411 言語と言葉
05/07/27

 洋楽のCDやアナログレコードなどを聴いていて、すごく好きな曲があったりするもの。ロックが好きでいつも聴くのだけれど、ぼくの場合その歌詞というものについてほとんど気にならない。これは日本のロックを聴くときでもおなじ。さらには曲名さえも、めったなことでは気にならない。

 あまた、そんな中で、どうしても歌詞や題名の気になる曲もある。そんな特別な曲でさえ、憶えているのは、せいぜいその曲が含まれているアルバム名くらいのものだったりする。それくらい憶えていて当たり前のことなのかもしれないのだけれど。こういうことだと、誰かと肝心なロック談義をする場合に困ってしまうという結果にもなる。そのくせ、その曲の入ったアルバムのレーベルや発売年などはけっこう詳しかったりする。

 ぼくが中学生のころ、ビートルズが大流行していた。刺激的でかっこいいリズムとメロディー、さらにかっこいいボーカル。英語なぞ教科書で読むくらいしかしたことがないくらいだから、ビートルズの歌声をどう解釈してよいものやらわからなかった。レコードの歌詞を見ても意味がさっぱりわからない。それでもかっこいいから歌おうとすると、情けなくも、ただそれらしい発音でまねることになる(それでもけっこうかっこいい)。

 そんなことではいけないと、たとえばブルースなどで、どんな歌詞なのかしらんと歌詞をしらべてみる。するとこれもなんとも情けなくも、ブルースの名曲でも、まったくどうでもいいような歌詞であったりするもの。たとえば部分的にこんなところもある。「One and one is two, two and two is four, four and four is eight....」というような具合。こんなの日本語に訳しても、1+1=2、2+2=4となってしまい、まったく意味もない。日本の曲の場合だと、歌詞にこんなにも無意味なことばを羅列することはまずないといっていい。なのにしかし、ブルースマンがかくも無意味な歌詞を披露するにもかかわらず、ちゃんとそれでかっこいいのはなぜなのだろう。

 これは日本語と英語のちがいによるものなのだろう。日本語はほとんどの場合、子音に母音を付けて発音をする。英語の場合には子音だけの発音が頻繁にある。ストップを発音する場合、『ス』は『su』ではなく、『s』だけ。そのおかげで、英語の詞は工夫しだいでそれを読むというか発音するだけで、音楽をイメージさせてくれたりもする。おかげで英語では、粋な単語の組合せで、すごくかっこよく決まったりする。そしてその雰囲気が、深い意味さえ相手に伝えることができたりする。まして、それに音階、リズムが付けば、さらにそれは表現力の豊なものにもなる。『韻』はその典型かもしれない。『say』と『may』、『go』と『so』というように。

 日本語は表現力があるとか、日本語は意味が深い、などというけれど、英語だって何語だって、それを使ってとってもいいにくいこととか、微妙な心についてだって相手に伝えることができる。およそ世界に優れた言語とか、劣る言語なぞあるはずもなく。発音の仕方、選ぶべき単語、表情や身振り、はたまた抑揚やアクセントなどなど。あらゆる表現をもってして、言葉とは伝えられる。それほどに、言葉はよく選び、大切に使わなくてはいけない。



412 どつぼ
05/08/04


 どんなに冷静な人でも、こと自分の趣味であるとか、好きなことに没念していたりすると、知らずのうちに取り返しのつかない状況に陥ってしまったりするもの。そんな状態を俗に『ドツボにはまる』などという。

 ぼくぐらいの年配になってくると、滅多なことではドツボにはまるというようなことはない。いわゆる節操というやつが付いてきているので、これ以上は深入り、深追いしてはだめというような具合で、自分の限界を見極めることなく、余裕のあるところで切り上げることができるというもの。だがしかし、あにはからんや、あるいはむしろ当然というか、そうは問屋が卸さないというのも、俗世間の常。

 自称『名人』と自負する釣り師がいたとする。今夜こそは(夜釣りなので)目当ての魚を手中に収めんと、少々鼻息も荒いのだけれど、もう中年の仲間入りということもあり、節操を欠くことなく、港の漁協の9時のチャイムが鳴ったら帰り支度をするべし・・、なぞと内心ひとりごとをのたもうのだった。

