《編制》 |
《コルト・イヴァーノフT》
イザイ法国パイロン州の南端、澄んだ青空に覆われたグッタペルカ平原のど真ん中。マズルカの背に乗り辺りを見廻すコルト・イヴァーノフの視界には、巨大な積乱雲の隙間から覗く青空と荒々しい岩肌を露出させる荒野、それ以外は映らなかった。平原とは名ばかりでそこには立ち枯れた木々が点在するだけだった。砂粒が舞いコルトの体に吹き付ける。都市部からマズルカで二日も行けばそこはもう僻地であり、大陸と呼ばれていてもリタルダンドはまだまだ未開の地と言えなくも無い。
リタルダンド大陸全土に生息する草食の四足動物マズルカは、最も一般的な移動手段である。閃光{せんこう}機関交通網の整備されていない辺境各地を旅するには今でもマズルカの世話にならざるを得ないのである。飼い慣らしたマズルカの背に乗り、銃を掲げて荒野を駆けた開拓時代は二百年も前に終わったと言うのにである。輝鉄鋼{きてっこう}による閃光炉機関の発達は、誇り高き開拓者達を薄暗い穴蔵へと押し込み、彼らを煤だらけの探鉱夫へと変え、輝かしき開拓時代は幕を閉じたのだった。
だが、赤毛の年老いたマズルカの背に揺られグッタペルカ平原を歩むその三十歳の偉丈夫、コルト・イヴァーノフは、今は昔の開拓者のように見えた。深く被った鍔広の帽子、くたびれた革衣服、平歯車を付けた爪先の尖った革靴。そして、胴帯に佇む二挺の大口径六連発輪胴拳銃と射すような鋭い眼光、それらはまさしく古き良き開拓者達のいでたちであった。
年老いたマズルカの首をさすり、コルトは砂混じりの西風に皺の刻まれた顔をしかめる。荒野で力尽きた者の血肉を求めるブディン達の遠吠えが風に乗って聞こえてくるらしく、主には届かないそれを聞き取った年老いたマズルカは両耳を伏せ身を震わせた。銃創の穿たれた帽子の鍔を人差し指で僅かに上げ、遥か地平線を睨み付ける。
「誰にも聞こえぬ大地の悲鳴か、開拓者の無念の叫びか……」
荒涼とした風景はその時代遅れの中年を詩人に変えていた。無精ひげで覆われた顎に指を当て、遠い目で物思いにふけるコルト。彼は今、精霊と言葉を交わし探鉱夫の怨念に耳を傾けていた。と、今度は主にも聞こえるほどの音量で悲鳴と思しき声が銃声と共に飛び込んできた。年老いたマズルカはいななきと共に直立し、仰ぎ目で次の文句を思案していた彼の主を勢い良く放り出した。
「のわぁぁ!」
青空を背景に奇麗な放物線を描くコルト。その表情は驚きで覆われ、見開かれた瞳が彼の恐怖を物語る。直後、硬いもの同士のぶつかる背筋も凍る鈍い音がする。土煙を上げ勢い良く背中から着地したコルトは呼吸が止まったらしく、絶命寸前の昆虫の如く地面で四肢をばたつかせ「ひー」とか「うー」とか唸っている。瞳には涙さえ浮かんでいた。
年老いたマズルカは埃だらけで這いずるコルトを申し訳無さそうに見詰め、主の服の袖口を口に咥えてぐいぐいと引く。どうやらそれは謝罪ではなく何事かを知らせようと懸命になっているようなのだが、コルトの方は後頭部を押さえ年老いたマズルカに引きずられるがまま「ばあちゃんが見えた」などと唸っていた。西風の吹く荒野を年老いた赤毛のマズルカに、古色蒼然とした風袋の中年が襤褸雑巾のように引き回されて行く。
リタルダンド大陸でその名を知らぬ者はいない。荒野を流離う無敵の拳銃使い。ギーゼキング公国で披露されたその神業は、叡族{えいぞく}である〈仁将ゼッファー〉にさえ溜め息を吐かせ、風になびく茶褐色の長髪に宮廷付きの女官達は感激の余り失神したと言う。二挺拳銃〈伊邪那岐{いざなぎ}〉と〈伊邪那美{いざなみ}〉、二つ牙の一匹狼。
その男の名は、コルト・イヴァーノフ! 人呼んで、〈風のコルト〉! ……そう、年老いたマズルカに引きずられて喚いているあれ≠ナある。なんともはや……。