気になっています。 会った事無い人の話も平気で話すし、経験した事無い感情に対しても共感した気分になることもあります。

 そう考えると人間は本当に地球上に生きていると言っていいのか不安になります。実のところ現実とはなんだろうか。実際に起きている現象よりも、個人の脳の中で処理された解釈こそが世界の全てなのかもしれません。

 荘子に「井の中の蛙大海を知らず」という有名な寓話があります。井戸の中の蛙は毎日毎日丸く切り取られた頭上の空を見上げていたのかもしれません。彼にはそれが世界の全てなのです。誰がつけたかは不明だそうですが、この話には続きがあります。

「井の中の蛙大海を知らず、されど天の青さを知れリ」

 蛙は空を誰よりも長く見上げていました。だから空を誰よりも感じる事が出来たのかもしれません。空の青さ、深さ、そしてその意味。井戸の中で得意になっている蛙に世界の広さを教えた博識の亀は確かに空の広さを知っていたかもしれません。でも亀に空の青さは見えていたのでしょうか。結局は何もかもがバランスなのかもしれません。ボクはこの寓話に固体としての限界を感じてしまいます。

 固体の限界。人間が他の生きものと一番異なってしまったのはそこかもしれません。人間以外の生き物は過去から未来につなげていく種族の流れの中に存在するように感じます。その為には固体の都合を問題にしません。それどころか固体を迷わず犠牲にする潔さを感じます。例えばカマキリなんか凄いですね。生殖を済ませた雄カマキリは雌カマキリの産卵に必要な栄養の為にその身を捧げてしまいます。壮絶ですね。

 人間はいつから人間の為に生きなくなったのでしょうか。固体としての自分の利益を優先し損得勘定で子供を作ったり作らなかったり、自分の都合で子供を育てたり育てなかったり。

 自分が過去とも未来とも関わりの無い固体ならば、何の責任も無い。まっとうに生きなくても誰かに恥じる必要も無い。そんな理屈がまかり通ってしまってます。おかしくなったのは社会ではなく固体そのものです。そんな連中が生きる社会なんてとっくに滅んでるのかもしれません。

 仏教の世界では、あらゆる執着を捨てれば救われると言います。食欲、性欲、睡眠欲、物欲、そして生への執着。それら全てが無くなってしまえば確かに悩み事は無くなるかもしれません。その通りなのでしょうが、事故を起こしたくなければ車に乗るなという理屈に聞こえなくもありません。

 なにも特別な事は無い。人間だって特別じゃない。そう理解しても、あるがまま自然に生きるということは簡単じゃなさそうです。矛盾するようですが、その境地に至るには大変な修行が要ることなのかもしれません。

 

 それにしてもカマキリは凄い。性的にはかなりアバンギャルドな人類が辿り着けるかどうか解らない程の圧倒的な頂を既に極めてしまっている。きっと、すっごいんだろうなぁ・・・ (それこそ煩悩である)

03/08/27

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kuntan's note