先日、TVのバラエティー番組をみました。出演者が「へぇー、へぇー」ってボタンを押す例の番組です。その番組で英語の“NICE”のもともと意味は“ばか”だったという題目がありました。
言葉の意味が変わることは最近でもよくあります。映画「バットマン」が流行った頃から“BAD”が“COOL”と同義語に解釈され始めました。“COOL”は「カッコイイ」と解釈されますが、もともとは「冷徹な」とか「無礼な」という意味の方が語源に近いのかもしれません。
日本でも流行することを「ブレイクする」なんていいますが、これなんかも「壊す」とか「打ち破る」という意味と違う気がします。また「いい人」も誉め言葉としては使われなくなったようですね。「○○は、いい人です」の後には「だけど〜」という否定の文節が当たり前のように付いて来ます。
言葉は生きています。だから変わっていくのは当然です。若い人達の言葉が乱れ、昔の美しい言葉が失われていくのを悲観する人も多いと思いますが、言葉が道具である以上、道具は使う人の為の物で使い易いように使えばいいのです。今の言葉を嘆く人だってもっと前の人達からみれば嘆かわしく思われていたのかもしれません。
言葉の意味が少しずつ変化するのはありそうな事ですが“NICE”が“BAD”になるようにまったくの対義語になってしまうのは極端ですね。でもそのカラクリは単純なことのように思います。
例えば「アーティスト」と聞いて貴方はどう思いますか?「アーティスト」も意味を失いかけている言葉かもしれません。TVでバカな歌番組かなんかを見ているとたくさんの「アーティスト」が出てきます。歌も演奏もどうにもならないような連中もみんな「アーティスト」でいらっしゃいます。「アーティスト」とは「芸術家」、つまり職業です。バカな演奏やダメな歌でもCDを数十万枚売ってしまえば立派な職業ですから彼らは間違いなく「アーティスト」でいらっしゃるのです。
ほらね意味がおかしくなってきた。
それでも現在は「アーティスト」に憧れを持つ若者が大勢いるようです。若者に将来何になりたいの?と聞くと「アーティスト」と返ってくる事が少なくないようです。その場合の「アーティスト」はバカな番組に登場する連中の事だと解釈した方が安全です。確かにメジャーリーグでヒットを打ちつづけるイチローには成れそうも無いけど、TVで適当に歌って踊って大金を稼いでる連中にならば成れそうな気がするのかもしれませんね。そして「アーティスト」という称号も憧れの対象なのかもしれません。
でも「アーティスト」になるのはそんなに大変な事じゃないんです。例えばボクが今年の確定申告から職種欄に「写真家」と書いてしまえば写真機材やフィルム代を全部経費で落とせるようになります。ついでに名刺に「フォトグラファー」とか書いちゃいましょうか!それで立派なアーティスト完成です。写真家になる為には資格もオーディションもいりません。アーティストなんて自称でOKです。ただしそれで生計を立てるのは大変です。いい写真を撮ったからといってお金を稼げる訳じゃないし、写真なんか撮らなくても大金を稼ぐ写真家がいるかもしれません。
「アーティスト」であることは職業のことだけではなく生き方や類稀な才能の持ち主の事だとしたいなら、めんどくさいけど「アーティスト」に変わる新しい言葉を作らないといけませんね。「アーティスト」という言葉のブランドは既に踏みにじられてしまったようです。こうして言葉は失われて行くのかもしれません。
芸能人を「タレント」と呼んだりする事もありますが「タレント」の意味は「才能」です。このところ何の芸も持たない芸能人が目に付きますがそれでも彼らはTVでギャラをもらえるから職業として成り立っています。だからといって誰もが芸能人になれる訳ではありません。彼らは芸能以外に何かしらの「タレント」を持っているのかもしれません。「タレント」になるためには大勢の人たちの「アイドル」になる必要があるのかもしれません。「アイドル」の意味は「偶像」とか「崇拝」です。彼らの商売が成り立ってしまう原因はその「タレント」や「アイドル」を欲っしてる人たち側にあるのかもしれません。
さらにそんな需要を作る黒幕もいます。半端な「アーティスト」を起用して適当なCDをつくり、さらにそれを数十万枚売ってしまう「プロデューサー」や「アレンジャー」と呼ばれる人たちです。彼らは今後「マジシャン」とか「錬金術師」なんて呼ばれるようになるかもしれませんね。
生涯に一行も詩を書かなくても本当の詩人はいます。同じように生涯一度も芸をしなくても本当の芸能人がいるのかもしれません(笑)
おっといけないまた脱線しそうだ。
これからも言葉はどんどん変わって行くんでしょうね。でも消えた美しい言葉は二度と戻ってこないように思います。言葉が失われれば素晴らしい文学も生まれる事はないかもしれません。
クラッシック音楽は今でも演奏されています。でもバッハやモーツアルトを超える作曲家は何百年経っても現れません。油絵だって続いています。でもピカソやゴッホを超える作家も現れません。ロックだってジャズだって実はとっくの昔に終わってしまったのかもしれません。何故だろう?ただ「時期」が過ぎてしまっただけなんでしょうか?それとも国民全てが中流意識で低意識のこの国に芸術が必要無いだけなのかも知れません。もしかしたら明確な階級社会にしか芸術は育たないのかもしれない。ローマに芸術が華開いたのは奴隷の労働のおかげだったのかもしれない。そもそも犠牲亡き芸術なんてないのかもしれない。戦争があるから平和が望まれるように、多くの犠牲があるから芸術が必要なのかもしれません。
現在の依存しあった世の中では芸術どころか言葉さえも失われて行きます。身分の差が無くなればホントは尊敬語も謙譲語も必要無いのかもしれません。それは嘆くべきことなのか望んだことなのかどっちなんでしょうかね?
失われる言葉に悲しむより先にボク自身に重大な問題があるようです。自覚してはいるのですが文法が崩壊する事が多くなりました。書いてる内容に問題があったり訳が解らない主張になるのは仕方ないとしても、文法が滅茶苦茶なのは日本人としてとても恥ずかしい…(笑)
今年は日本語の勉強からはじめましょうか。