寮美千子×東雅夫 対談@DASACON2 その1

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 1999年8月28日、東京本郷で行なわれたネット書評者合宿イベントDASACON2のゲスト小説家・寮美千子さんと、季刊幻想文学編集長・東雅夫さんの対談の記録です。
(文中敬称略)

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外務省〜コピーライター〜小説家

 実は寮さんとわたしとは今日が全くの初対面でして、殆ど事前の打ち合わせなしに本番に突入いたしまして……。でも、一目会った瞬間に、ご覧のとおりの方だったので(笑)、これは何とかなるかなと。あ、申し遅れましたが、東と申します。よろしくおねがいします。
 寮美千子です。サイバーパンクな催しにふさわしいハイパーな会場(笑)に呼んでいただけて、大変光栄に思っております。よろしくおねがいします。
 まず、寮さんに関して、簡単にプロフィールを御紹介しておきましょう。1955年、東京にお生まれになって、外務省勤務の後、広告コピーライターを経て、童話を書きはじめる……と、なかなか多彩な人生経験を(笑)。外務省というのは、具体的にどういう?
 事務官といって、普通の事務をする人です。高校を卒業してすぐに入っちゃった。
 お役所からコピーライターってのは、随分飛躍があるのでは?
 向かないなと思って、外務省入ってみて。
 ……なんとなく、わかります(笑)。
 みんな偉いなあと思って。ちゃんと9時から、5時まで同じ椅子にすわって、きちんとお仕事できて。そこでもう落ちこぼれてしまったんです。
 で、字を書くのが好きだったんですよ。字を書いて食べて行けるんだったら、どんな仕事でもするわと思って、『マザーグース』で有名な草思社編集者募集、年齢経歴学歴不問って、これしかないな、と思って受けに行ったんですよ。で、マザーグースだから童話の本とか作れるんじゃないかと思っていたら、
 よくある思い込みですねー(笑)。
 そしたら、草思社ってのは、出版部と広告製作部があって、広告製作部の方が実は当時は母体で、ヤマハとか東急エージェンシーの広告を製作していたんですよ。で、ヤマハの金管楽器部門と言うところにまわされちゃって(笑)、いきなり「良いトランペットとは」とか(笑)。あと、リコーダー担当で、小学校の音楽授業から、バロック奏者にいたるまで、いろいろ取材しました。結局、音楽関係のPR誌の編集に広告製作を5年くらいやりました。
 それは割と、まあまあ水に合ったと自分では思っていらした?
 そういう所に行けば、目立たないで、きちんとみんなと仲良くやって行けるはずだと思ってたんですよ。でも、やっぱり違和感があって、会社に行くと、社長の方がわたしより、いつも早く着いていた(笑)。
 そ、それはちょっと問題ありですね(笑)。で、それを5年やられた後で……。
 その後、フリーランスのコピーライターをしばらくしていたんで。
 童話を書いたのは、20代の後半で、広告やっていたんだけど、永らく人のために文章を書いていたので、自分のために文章を書くということをやっていなかったなと思って、たまにはやってみようかなと。と思っていたところに、「ミセス童話大賞 賞金100万円」という文字が飛び込んできて、いいかもしれないと思って、書いたの。もらえなかったけど。
 毎日童話新人賞を受賞されたのが'86年ということは、その間、結構新人賞とかに出しては落ち、みたいなことをなさっていたんですか?
 出すとね、最終選考には入るんですよ、必ず。2回くらい入ったかな。で、絶対落ちるのね。入った作品を見ると、全然テイストが違うわけ。何というか、わたしから見ると、全然いいとは思われない。なんでこれが入ってわたしのが落ちるんだろう、よくわからないなあ(笑)。
 これは業界のことをよく知らないといけないから、傾向と対策を立てましょうと思って、歩いていたら電信柱に「イーハトーブ童話学院募集」と書いてあって(笑)。ちょうどいいから行ってみようと思って、行ってみたらびっくり、新日本文学会だったの(笑)。
(会場一部(笑))
 びっくりしちゃって、どうしてカルチャーセンターと違ってこんなに安いんだろうと思ったら、共産党系? (会場からツッコミ)あ、社会党系か。そういう運動のところだったんですよ(笑)。でも、とりあえず入っちゃったからいいか、って(笑)。
 なるほど、常に「とりあえず、まあいいか、やってみようか」で生きてきた、と(笑)。
 応募しようと思っていた賞の審査員が講師をやっていたから、すごく打算的に……(笑)。
 そうすると、業界が有るんですね、子供の本って。商品を求めているわけで、作品を求めているわけではない。やりたいのは作品なんだけれども、作品を出すためには、どこか壁を破って、向こう側に行かないと、ともかく認めてもらえないから。前年度のや、前々年度の受賞者の作品を読んでみたり、審査員の作品を読んでみたりして、一度傾向と対策を立てたら、まんまと毎日童話新人賞を一発でいただいたんですね。それまでに2回チャレンジして、3回目かな。その時に本当に後で後悔しました。
 ほう。なぜでしょう?
 賞をもらった後、依頼が来るじゃないですか。今度は商品じゃなくて、作品を見てもらうチャンスだと思って、作品を出すと、「寮さんのテイストってこういうんじゃないと思うんですよね」って言われちゃうんですよね(笑)
 編集者は、受賞作だけを見ているわけですものね。
 で、「こういうのを書け」って言われちゃうんですよ。受賞作のような作品を。全然やっぱり、書きたいものを書くと、受け入れてくれないのね。「あなたの本質と違う」なんて言われて。新人だし。非常に困難な時代でしたね。
 今日お集まりの皆さんの中にも、創作方面で、小説とか書いてらっしゃる方がいると思うんですが、いろいろ参考になる部分とか、気をつけないといけない部分を汲み取れるお話ですね。
 インタビューとかがあっても、「自業自得です」とか、わけの分からないことばっかり(笑)。変な奴だったんですよ。