 台風の影響か、下げ潮の流れになったかと思ったら、切れて浮遊するおびただしいアマ藻に遭遇。障害物に遮られ、思うような釣技も発揮されず、時は過ぎてゆくのだった。

 「これではあかん」というわけで、となりの釣座の年配の釣り師との世間話や釣り談義。それでもそのうち、潮の流れも快方に向ってきた様子で、にわかにとなりの釣り師の竿が曲る。「30cmくらいの黒鯛ですわ」の一報にぐいっとカブトの緒がしまるのだった。「おれも釣ってやる」の掛け声が心の底の方から発せられ、対戦モードの火ぶたが切って落とされるのだった(ここからがいけない)。

 しばらくして漁協のチャイムが9時を告げるのだけれど「もうちょっとだけ」のつもりで、試合は延長戦へともつれ込んでゆくのだった。もうちょっと、今畜生てな具合で取って返しているすきに、意に反して、時は刻々と刻まれてゆき・・。はたと我が身の平静を取り戻した刹那、これはいかんと時刻を確かめる。なんと漁協のチャイムから、瞬く間の2時間が過ぎ去ってしまっているのだった。片付けて帰れば夜半を大きく過ぎてしまい、これはまずい。晩ごはんもまだなのでした。

 明日は仕事もあるし、最近は疲労も回復する間もなく次の疲労が重なり蓄積疲労。釣りは心の疲れを癒す健全かつ清廉な趣味とも言われる。なのに完敗のうえにこの疲れ、さらに重なる欲求不満。これでは心の健康、疲労回復などとはほど遠く、かろうじて生命を吹き返してくれるカレーパンとカーエアコンの風。とにかく今宵は家までたどり着き、風呂に入り、寝てしまわねば。

 やっとのことでたどり着く、やすらぎの我が家。・・すでに明かりは消えている。さて、玄関のカギはかかっている。物置の例の場所には、カギが・・・ない。玄関の呼び鈴は効果がなさそう。さて、電話でもかけて呼んでみよう。はやく起きてきてくれーい。



413 人命救助
05/08/16


 最近ぼくも50歳の大台を超えてしまったこともあり、さすがに体力ばかりでなく、集中力というか注意力系の神経の衰えも痛感せざるを得ないという状況。

 自動車の運転もさることながら、釣行についても安全を期さなければいけない。海釣りをしていると、いつ何時大波が襲来して海に持っていかれるという危険があるとも限らない。防波堤やテトラからの滑落ということも。ぼくも落ちそこなってあばら骨にヒビを入らせたこともある(痛かった)。死亡事故も時々起こっている。そこで自らの安全は自ら守るという意気込みで、まずはスパイク靴とライフジャケット(救命胴衣)常時着用。救命胴衣はけっこう大げさな感じだけれど、海中への転落のみならず、滑って転んだ場合にも、仕込まれた浮力材のおかげで衝撃から我が身を守ることもできるというもの(ただし保温材の役も果たすため夏にはとにかく暑い)。

 そしてもうひとつの安全策として、釣クラブへの入会。単独での釣行は危険に遭遇したとき非常に不利なので、釣友がいっしょならお互い、持ちつ持たれつで安全釣行まちがいなし。ただし、今回入会をしたのが、なかば老人会ともまごうような、平均年齢が60を越すと思われる釣クラブ。自称名人の口達者な天狗氏もメンバーにいたりして。おなじ町内でよくもまあこれだけの面子(めんつ)が揃うものだとあきれてしまう。ぼくともうひとりの釣りばか氏の入会にクラブの若返りが実現したのか、心なしか活気付いているようす(実はぼくにも、プライベートでの釣行と、さらにクラブという『付き合い』の釣行との二段構えの釣行チャンスが得られるという利点も)。

