No.73

あれだけ言っても投票率が上がらない。それどころか若者の政治離れは加速している気さえする。若者は本当に国の未来を考えているのかと嘆く声も聞こえて来るがボクはそうは思わない。有権者が政治に参加する方法が選挙しかなく、その選挙が人を選ぶシステムである以上、本気で民衆の一票が政治を変えられるなんて思わない。選ばれた政治家達で構成される議会というものは有権者にとってどうにうもならないくらい理解不能なものだと思う。

町内会の会長を選挙で決める町があるかどうか知らないが、その場合の選挙は限りなく自分の生活に近くリアルだ。町内の政策に変更があれば肌で感じることが出来る。町内会と言えども選挙に当選した町会長が公約を守れるか守れないかは政治家としての能力の問題だけではない。利権や他団体との競合は町内会にも起こりえる。また当初の公約自体が他の弊害を生み利益を生まない事に気付く場合だってある。既にその時点で政治不信が芽生えてしまう。それでも町内会ならば有権者は政治家と実際にコミュニケーションを取れる距離にいる為に実情がフィードバックされ易い。これが市議会議員や県会議員になったらもう無理。国会議員なんて何者が何をしたいのかなんてさっぱり解らない。衆議院に誰が当選すれば何かが変わると信じてる人がいるがホントの所は全然解らない。それは“キムタク”や“あやや”がどんな人かっていう噂をさも彼等が自分の古い友人のように語る愚かさに等しい。それはただの噂だし無責任なイメージだ。

仮に公約を実現する政治家がいたとしてもその仕事が歓迎されるものかどうかも解らない。例えば自動車を買おうとする。条件として経済性を重視して燃費の良い車を選ぼうとする。多くの人は実車を見にディーラーを訪れセールスマンの説明を聞いたり、パンフレットや専門誌を見て研究したりすると思う。多くの情報を検討しその結果一番燃費の良い自動車を購入して満足することが出切るかもしれない。ただし残念ながら事実はそんなに甘くない。選んだ車の燃費がホントに良かったとしても車の維持費は燃料費だけではない。消耗パーツにどれくらいかかるか、自動車にかかる税金は、任意保険の料率は、その車の耐久性は、さらに車とドライバーとの相性(使い方)だって考慮しなければならない。それら全ての効率が良くなければ折角の燃費の良さが台無しになってしまう危険性がある。毎年のようにモデルチェンジする自動車には耐久性の実績がないから保証も無理。カタログスペック最重視の民族である日本人なのに、どのカタログを見ても耐久性に関してのスペックは無い。これは家電製品全般にもいえる。最近の家電製品は確かに安いし性能もいい。ただし直に壊れるし、修理が出来なかったりする。さらには修理するより買った方が安かったりする場合も少なくない。それは購買者が耐久性よりも価格の安さを重視した結果、そんな経済循環が出来てしまったからではないだろうか。言い換えれば耐久性という性能には需要がついてこないということだ。

自動車を選挙に例えれば自動車のパンフレットは公約、セールスマンのセールストークは演説、雑誌の評価はマスコミの見解だ。仮にそこにウソが無くても真実とは限らない。燃費がいいと解り易いセールスポイントだけで立候補し選挙戦を勝ち抜こうとする候補は多いが彼等にとってそれがホントに必要かどうかなんて問題じゃない。公約は耳障りがいい事が全てだ。燃費を重視することで省かなければならない落とし穴は無いだろうか。素人のボクが考えるだけで自動車のメカニズムは複雑でコストとパッケージのバランスは難しい。三菱自動車だって作りたくて不良品を生産した訳じゃないだろうと思う。こんな事を言うと怒られそうだが、購買者を納得させるパッケージを考えればおのずと不良品になるという構造は三菱自動車だけの責任じゃないのかもしれない。

選挙はどうなんだろう。政治は複雑でより正解が見えない。政治家が当選する為には語れない事実は無いんだろうか?それは製品が死亡事故を起こしたとしても揉み消さなければ会社が存続できないという人道を外れる危険を踏まえていないのだろうか。我々は選挙によって三菱自動車のような性格の政治家を議会に送り込んでいないだろうか。

我々は“キムタク”や“あやや”と同じように小泉純一郎を知っているつもりでいる。内閣総理大臣というポストを知っているつもりでいる。さらに合衆国大統領ジョージ・ブッシュまでも知ってるつもりでいる。ジョージ・ブッシュが湾岸戦争を起こしていると多くの人が思っているがそれだって解らない。ブッシュが失脚したとしてもそれは合衆国の世論でさえないのかもしれない。ケリー候補が後釜に就いたとしても大統領の支持基盤が首の挿げ替えを行っただけかもしれない。アメリカの意思はアメリカ人にさえ決められないのかもしれない。それは軍事産業かもしれないし、サウジアラビアのオイルダラーと結びつく経済組織かもしれないし、イスラエルと結びつくネオコンかもしれない。実際のところはアメリカの有権者も知りえない。民主主義による政治は平等な選挙を建前にしているものの間違いなく一部の連中の力関係でバランスしている。そしてそれはシステム上、選挙で変えられないように出来ている。そのシステムを作り利用しているのは誰なんだろう。

政治とは利権だと思う。政治家を抱えた団体や企業(そんなもんがあってはいけないのだがしかたない)の構成員は自信を持っておかかえ議員に一票投じればいい。ただし利権と関係無いキムタクの自称友達が勝手なイメージでキムタクに一票投じるのは危険だ。それだったら投票なんかしないほうがいい。そんな事言ったら政治家は宗教団体か官僚出身者だけになると指摘されるかもしれないけど、選挙が多数決でそれが民主主義の正義ならばそれが自然な姿だ。それは選挙制度や議会政治の完成度問題だ。上手く利用したものが勝つのは当然だろう。

有権者の政治参加の為に選挙は当たり前の行為だと思っている人がいるかもしれないが、日本の選挙の歴史はそんなに古くない。今から115年前、1889年(明治22年)に納税額15円以上(今なら5億円くらい?)の25歳以上の男性に選挙権が与えられた。その後1900年(明治33年)には納税額が10円に、1919年(大正8年)に3円に引き下げられる。1925年(大正14年)には納税額の条件が撤廃され、1945年(昭和20年)になって年齢条件も20歳以上に引き下げられ、やっと女性にも選挙権が認められるようになった。選挙が現在のスタイルになって59年、その月日が長いのか短いのかは知らないけど、政治は民衆とは無縁で計り知れない世界であり続けている。

もちろん納税額に関係なく国民全てに選挙権があった方がいい。でも選挙権は権利であって義務じゃない。政治に興味を持ち勉強する事は悪くない。ただし選挙に行け行けと強要する風潮はどんなもんだろうか。無理に選挙に行って知らない人の名前を書くことで安心してる人を増やすのはナンセンスだと思うんだけどな。それは野球を知らない人に無理に投票させてオールスターゲームをやるようなものだと思う。

票が無くては政治家には成れないが、票の数だけでは政治は動かせない。ならば政治は何で動いているのか、そこが変わらなければ国が変わるはずないし戦争も終わらない。誤解が無いように言い直せば有権者の貴重な一票で政治家が失脚する可能性はあるが、政治そのものは有権者の思うように変わるモノではないということだ。

 

04/07/24

以前に思った事 '04/06/14へ

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