児童文学の世界と天沢退二郎

 日本の児童文学の世界というのは、特に戦後は、伝統的に社会党とか共産党とか、否応なく政治的なこととちょっと絡んだところで推移してきた側面がありますからね。
 当時は、その反動がきている時代で、それはいけませんと。意味を持たせないで、ナンセンスで行きましょうって。寺村輝男の『ぼくは王さま』なんかがすごく幅を利かせていた時代でした。今でも利かせているかもしれないけど(笑)。思想はダメで、今度はナンセンス物。
 でも、わたしがやりたいことはどっちでもなかったのね。
 そうでしょうね。特に寮さんの最近の作品なんかを拝見していても、はっきり言ってそんなに児童文学だという感じはしないと、わたしなんかには思えてしまって、逆に児童文学とか童話とかうっかり呼ばれることによって、すごく損をされているような気がします。
 作品として書きたい時も、子供のためにというよりは、好きな作家―稲垣足穂とか、宮沢賢治がいて、シンプルな言葉で、すごく単純に、何か物語を書きたいと思っていました。ややこしい数式を、因数分解してすきっとした式になるみたいに何か物語が書けるんじゃないかな、というイメージを持って、そういうことをやろうとしたんですよね。そうすると、今の子供の本の業界で商品になる物と関係無い物が出来ちゃう。
 まさにそうですね。'84年に雑誌「幻想文学」で、「幻想児童文学」という特集をしまして、この時に、天沢退二郎さんにインタビューをしたんですが……。
 ああ、アマタイね。
 ア、アマタイ……(笑)。
(会場爆笑)
 わたしの先輩なんですよ、高校の。しかも住んでいるところがご町内だったの。
 それは意外な……。だから、現在の寮さんの受容のされかたっていうのは、当時の天沢さんの、例えば『光車よ、まわれ!』をはじめとするファンタジー系作品の受容されかたと、かなり近いところがあって。
 それはね、関係あるんですよ。高校の時に現国の先生が、「お前ら、先輩のことを知っているか。『野菊の墓』の伊藤左千夫と、天沢退二郎という大先輩がいるんだぞ」「そうですか、じゃあ読んでみましょう」と。で、アマタイの『宮澤賢治の彼方へ』を探しまくった。当時は、絶版になりかけていた状態だったんです。
 だいたいすぐに絶版になるんですよ、天沢さんの本は(泣)。
 まだ文庫も出てなくてね。で、そのアマタイを読み……。賢治を読んだのは別の理由なんですね。憧れの先輩がね、「ぼくは賢治が好きだな」とか(笑)。それで読んだのが始まりで、賢治・アマタイというのが色濃く……。
 道を歩いていると、アマタイが向こうから歩いてきたりするんですよ。
(会場爆笑)
 当時髪の毛がこんなに長くて、絶対に町内にはこういう風体の人は他に一人といない……。(頬をポッと染めて)「ああ、今日、アマタイに会っちゃったわ〜」
(会場爆笑)
 うーん、面白すぎますね。まさかこういう話になるとは予想もしなかった(笑)。日本における少年文学、ファンタジーの系譜は……というような真面目な話をしようと思っていたんですが。
 そういうふうに、高校生ぐらいの時に関心を持って、植え付けられちゃった部分が有るんじゃないかと思います。