 そんなわけで先日、三河湾のあるローカル釣場でのクラブの例会に参加。夕方からの夜釣り。ぼくは見事黒鯛ゲットで意気揚々引きあげてこようとすると、途中の護岸テトラでクラブ員が騒いでいる。どうやら単独釣行のどこかの釣人がテトラで滑落、動けなくなっているようす。すでに我がクラブ員2名が救助しようとしているのだけれど、堤防道路へ引き上げようにもさっぱり動かない。どこかを骨折でもしているのか当の本人、意識はしっかりしているものの、身体がしびれて身動きができない。ぼくも手伝って4名でやっとのことで引きずり上げるごとができたのだった。

 さてこのままではどうしようもないというわけで、救急車を呼ばなければならないのだけれど、頭部流血したけが人を目の前に一同気が動転、らちが明かない。消防署への連絡にも「あわあわ」口が動くばかりで、事故現場の説明すらままならない。「ここはどこでしたっけ」「うーとえーと、○×の埋立地のトテラ・・、じゃなくてテトラ」ってな具合。救助の消防隊員を待つ間、堤防道路に寝かせたけが人釣り師氏、それでも口だけは達者。「しばらくは釣はご法度ですな」の問いかけに、「治ったらすぐにでもまた来る」由。うーんあきれた。

 早々けが人の荷物を片付けなければ、というわけでみなで始末にかかる。テトラ上の彼の釣座にはボキリと柄の折れた手網と釣竿。そしてさらにあきれたことには、その竿の仕掛けの電気ウキの、さらにいちばん先の釣針にはなんと、黒鯛がしっかりと針掛かりしているのでした。うーん、まいった。

左の護岸道路は車両乗入禁止なので、暗闇の中、救急隊員もはるばる担架を引いて・・・


414 裸の島
05/08/25


 かなり前にテレビで観たのだけれど、『裸の島』という映画、昭和60年作品というのがある。この映画は鬼才とまでいわれる映画監督新藤兼人の作。ぼくなぞ映画は素人なのであまりよく知らないけれど、これから機会があればぜひこの監督の作品を観たいと思っている。

 『裸の島』。ある海に浮かぶ小さな孤島で生活する家族がいる。夫婦は池も井戸もないその島で畑を耕し、ほとんど自給自足の生活をしている。毎日毎日、小舟に桶を積み、本土に水をもらいに行く。その水を持ち帰り、そびえ立つ島の畑に桶を担いでのぼり、水をやるのが毎日の仕事。毎日毎日の苦渋にもにた仕事というか生活が、ただただくりかえされる。

 出演の役者はたったの4人。夫婦と子ども二人。夫役は殿山泰司、妻の役に乙羽信子(新藤監督の夫人)で、いずれも今は亡き人。殿山泰司という人は顔を見ればなんだというほどによく知られた役者で、名脇役で知られる。

 この映画のいちばん大きな特徴は、登場人物の台詞が一切ないこと。つまりこの夫婦というか家族は、なにひとつ言葉を発しない。あるとき子どもが釣り上げた大物の魚に、なにやら喜びの声を発する親子の場面があったりはする。またあるとき子どもが病気になり、本土へ医者を呼びに行くも手遅れとなり、死なせてしまう。ここでも母親は悲しみの声を発するのだけれど、台詞としては何もない。このあたり、非常に実験的なのだけれど、そんな状況がかえって現実的でもあり、自然でもある。

 その翌日も舟で水をはこび、いつものように畑に水をやり続ける。母親は桶を投げ出し、泣き崩れる。それを無言で見つめ、父親は黙々と作物に水をやり続けるのだった。ただそれが自分たちに課せられた前世の因縁ででもあるかのごとく。そして母親も気を取り直すでもなく、起き上がり、水をやり続けるのだった。

 夏のきびしい暑さの中、撒くたびに水はしみ込むより先に乾いてしまう。こんなことしていて、一体なんになるのだろうと、この映画を観るすべてのものが思うにちがいない。

 よくよくぼくたちの毎日の生活を考えてみる。「絶対そんなじゃない」と思っていても、ひょっとしたらぼくたちも『裸の島』の夫婦のような生活をしていないだろうか。

 自分の思うような仕事というか、生活を貫いているつもりが、その結果としてひとつが済めばさらに次といった具合の、借金の返済という延々の繰り返しだったりして。あるいは自らの楽しみ、趣味のつもりが、やっぱりこれも創造性のない惰性の繰り返しであったりする。

