No.61

 深夜246三宿の交差点を通過する時に違和感を感じた。それはいつものオレンジの看板が消えているせいだった。

 年末から米国で発生したBSEのニュースは知っていたし、吉野家の一部の店舗が終夜営業を止める事も知っていた。でも実際に電気が消えた吉野家を見て初めてリアルを感じた。

 平成13年9月に国内で最初のBSEが発見され牛肉産業は強烈なインパクトを受けた。BSEの危険性を知った企業は様々な対策をたて、次に発生するだろう危機に対応する準備をしたはずだった。いくつかの牛丼ショップは牛肉を使用しないメニューを増やし牛肉に頼るリスクを減らす対策を立てた。その準備があってか三宿交差点の吉野家の斜向いの黄色い看板は点いていた。

 吉野家はなんの準備をしていたのだろうかと思う。確かに不況が長引き厳しい時期だったとは思う。平成13年8月にファストフードのデフレ競争に対抗し並400円だった牛丼は280円に値下げされた。経費の削減に迫られる中で安全への対応は二の次だったのかもしれない。吉野家が危険を承知で米国一国の牛肉使用に拘る理由は報道された「味のため」でもあるのだろうが、関係者曰く米国の「必要な部分だけを売ってくれる」牛肉販売方法にあるらしい。それによるコストダウンの必要性の方が仕入先を豪州などに分けるリスク回避を上回っていたのかもしれない。採算を考えて「仕入れはそのまま、もしもの時は店を閉める」これが吉野家が用意した対策だったのかもしれない。大義名分をかかえ採算の取れない店舗を閉めてしまえば高い人件費を支払わなくて済む。利用者は深夜の牛丼を我慢すれば済むだけだか、従業員は仕事を無くすことになる。これが吉野家がソロバンをはじいた結論なんだろうか。これは商いではなくビジネスなのかもしれない。

 現在は特盛りの販売中止などで消極的な延命処置を施しているものの、このまま牛肉の輸入が再開されなければ2月上旬には牛肉のストックが底を尽くことが予想されている。

 そのニュースを知ってか牛丼の駆け込み需要も発生しているらしい。無くなると解っていれば無くなる前に手に入れる。高くなると知っていれば安いうちに手に入れる。それが市場というものなんだろう。

 吉野家も焼鶏丼、親子丼、いくら鮭丼、豚キムチ丼、マーボー丼と牛肉を使用しないメニューを準備したが牛丼に比べて割高になるらしい。吉野家から牛丼が消え、割高で付け焼刃的なメニューだけになってしまったらどうなるだろう。本当に完全閉店してしまう店舗が出てくるかもしれない。それはそば屋がそばを売らないようなものだからだ。

 自由経済の国ではそれならそれで仕方ない。米国BSE問題は日本の牛肉相場のみならず精肉相場全てに大きな影響を出している。業者もさることながら消費者にも打撃が及んで当然だ。高い牛丼に興味が無ければ牛丼店は成立しなくなり、世の中から消滅するだけだ。牛丼が無くなったって人類は滅ばない。

 食品の危険性はBSEだけではない。食品の多くはコストダウンの為には強力な農薬や遺伝子操作や保存剤等様々な加工がされている。現在はそれらの食品に明確で直接的な弊害が立証されていない為に生産者にも消費者にも危機意識が少ない。裏返せば安全が立証された食品も存在しない。

 それらのリスクを抱えることよりも1円でも安い商品を選択する消費者の需要が存在する限り食品の効率化に歯止めがかかることは無い。だけどそれは多分それでいいんだと思う。

 ファストフードに過剰な安全性は必要ないのかもしれない。それを望めばファストフードは立ち行かない。安全対策で値段が上がることよりある程度の危険性を承知の上でも安いことがファストフードの役目なのかもしれない。なにも牛丼がファストフードである必要は無い。和牛を使用した高級牛丼があったっていい。この問題は倫理観の問題ではなく280円という経済の問題だと思う。

 それが嫌なら安いものを口にしなければいい。もっと金を稼いで食材に大枚を払えばいい、無農薬などの自分が安全だと信じられる食材だけを食べればいい。280円で一食済んでしまう魅力と安全性は共存しない。自由経済の国ではその選択が国民に委ねられているだけだ。

 これは食べ物だけの問題でない。医療の世界だって同じ事が行われている。自由経済の国には明確に人間の値段が存在するのだ。

 吉野家にファストフードとしての需要しか無ければ早いもの勝ちで280円の牛丼を食い尽くせばいい。いずれ街からオレンジのネオンは消えるだろう。

 巷では「吉野家を心配する声や」「吉野家を応援する声」も聞こえ始めている。そこには老舗吉野家の歴史や社会への確かな影響力を感じる。もし牛丼愛好家や牛丼にお世話になってきた人達がこれからも「吉野家の牛丼」を食べたいのなら、米国牛肉輸入再開まで付け焼刃丼に協力する覚悟が必要なのかもしれない。それは吉野家の為にじゃなく利用者自身の為だと思う。

 

 これって自然環境保護問題に似てると思った。「自然の為の環境保護」なんていう輩は偽善だし、そんなの人間の勝手なエゴだ。正直に「オレがもうちょっと長生きしたいから環境が生きにくくならないように我慢してんのに、勝手に汚す奴はぶんなぐるぞ!」って言うべきなんだ。

 元々生まれない食用牛を大量に生産したり、増えない苗を品種改良や遺伝子操作で収穫効率を上げることは自然破壊じゃないんだろうか?そもそも自分のような貧乏人が牛肉なんか食べられる世の中に無理があるのかもしれない。

04/01/16

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kuntan's note