少年小説/少女小説

 なるほど。さっき言った「幻想児童文学」の特集で、天沢さんにインタビューをしているんですが、取材が終わって雑談になった時に何を一番熱を込めて言ってらしたかというと、「自分が書いたものはどこに行っても受け入れられないんだよね〜」(笑)。児童文学の世界でも異端視されているし、だからといって『光車』にしても、〈三つの魔法〉の連作にしても、いわゆる一般の小説の世界では「子供向け」と思われて、まともに相手にされないという。「ぼくって、本当にいろんな所でつまはじきにされているんだよね〜」と随分嘆いてらっしゃいましたね。
 ちょうどその頃、天沢さんも、それから『星のカンタータ』や『かれらが走り抜けた日』の三木卓さんも、今、寮さんが書いてらっしゃるものと共通するようなテイストのものを書いてらっしゃったような気がするんですよ。
 ……三木さんは、ミセス童話大賞でわたしの作品を落とした人……(笑)。
 いま明かされる過去の怨恨(笑)。
 そこからもっと昔、戦前に溯ると、稲垣足穂であるとか、宮澤賢治であるとか、むしろ、児童文学であるとか、童話であるというよりは、少年小説という言い方のほうがまだしも、内実に近いのかなと。
 そうですね、今のところ少年しか書いてないからね。でも、今書きかけの作品は、少女なんですよ、初めて。少年少女小説。
 広い意味で言えば「ファンタジー」で括られちゃうんですけどね。まあ、「少女」も含めた「少年小説」――思春期前限定のファンタジーとでも言いますか(笑)。そういう作品って、一部にやたらと「ハマ」る読者がいる反面、一般的なセールスはいまいちなものが多い。天沢さんの『光車よ、まわれ!』にしても、我々が読んだ時点ですでに絶版になっていて、ちくま文庫で復刊されたのは、ずっと後の話なんですよね。かなり長い間、幻の作品みたいになっていた。
 少年小説というとピンと来るけれども、少女小説というと全然違うじゃないですか。
 そうですね、少女小説というと、『花物語』の吉屋信子とかになっちゃいますよね。一時期の川端康成とか。
 女の子が主人公で、テイストが少年小説っぽいものがあったら、またノンジャンルになっちゃいますよね。
 それを言ったら、天沢さんの本にもすごく魅力的な女の子が出てくるじゃないですか。
 少年性というのと、少女性というがすごく違うから、そこで違うものになるんだろうなという感じが。
 それは、例えば、寮さんが書く時に、どうして「少年」の立場で書くのか……。
 本当は女でもいいんですよ。でも女の子にしちゃうと、すごく変った女の子、すごく少年っぽい女の子ということになっちゃう。そこを説明するまでで、すごく不自然なことになっちゃう。つまり、あれは少年でも少女でもなく、ある中世的な感性を持った人物……。そういう人物を書こうとした時に、今の日本の状況だと、少年にした方がやりやすい。無理なく受け入れられるから。
 おもしろいなと思ったのは、わたし、セント・ギガっていうラジオの仕事をやっていたんですけど、ラジオで少年の声をやる時に、絶対に本当の男の子の声を使っちゃ駄目なんですね。本当の少年の声で読ませると、すんごい生生しくなっちゃうの。結局大人の女の人が少年の声を出すっていう形でないと表現できない物があるという。ある種の透明感のある少年のイメージを、そうでないと絶対に表現できない。
 生身の男って、結構汚かったり臭かったり……。少年なんてかなり生生しい存在じゃないかと思うんです、本当はね。そういう意味で少年小説っていう響きの中にあるものは、性的なものを除外した、あるい透明感のある精神の存在っていうようなところで書かれた物ということになるんじゃないかな。
 それで、『ノスタルギガンテス』にしても『星兎』にしても、化石とか、鉱物とか、マシンとか、魅力的なガジェットが散りばめられていますけれども、それも男の子が執着するようなもの、というようなことになっているわけですか?
 いえ、わたしが執着しているんです。
 寮さんの中にそういう部分があって、それが展開されているという形になっている。
 女の子がこういう物好きっていうと、変ということになっちゃうから。男の子にした方が面倒くさくないからそうしただけで。生身の少年じゃないんですよ、恐らくは。
 どの作品でもそうだけれど、現実の生生しさから切り離された部分で、純粋なものとか、そういう世界へ憧れるベクトルが常に有りますよね。それはそこに繋がってくるんでしょうね。
 でも、今度女の子が主人公のものを書いているんですよ。新月から満月までの15日間にわたっての……、そういう話なのね。5日分書いたところなんだけれども、400枚行っちゃったんですよ(笑)。
 今回の作品のテーマとか、核心は?
 少女性とか、そういう所がテーマになると思う。女の子を主人公にして書こうと思ったら、それを抜きには書けないのね。生命とか、月に象徴されるような神話的な女性性みたいなもの。そういうものを抜きには書けないですよ。月と水と女性性の物語。例の如く、ドッペルゲンガーが好きみたいで、わたしの物語の中にはいつでも出てくるでしょ? 今回も、一人の少女が分裂して、分裂した方の少女が名前を持って逃げちゃうんですね。世界の果てに名前を捨てに行くと言って。それを追かけていく。
 署名運動でもしてもらおうかなあ。本を出してくれないんですよ、出版社が、もう。