 人生とは、その過程で出会うよろこびや悲しみという変化に富んだ大きな感情の波と、生きるという気の遠くなるような生活のくりかえしで成り立っているのかもしれない。一見惰性のように見えるぼくたちの生活だけれど、やっぱりよくよく見れば、なんて波乱万丈な、めくるめく感動的な人生なのだろう。

「日本語メニュウ」HPより
http://www.sadanari.com/eiga980705_14.html


415 愛聴盤
05/09/01

 ロック音楽がすきで聴いていると、ファンならだれもが認めるであろう名盤というのがある。名盤というのは、音楽的に優れていなくてはいけない。さらに歴史的にも意義のあるもの。そういう名盤といえるアルバムなぞ、そんなやたらにあるものではないけれど、当時の発売枚数もけっこうあったり、また最近になってCDというかたちでデジタルへの焼きなおしもありで、聴きたければいつでもその機会はあるというもの。

 しかしながら、たしかに内容はすばらしいのだけれど、マニアにしか知名度がないアーティストのものであったり。運悪くまた悪い意味でタイムリーにレコード会社がつぶれてしまった、とかなんとかいう理由で再発売もされなかったり。とにかく一般に知られることもなく、いつの間にか『廃盤』になってしまったり。

 世の中には、かくれた名盤があまたある。そして人にはあまり言わないけれど、その人の個人的な愛聴盤というのもあったりする。そしてぼくにもやはり、何枚かの愛聴盤というのがある。

 足代わりに乗っている軽四のカセットプレーヤーが長年の酷使の挙句、ご臨終ということになったため、今度は手軽なMDプレーヤーにすげ替えた。ただし、こんなふうに手軽に車の中で愛聴盤を聴こうと思うと、アナログレコード盤というのはまったく不便なもの。だからCDかMDでということになるのだけれど、なかなかレコード盤からコピーするのはたいへんなこと。レコードでももっているけれど、手軽なCDでも持っていたい、ということになりCDショップやインターネットで探したりする。なのに愛聴盤というのは名盤とはちょっとニュアンスがちがうため、そんなに安易にCD化というわけにもゆかない。売れる、という保障がまったくないからそれも仕方ない。

 それでもマニアの熱い要望があってか、あるいは出版会社の担当者本人の独断なのか、時としてひょっこりCD化ということがあったりする。そういう機会を逃さないためにも、ときどきはわすれずに、要所の店とかネットのサイトの巡回は欠かせない。

 つい最近ネットで探していたら、CD化されたぼくの愛聴盤に出会うことができたのだった。CDといっても中古盤なので値段も安く、家計にはなんら痛くもかゆくもないというもの(枚数が重なるのがよくない)。とはいえ、CDの通販というのは宅配便の配達員氏を介するため、連合いの目にもつきやすい。先回は半月も前だったはずなのに「またか、まったく」というニュアンスが含められた、「なんか届いたよっ!?」の連合いのすてぜりふ。この一言がなかったら、なんと晴れ晴れとして、しあわせなひとときなのでしょう。

 考えてみると、かつてぼくがもっと熱いマニアだったころ、外国から通販で届いたレコード盤の支払いに、うれしいやら悲しいやらの日々も。そのために自分の手元のレコード棚から、泣く泣く現金化のための品選びまでしたことも(売り飛ばしてしまったレコードのCDを今になって、また買ってしまったりして)。それでもぼくのレコード棚で生き残った『愛聴盤』。またCDでも聴けるよろこび。しあわせなひととき。

1979 ドイツ


416 カトリーナ
05/09/07


 昨年に引きつづき、今年も大きな台風襲来。今回の14号台風、国際的につけられた名前は『ナービー』というらしい。台風に関連する14カ国がそれぞれ10種類の名前を用意し、順番に140個並べておく。台風が発生するたびに、その順序どおりにあらかじめ用意されている名前をつけてゆくというもの。一年で約30個の台風が発生するため、約5年で台風の名前は一巡するという計算。

