No.65

ボクは弔辞のスタイルがキライだ。ドリフの長さんのお葬式で加藤茶がやったアレの事だ。長さんに感謝や離別の言葉があるんならそれぞれが心の中で思えばいいことだ。どうしてもマイクを通して語りたいのなら長さんにではなく参列者に向かって語ればいい。これがボクの勘違いでもともと弔辞というものは葬儀参列者の涙を誘うパフォーマンスだというのならボクは盛大に拍手するな。誓ったっていい。

ボクは葬儀が故人の為にあると思わない。葬儀は残されたもののにしか作用しない。なぜ通夜や告別式は参列者が予定をキャンセルしてまで駆けつけるのか考えれば解ることだ。故人のためならば事故や危篤の際に駆けつけるのが本当だ。葬儀は故人に縁のあった者たちを一度に集め、故人に代わり跡取りも末永くよろしくという縁の更新であり、そんなことでもない限り普段集まれない人たちの親交を繋ぐ社会装置として機能する。それが葬儀という「式」の効果だ。そういうんなら納得できる。

長さんが芸能人で知名度が高く、加藤茶も同じ芸能人で役者だからあんなことになっちゃうのかもしれないけど、あの芝居っ気タップリの語り口での弔辞はウンザリだ。ほんとにウンザリだ。

同じ理由でボクは披露宴も大嫌いだ。新郎新婦に対する祝福の気持ちはちゃんとあるけど、そのスタイルにはホトホトまいっちまう。べつに披露なんてしなくていいような連中までも無理に形式をでっち上げて披露したりするのはご苦労なことだ。高砂の目前の一等席に座らされたなんとか議員誰々とか、なんとか株式会社代表取締役誰々とか書かれた知らない連中は誰なんだ。個人に来て欲しかったのなら名前だけで充分だ。肩書きに来て欲しかったのなら個人に用はない。まったく迷惑な話だ。無理に用意する必要性を疑う媒酌人が語る新郎新婦の紹介もうっとうしいが、一番ウンザリするのは披露宴の終盤にお決まりになった花束贈呈だ。頼むからそんなことは家でやってくれ。

披露宴に無くてはならないアイテムがあるかないか知らないけど、結婚式場はビジネスだから形式絶対主義だ。アイテムが多ければ多いほど料金が取れる。ウェディングドレス、ウェディングケーキ、ビデオや写真撮影はもちろんのこと、花束贈呈用の花束までも式場の都合で用意された松竹梅の中から選択するらしい。勝手に用意すると持ち込み料を取られたりする。衣装を選んだり、ケーキを焼いたり、お花をあげるのに誰の許可が要るっていうんだ。なんでそんな無茶苦茶な話がまかり通るのかボクにはまったく理解できない。

そんな場所で挙げる式がどの程度のもんか底が知れる。そもそも結婚式をホテルのバンケットホールや結婚式場でやらなければいけない理由は無い。別に町内会の集会所でもいいし、公園だって構わない。公共の場が大掛かりな私的の利用を好まないのは解るが下品な花見の宴会を許して結婚式を認めない道理は通らない。

それでも挙式を自ら仕切るのは大変だと思う。準備や仕切りはもちろんの事だが人と違った事をするのにはどえらく無駄なエネルギーがいる。挙式は両親や親族が納得できるマットウナカタチにしないとダメだという人もいる。この場合、納得できるカタチって何なのか?何故そのスタイルが嬉しいのか考えればいい。そんなの清原がホームラン打って嬉しいことと同じレベルだ。清原のホームランが嬉しい人には彼のホームランが正しいスタイルだ。打たれて悔しい人の苦悩を理解する必要も無い。一部の関係者を除けば彼のホームランで損得が発生する訳じゃない。それでも清原が打つと嬉しい人は大勢いる。そんな人達は何故自分が清原のホームランを嬉しく思うようになったのか疑うことは無いだろう。ブライダル産業はそんな大勢の人達の無自覚で影響されやすい価値観をエサにして巨大化したんだと思う。

そんな連中に自分達にとって何が重要なのか説明してまわるのは過酷な作業だ。労力だけで比較すれば結婚式場で挙げる式は簡単でいい。潤沢な予算があれば体裁良く全部誰かが用意し進行てくれる。その体裁の良さが招待客に「いい式だった」と思わせる安全作だと誰もが知っている。だが楽をしてまで重んじる形式なんて笑止千万。それこそ客人に無礼なはずだ。それでも披露宴を体裁良く行わなければならないと思うところにとびきりのインチキがどっかりと鎮座している。そんなことは露知らず、ブライダル産業が用意するデコレイトされたスタイルと演出されたイメージに憧れまで抱いてしまう人は少なくない。ブライダル産業はそうやってバカらしく理解できない形式を、さも民族行事のようにでっち上げ、イタイケナ婚約者や関係者達を洗脳し利潤を上げ続ける。洗脳に成功すればクレームは無い。日テレを見たせいでジャイアンツファンになったと訴える人がいないのと一緒だ。まったくたいしたもんだ。

言うのは容易い。ボクだって披露宴に招待されればブライダル産業の占領下で迷彩服を身にまとい目立たぬように参席する狡猾さを持ち、おとなしくインチキを作り上げるパーツの一つに溶け込む小心者だ。ボクだって信者の集団にはむかうのはものすごく恐い。

宗教に無頓着な人を悪く言うつもりはまったく無いが、そんな人たちに限って婚儀の宗教儀礼を抵抗無く受け入れる。逆に宗教をかじったことのある人が人前式を選ぶ傾向にあるのは興味深い。前者の挙式は実にチンプンカンプンだ。特に教会スタイルは面白すぎる。それっぽく見える神父だか牧師だか解らん外国人は誰なんだ。突然現れたそんな雇われ外人のヘンな発音の日本語に指図されて何を誓おうというのか。あぁ、ナンセンス。まったくもってナンセンス!そんなことは二人だけでやってくれ。

まあこっちを向いてボクに誓ってくれても困ってしまう。そもそも何故誓わなくてはいけないのか考えれば解りそうなもんだ。夫婦でありつづけることは約束するしかない。結婚は制度で法的にも契約だからだ。ただし誓うのが「愛」だったらもう完全にお手上げだ。確かに縁もゆかりもない外人に適当に誓っといたほうが罪が軽そうだ。ボクが知らないだけで、結婚式は本来そういう仕組みだったとしたらボクは涙を流しながら参列者全員に抱きついてまわるだろうね。誓ってもいい。

宗教を信じることで救われる人は救われればいい。人が救われる事は並大抵のことじゃないから高額なお布施も支払う本人には高いなんて微塵も感じないはずだ。披露宴もそれと同じでスバラシイ披露宴をやりたい人はやればいい。それが幸せな人には間違いなくそれが幸せなことなんだと思う。幸せなことは各々大事にしたほうがいい。幸せなんて簡単に見つかるモンじゃないからね。

数々の暴言をはいたけど、ボクの言うことだから真理でも正義でもない。ボク自身10年後に同じように思ってる保証なんかまったくない。言うまでも無く既に披露宴を挙げた人は想い出を大切にすればいいし、これから式を挙げる人は納得いくステキな挙式にすればいい。ボクもボクの思想において新郎新婦を祝福する気持ちと、ボクの知らない領域に踏み込む潔さに対して尊敬する気持ちはちゃんとある。ただインチキなブライダルスタイルにボクを巻き込むのは勘弁してもらいたいだけだ。

自分が真っ直ぐだなんて思ってないけど、ボクが「ひねくれてる」と思う人はボクと逆方向に「ひねくれてる」可能性があるから気をつけてね!

 

04/03/31

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