ネット向きの作家

 それはやっぱり、天沢・三木卓時代だけでなく、賢治にしても生前に1冊しか単行本を出せなかったりとか、タルホも長らく赤貧に甘んじていたりとか……そういうことを考えてみると、少年小説は日本の文学で継子扱いされているというか、迫害されてきた伝統があるような気も(苦笑)。
 でね、このダサコンに参集されてるような、ネット系の本読みの方々の中には、さっき言ったような少年小説に「ハマ」る因子の持ち主の比率が相当に高いような気がするんですよ、たとえば溝口さんの掲示板での寮さんや山尾悠子さんに対する熱烈な反応ぶりを見ていると。つまり、ネットで特に支持されるタイプの作家なり作品なりがあるのではないか……。
 u-kiさんが()(挨拶で)言ったような、ノンジャンルの集まりでゲストに呼んでいただけるということに象徴されているような。確かにすごく嬉しいですね。
 ぼくも「幻想文学」をずっとやってまして、大きな出版社と違って広告を出せるとしたら1本1万円の「週刊読書人」しかなかったり(笑)、宣伝もできなければ、書店営業も人件費がかかるからできないとか、そういうことを考えた時に、ネットによる情報の速効性と広がりが、例えば寮さんの作品に関心を持っている人たちが色々な形で繋がっていくことが出来て、そこから具体的なデータなりをファンページが出来るような形で集約して、それを誰もがアクセスして採取することによって、どんどん広がっていくことが出来る。
 同じ事を広告とか宣伝の世界でやろうとしたら、膨大な人出とお金がかかるわけじゃないですか。
 朝日に広告打つよりも、断然確率が高いですよね。何か捜している人が森に入っていって、ここかな、ここかなと匂いがするか探し当てるようなところがあるじゃないですか。だから、そういう人のつながりが、すごいメディアだなと思って。
 わたしの『ノスタルギガンテス』が最初に話題にしていただいた本なんですけれども、6年前に初版2500部で、それっきりで、再版してないんですよ。普通そういう本は、今の日本だと二度と読まれませんね。もう記憶の彼方です。それを話題にしていただいて、このような所に呼んでまでいただけるなんていうことは、ネットがなければ実現しえないことだから、すごいなあと。
 寮さんの『ノスタルギガンテス』もそうだし、わたしのところで倉阪鬼一郎という怪奇小説家の――あ、そこの真ん中へんに座ってますけど――最初の単行本を出した時も、部数的にも同じくらいで、しかも見事に売れませんで、延々と在庫が残っていて(笑)。それがネットで話題になることによって、在庫が動き出して、という。
 ですからさっきも言ったように、ネット向きの作家というか、ネットの世界で大きくなってゆく作家が、これから出て来るんじゃないかと思いますね。割と限られた人にしかその魅力がわからないような、読者を択ぶような、でも、A Happy few――幸福な少数者にとってはたまらない魅力のあるような……『ノスタルギガンテス』なんてまさにそうでしょう。ネットの書評を見ても、「自分にはどうしても言いたいことがあるんだ!」という切実な調子で書かれてあって。
 ディープで熱烈ですよね。
 それで論争()にもなったりして(笑)。
 ああいう風に熱く語られる作品というのは、あんまりないと思うんですよね。売れている作品に対して、みんながああいう風に熱く語るかというとそういうわけでもないでしょう。語らなくてはならないような気持ちにさせるのは、どうしてでしょう? 作品の質もあるでしょうけれど、「わたしが応援しないとこの人は……」とか?(笑) どういう作家をしてネット向きと言うんでしょう?
 何でしょうね。すごくイメージ先行の言い方をすると、夜中に閑散としたファミレスとかでノートパソコン開いてネットにつないでいるときにね、画面に浮かんでサマになる作家とならない作家がいるような気が……しません?(笑)山尾悠子や寮美千子や倉阪鬼一郎は、サマになるでしょ。あ、それから『オルガニスト』や『カニスの血を嗣ぐ』の作者もね(笑)。
 まあ、倉阪鬼一郎と寮美千子の共通点がどこにあるのかはわからないんですが(笑)、何かやっぱりカルトな部分があると思いますね。おたくって言っちゃうとマイナス・イメージがあると思うんですけれども、ある種のモノとか、言葉とかに思い入れたり執着したり、それをストレートに形にしていくようなタイプ……。あまり傾向と対策を考えずに、とにかく自分が好きで、執着しているものを率直に形にしたいんだという……。
=>その2へ続く。