No.91

本屋に入ると大概は正面の平場に話題の本が積まれている。ボクは用事が無いと本屋に行かないから用事のある本棚以外をあまり物色しない。考えてみるとボクはベストセラーどころか、話題になる本は全然読まないし、だいいち新しい本を買わない。今年になって買った本はプログラム言語辞典くらいしか思い当たらない。

それなのにボクはいつも何か本を読んでいる。ボクは読書家じゃないし、本を本棚に並べる趣味もない。そのかわり好きな本は何度も何度も読む。毎年一回読む本もある。何でもそうかもしれないけど出会いがあったものの中から永く付き合えるものだけが残るのかもしれない。出会いは多いにこしたことはないけど、無理しなくたって長く生きていればなにかしらに出会うことになる。

ボクは読みたい本は探すけど、読書のための活字を探したりはしないから今売れてる本を読む必要が無い。ベストセラーと言われる指標はボクが本を選ぶことに影響しない。芥川賞や直木賞にもまったく興味が無い。芥川受賞作品は何冊か読んだけどそれは芥川賞を取ったから読んだ訳じゃない。芥川賞受賞作品をあさるよりも、まだ読んでない本家本元芥川作品を読むほうが先だと思う。直木作品にいたっては読んだことも無いから何も知らない…

それに新刊に多いハードカバーは好きじゃない。大きいから邪魔だし表紙が硬くてページがめくり辛い。持ち歩きに不便だし高価だから敬遠する。ボクは内容が同じなら装丁なんか気にしない。文庫本でも充分長持ちすることを知っている。それにボクは本とも永く付き合いたいと思うから、緊急な情報的必要性を除けば本に「旬」を求めない。縁があれば文庫本になってから読んでも遅くないし、今じゃなければ通用しない呪文には興味を覚えない。

子供の頃美術館に行った時のことを良く覚えている。ボクは美術館に飾られた絵は全てが素晴らしいものだと無理に思うように努力していた。たくさんの絵の中にはなんの感想を持てない絵もあって、その度に自分の理解力や感受性の無さに悲しくなった。

本を読んでもそうだった。読んでいて退屈な本も我慢して最後まで読んだ。ほとんど活字を追うだけの作業になっても最後まで読んだ。面白いと思えない自分が悔しかったからだ。

確かに本には良い本とそうでない本があるんだろう。でも、ためにならない本は無い。ダメな本にもダメなりの教訓がある。本に書いてあることと、そこから読み取れるものは同じじゃない。ためにならない本があるとしたらそれは読み手の能力不足かもしれない。

映画なんかと比べると本にはたくさんの行間があると思う。最近の映画や映像作品は娯楽性を突き詰めた結果なのかどうだか知らないけど見る側に行間を与える隙が無いように思えてしまう。頭を空にして見ているうちは面白いんだけど見終わった後に何も残らない。ただ時間を消費するだけで罪が無いといえばその通りだし、贅沢な時間の過ごし方と思えないこともない。映画はおしゃべりなガールフレンドに二時間黙ってもらうツールとしては有効かもしれない。

現代娯楽は全てが用意され与えられて素直な反応をしていれば充分に楽しむ事が出来るように出来ている。自分で遊び方を考えたり行間を読んだり努力を必要とするものは流行らない。TVショッピングのコピーで「あなたの欲しいがきっと見つかる」というのを聞いてドッキリした。これが現代人相手の商売なんだろうな。

映画は受身でいれば入ってくるが、本は読む努力なしでは意味を成さない。でも楽しむための努力をした分だけ行間が生まれるのかもしれない。そしてその行間は情報量が少なければ少ないほど読み手に想像という遊び場を与えてくれる。

中学生の夏休みにガラガラのローカル線の直角シートに座って、つまらない本を我慢して読んでいた。その時に突然、「この本は嫌いだ」と気がついた。その本をためらわず駅のゴミ箱にほり込んでしまうと気分はスッキリした。良い本とそうでない本を区別しようとは思わないけど、好きか嫌いかの判断はボクにしかできない。

ボクはベストセラーは読まないけど、ボクの愛読書の一冊は朝鮮戦争の頃から50年以上経った現在でも全世界で毎年25万部売れ続けてる超ベストセラーだったりもするんだな。ホールデンはいったい何歳になるんだ?ちくしょうめ(笑)

 

 

07/05/02

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kuntan's note