編制

《リリィ・ケイラーT》

 益々強まる強風が砂塵を舞い上げ視界を塞ぎ、その一団の行進速度を目に見えて遅らせていた。先頭で指揮を執るリリィ・ケイラーは防塵頭巾の下で舌を鳴らし悪態を吐く。
「今日に限ってのこの悪天候。まるで、大地が我らの所業を疎ましく思っているかのようだな」
 右手を上げ後続に休息の合図を送ると、リリィは風除けとなりそうな窪地を指差した。手早く組み上げた仮設休憩所の入り口に二名の歩哨を立て、一団は半日ぶりの休息を取った。腰を落ち着けたリリィに若い部下の一人が歩み寄り彼女に耳打ちする。
「……丘二つ向こうに、まだいます」
 リリィは砂漠用気密装備を苦労して脱ぎ去り、膝までの濃紺下衣と汗をたっぷり染み込ませた肌着一枚の姿になると、部下が指し示した辺りを光学単眼鏡で覗く。黒く縁取られた景色に目標までの距離や周囲の気温・気圧の明滅表示が重なる。強風の為、地面と空が一色に見える。円形の視界の隅、砂の盛り上がりの一部に影がうごめいていた。随分と距離があったが、倍率を上げなくともそれが人間であり、そして何者なのかリリィには解っていた。
「構わんよ、捨て置け」
 軍服と同じ濃紺色の腰まである髪に手櫛を通し、リリィは丘の向こうで砂嵐に辟易しているであろう男を思い浮かべ小さく微笑む。
「苦労するな、お互い……」
 イザイ法国空挺軍南部方面隊第七師団将校、リリィ・ケイラー大佐は、勅命により彼女直属の部下十二名と共にパイロン州南西部のラフマーン砂丘に訪れていた。

 十日前、人にあらず者=A〈叡族〉は、法国宮廷深部の更に奥に据えられた瀟洒な謁見の間にリリィを呼び付け、第七師団長である彼女に「イザイ法国の存亡に関わる重大事」を彼自ら言い渡した。
「或いは、この惑星の、我らの母なるエッダの存亡、と言い変えても良い」
 両壁に並ぶ複雑な紋様の飾り窓、身の丈ほどもある半人半獣の二対の象牙色の彫刻、民話を綴る血の色をした絨毯、二本の短剣に貫かれた逆さ髑髏を縫い込んだ軍旗、天窓から注ぐ月明かり、幾多の戦火をくぐった屈強なリリィはしかしその押し殺した声に身震いさえ覚えた。
「彼奴{きゃつ}らの鼓動が、我が身を揺さぶるのだ。目醒めの日は近い」
 ユージーン、それが玉座からリリィを見下ろしている男の名だ。姿を見るのは多分二度目か三度目、それくらいだろう。白い肌に白い髪、全身を濃紺色の外衣で包み、血の気の失せた右手には絡み合った蔦の形をした杖を握っている。瞳の色は、と考えリリィはこの男が常に両の目を閉じている事に思い当たった。以前、確か国賓警備任務で見かけた時も、彼はまるで生まれ落ちた時からそうであったように瞼を固く繋ぎ合わせていた。その時は終始作られた笑顔の為と思っていたが、少なくとも今はリリィに対して彼が笑顔を作る必要など無い筈であり、その息詰まった学者の如き表情が彼の本来の顔なのであろう。
「彼奴らを封じろ、今再び。一刻の、猶予も無い」
 高い鼻梁の下の白い唇が動き抑揚の無い透き通った声が空間を渡り、リリィの頭蓋を直接震わせる、そう感じる。奏でる、そういった形容が相応しい、思わず聞き惚れる繊細な声だった。にもかかわらず、リリィはその声に、そして声の主に底知れぬ恐怖を覚える。まるで――
「作り物、のようだ」
 自分だけに聞こえるよう小さく囁き、ひざまずいた姿勢のままリリィは上目遣いで彼女の主、青年の顔の〈叡族〉ユージーンを見る。玉座に腰を据え微動だにしない人にあらず者≠ヘ月明かりに照らされ蝋細工の艶を放つ。

〈叡族〉が、リリィ達人間と極めて近く、そして全く異なる存在である事は周知の事実であった。しかし、ならば何者なのか、そう問われて応えられる者がいないのも、また周知の事実であった。生態学者風に「人類の近似種」と言ったところで、きっとそれが何を意味する言葉なのか研究者当人にすら見当も付かないであろう。知り得るのは、目に出来る結果のみである。〈叡族〉が人間と全く同じ容姿を持ち、数千年の時を生き、万物のあらゆる事象を自在に操り、そして、人類を統治しているという結果のみである。
 リタルダンド大陸には三人の〈叡族〉が存在し、それぞれ三国を統治していた。大陸東方ギーゼキング公国の〈仁将ゼッファー〉、西方ナーガールジュナ連邦の〈勇将アーミッシュ〉、そしてリリィの眼前の男、大陸北方イザイ法国を統治する〈叡族〉、〈智将ユージーン〉である。彼らは〈三賢帝〉と呼ばれ、大陸に暮らす全ての人類を統治し、管理していた。
 支配と管理、この二つの違いについてリリィは常に考える。〈三賢帝〉は人類を管理していたが、それは決して支配などではなかった。人類が歴史の最初の一歩を踏み出した時、彼ら〈三賢帝〉は既にその傍らに立っていた。国と呼ぶには余りにお粗末な集団同士が詰まらぬいざこざを始めれば、その間に立ち双方を言い含めた。大災害によりささやかな文明を跡形も無く失えば、彼らは哀れな人類に閃光炉≠ネる脅威的な技術を惜しみなく授けた。閃光炉は人類に翼と誇りを与え、彼らに繁栄をもたらした。〈三賢帝〉は時に踏み外さんとする人類に手を差し伸べ、導く、今迄も、そして恐らくこれから先も。

 法国領ラフマーン砂丘の仮設休憩所でリリィは〈智将ユージーン〉の言葉を反芻していた。
「彼奴らを封じろ、か」
 支配と管理、これらの違いを教えてくれそうな者にリリィは思い当たった。帰還したら真っ先に尋ねてみよう、その身を裂かれ内臓や血を抜き取られた挙げ句、炎や煙にあぶられる運命のバセットやヌース、哀れな家畜達に。だが、答えは予想できる。彼らはきっと言うだろう、「どちらにも大差は無い」と。

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