No.78

甘え上手な人っていますよね。甘えるというのは身を切らずして要求を得る身勝手な行動です。それなのに上手に甘えられるとどこか可愛らしく見えて憎めなかったりもする。日本人には甘えられると嬉しく思う傾向があるんだろうか。

ビジネスでは「宜しくお願いします」という言葉を頻繁に使用する。これは「自分の仕事には至らぬ部分があるけど、そのへんは目をつむって許して欲しい」と言うことなんだろう。

「宜しくお願いします」という言葉は英訳できないそうだ。西洋人には「宜しくする」という概念が無いらしい。彼等にそんなこと言うモンなら「至らぬ部分があるなら直してくれ」と当たり前の返答が返ってくるのがオチだ。だから西洋には「頑張る」という概念もない。日本なら頑張れば評価されたり許されるかもしれないが、西洋は結果が全てで成功無き努力は評価の対象にならない。

ところが日本人は完璧な仕事をした自負があっても「宜しくお願いします」の決めセリフはかかさない。それは贈り物をしても「つまらないものですけど」と謙遜する日本人の美徳から発するものだと思う。あくまで主張することなく察するのが日本人の美徳である以上、意思疎通が他人任せになりその結果が甘えににつながって行くのかもしれない。

なんでも相談できる友達が信頼できる友達だというけど本当にそんな関係が最高の友達なんだろうか。友達に相談したり、相談される事で信頼を築けるのだとしたら、自分の悩みや弱さを打ち明ける事で人の信頼を得られるという構造が成り立ってしまう。そこには甘えない人間(弱みを見せない人間)は信用出来ないという考え方が根底にあるのかもしれない。

自閉症になる原因も西洋と日本では違うそうだ。西洋人は主張する為の体力を失った時に社会に理解されなくなるという脅迫観念に襲われ内にこもる、日本人は自分の主張が他人にどう解釈されたか不安になりその反応に過敏になるゆえ強迫観念に襲われ内にこもる。主張する社会と察する社会。生き方としてどっちが楽なのかは解らない。

日本には「世間様」が示す暗黙の戒律が存在した。日本人は世間様に恥ずかしくない生き方をすれば所属する共同体が守ってくれた。だか一旦世間に背けば途端に仲間外れにされてしまう。排他的な社会で一人で生きていく事は死を意味していた。だから世間様の目を気にするしかなかった。それは犯罪の抑止力にもなっていた。ところが資本主義の定着に伴い個人主義が進み価値観が個別化すると個人は世間様の呪縛から解放された。世間様という価値観が曖昧になる事は共同体の互助機能も曖昧になる事を意味する。世間様が果たしてきた機能はサービス業に取って代わった。仕事の紹介から冠婚葬祭、老人介護、託児所、さらには結婚相手の世話まで全てがお金で買える時代になった。だけど営利企業に世間様の睨みが届くことはない。

日本人は歴史上様々な教学を受け入れてきた。神学があり仏教があり様々な教学が伝わってきた。武士階級もなくなり貴族も去り儒学的精神も薄れただが現在も全てが混沌のまま存在している。何の解決も整理もされていない土壌にさらに民族主義と個人主義の融合がはじまり混沌の渦はさらに激しくなった。今まで渦の中を上手に泳いで来た日本人だが、これから先も溺れずにいる補償はない。

全ての影響を受け何も追い出さない日本はあまりにも複雑な国となってしまったのかもしれない。現代を上手に行き抜く為には、甘えられるところは可愛く甘えて、細分化されたいくつかの世間様に依存し、世渡り上手に生きるのが無難な生き方なのかもしれない。そしてそのバランス感覚が混沌の中を上手に泳ぎ続ける方法だと知っているから日本人は甘えを憎まないのかもしれない。

最近日本のホラーがハリウッドでウケてるそうだけど、日本の「恨み」が西洋人に理解出来るのか疑問だ。「恨む」という言葉が英訳できるのかも妖しいもんだと思う。甘える事は個人の自由と尊厳の放棄だと考える西洋人は依存する事を潔しとしない。彼等は人間関係で契約の不履行があったりそれを一方的に破棄すれば怒るかもしれないが恨んだりはしない。恨むというのは依存しあった関係でないと生まれない。約束なんかしなくても永遠に甘えられると思ってた相手が突然手のひらを返したような場合に発生する感情が恨みだと思う。そんな場合、西洋人は怒る。そして主張したり訴えたりするかもしれない。でも日本人は恨む。そして相手に自分の痛みを察するように仕向ける。この部分を理解できない限り西洋人に日本の「恨み」の恐さは伝わらないんじゃないかな。

 

 

05/02/01

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