過去のPC(パーソナル・コンピューター)の世界は内向的で、全てに自己完結するのが当然でした。それがWindowsの普及とインターネットの進歩で「独り言」が、世界に聞こえてしまう環境に変りました。多分ボクはそれに慣れていない一人なんだと思いますが、独り言が会話に変化する事は画期的だと思うし、その手段には興味があります。
前にも宣言しちゃいましたが、自分にとってHP(ホームページ)は内容よりもその「手段」の方に興味があったりします。そんな訳でこのHPは内容に必要の無い技術を突っ込んだ大変迷惑なものになっています。
その迷惑の一端を担う手段の一つに
Java
Script があります。Java
Script
を使用した簡単なゲーム作りは出来に関わらず非常に楽しい作業でした。
Java Script
はオンラインしているPCならば何処でもその場で動作するので便利です。ただし
Java Script
も万能ではありません。便利な開発環境が無く、機能の制限も多いので本格的なアプリケーションの開発には向かないようです。
現在は
Macromedia の Flash で遊んでいます。Flash
は多くのブラウザソフトにプレイヤーが標準装備されているのでプラットホームを選びにくく、開発環境も使い易く、機能も豊富です。Flash
は最新のバージョンになって絵を動かすだけでなく、プログラムを組み込むことで複雑なアクションが可能になったので触手が動いてしまいました。Flash
は近頃企業のHPなどでもよく見かけるようになりましたが機能というよりは「見栄え」に利用されている気がします。それでも凝った装飾を組み込んでもHTMLより容量が軽くなる場合もあるので実用的なのかもしれません。
Flash に手を出した関連で、タブーとしていたCGI(BBS等で使用される双方向の情報伝達に利用できる機能)にも手を染めることになりました。特にインタラクティブなWEBページを目指してる訳ではないのですが、手段に興味があるばっかりに動くものなら動かしてみたい衝動は抑えられず、どんどん関連書籍が山積みになってきました。使用するプログラム言語も
VisualBasic、Java Script、Flash Action Script、Perl
と4ヶ国語のバイリンガルぶりで、頭の中でぐちゃぐちゃになってます。
自分の趣味で遊んでる事とは言え、最新の環境の中でしか通じない言葉を使い始めるということは、言葉が通じないPCの割合を増やすことになります。場合によっては、せっかく独り言が会話になったのに逆戻りすることになってしまいます。
ボクの憂鬱の一つ目はPCユーザーとしての自分が話すべき「言葉」の選択です。万能で誰(PCや携帯電話)にでも理解出来る言葉で話すべきなのか、聞き手側に労力をかける事を覚悟でより自分が使い易く話し易い言葉を話すべきかで悩みます。
E-mailで使用されるHTML形式ならばPCだけでなく携帯電話にも話しかけることが出来ます。ただし、技術的には「Hello!」「ThankYou!」のレベルに限られるので、伝える内容を解り易くする工夫と配慮が必要です。手段に適した内容であれば、この環境でも楽しいものは作れるはずです。
HTML形式は一茶や芭蕉にはもってこいかもしれません。でも北斎や歌麿まではなんとかなったとしても、円空は無理そうです。HTML形式の制限上で円空を表現する努力を否定しませんが、より円空に向く環境を作るために技術と機材は進歩した方が好ましいと思います。
機能が多いことが正義とは言えませんが、難解な医学書が、たとえ日本語で書かれていても読み手に医学の専門用語が解らなければ意味をなさないように、複雑な情報を理解する為にはそれなりの準備が必要になるのも仕方ない事かもしれません。
進歩してしまう事はしかたない事かもしれません。進歩を受け入れるかどうかは本人の価値観で判断すればいいことです。ローテクが好きな人はローテクを愛せばいいだけです。だからといってローテクに拘るのも正義じゃないと思います。良いも悪いも時代には時代の技術を活かした文化があるべきなんです。
たとえば現在音楽を作るのに便利な機材がたくさんあります。ビートルズの時代にはそんなもの無かったけれどジョージ・マーティンは限られた機材で素晴らしい録音を残しました。だからといって今ビートルズの機材をそのまま使えば素晴らしい録音が出来るのかと問えばそれは多分正解じゃない。やる価値が無いということではなく、趣向の問題だからです。ビートルズが選択した機材は歴史の道具なんかではなく、ビートルズの時代の道具だったんです。今になってビートルズと同じ機材を揃えようと思ったら、高性能で最先端の機材を揃えるよりずっと高くつきそうです。きっと同じ事を考える輩が多いって事でしょうね。道具が素晴らしいから出来たものが素晴らしいと思うのは早計かもしれません。
変らない技術には意味があり有効なのも事実でしょうが、PCの世界ではリアルに感じる事が出来ません。それはPCの歴史が浅いだけで、古典というカテゴリーに価値を見出せないだけなのかもしれません。多分それは振り返ることが出来る未来にならなければ感じられないことなんでしょうね。
HPは情報媒体としての道具に留まらずHP自体が芸術作品になる可能性もあります。すでにWEBデザイナーという職業は定着したし、WEBアーティストなんていう輩まで出て来た時世です。ただ筆とカンバスがPCとマウスに変っただけで、きっと現代には現代の、PCにはPCの、携帯電話には携帯電話のアートというものがあるのかもしれません。
HPを表現の手段として利用したり、HP自体をカンバスにしたりするのにHPの技術を活用するのは解ります。本来は内容の実現化の為に手段があるべきなのですが、ボクの場合手段使用の為に内容が用意されています。それはあるべき姿でなく技術への冒涜に等しい事かもしれません。手段に興味があるなんて豪語するのはまったくナンセンスですね。これがボクの二つ目の憂鬱です。
ボクの二つの憂鬱に答えはありません。それでもボクは毎日PCを使っています。結局は何をするのも個人の自由と理解するほかありません。結局ボクがすべき事は第三者の為に使うべき正しい言葉を選んだりする事じゃなく、ボク自身が好きな言葉で語ることなんでしょうね。
かなうことならば携帯電話のメールで一句読む一茶や、フォトショップでレイヤーを重ねる歌麿を見てみたかった気もします。でも、それは永遠の謎で良いんです。ビートルズだってシンセサイザーなんて有っても無くてもどうでもよかったんだと思います。大事なのは「手段」ではなく「内容」なんですからね。