 韓国にちなんだ『ナービー』という名は『蝶』という意味で、順番では137番目の名前。150番目はベトナムで『サオラー(新種の牛のなかま)』とのこと。ちなみに1番はカンボジアで『ダムレイ(象)』。

 アメリカ大陸版台風といえばハリケーン。北西太平洋でシーズンに発生する順に男と女の名前が交互につけられている(これもあらかじめ用意されている)とのこと。ちなみに『カトリーヌ』は今年11番目。日本でも台風の規模は昨年に引きつづき今年もかなり大きいようだ。被害も大きい。

 地球の温暖化傾向によって、この100年で平均気温は確実に1℃以上高くなっているし、海水温についても同様。このような気象の変動は地球の歴史の中では、今までありえなかったほど急激なもの。15万年前の約5℃の気温上昇のためにかかった時間は2万年といわれている。まさにこの急激な温暖化はどの程度の気温上昇で落ち着くのだろう。温度変化が急激なら、気象の変動も急激なのかもしれない。米国のハリケーンもそうかもしれないけれど、世界の国々で異常気象は確実に多発している。台風・大雨、干ばつ・砂漠化、熱波、寒波など。

 農業生産に関係しているものにはあきらかに思いつく節もあろうけれど、かつてのご当地での適地適作があてはまらなくなってきてしまったり、新しい害虫の出現などなど。はたして将来、取り返しはつくのだろうか。

 大気中の温室効果ガスの濃度を安定化することを目標とした『気象変動枠組条約』。そしてそれを達成するために先進国などに温室効果ガスを削減することを義務づけた『京都議定書』というのがある。中国、ロシアまでが締結しているにもかかわらず、全世界の温室効果ガスの40%を吐き出しているといわれる米国の参加はいまだにない。もっとも積極的に取り組まなければならない国がこれでは、まったくお話にならない。

 子どもたちに環境について言って聞かせようとするとき、それを語る本人が環境問題を無視しているとはまったく言語道断。さらに環境破壊の極めつけともいうべき、戦争までして化石燃料を手中に収めようとしている。経済大国だか農業大国だか知らないけれど、バイテクだ、遺伝子組み換えだと、さも有効と言わんばかりのアグリビジネスをてこに世界制覇を計りさえしている。

 カトリーヌはそんな米国に警鐘でも鳴らすべく、神から送られたテロリストなのだろうか。それにしてもなぜ、ここでも貧しく、差別を受けている人々を標的にしなければならないのだろう。自由の国米国。平等の国米国。差別をしない自由もあるなら、差別をする自由だってある。さらに環境を破壊する自由だってあるということか。

 テレビニュースで、水害を受けた被災地での日本の救助隊員は双眼鏡を携えてボートに乗っていた。米国のハリケーン被災地では、救助隊員はその代わりにいつでも使えるよう小銃を持って救助活動をしていた。この違いには、どうしようもなく大きな隔たりがあるような気がする。


417 漬物の奥
05/09/19



 ある県で村おこしのための奈良漬づくりをしてみえる方から、どうもわからないことがある。というので、相談を受けた。その相談というのは、今年の奈良漬がいつもと違うという。まずはそのちがいの具体的なところを、電話を通して伝えていただくのにちょっと苦労するところ。

 つまり、例年の奈良漬はもとの瓜のかたちを保ち『張り』があるのだけれど、今年はしわが多すぎて縮んでしまった。わけがわからず、今後が心配だとのこと。もちろん青うりの作付けから肥料、収穫、漬け込み、原料、漬け込みの方法など、例年と変わるところはないとのこと。この話を聞いてぼくもはたと困ってしまったのだった。

 ただしちがうところがひとつだけある。今年は奈良漬の漬けてあるタルを保管するために、エアコンを使って部屋を18℃に冷房したとのこと。昨年の夏の暑さで奈良漬の一部がうまく漬からず、その売り先に困ってしまったという苦い経験があった。役場に大型冷蔵庫の導入をお願いしたものの、合併問題で揺れ動いていることもあり、財政困難ということもありで冷蔵庫はご破算になってしまった。仕方なく、エアコンを代用ということになったのだそうだ。とにかく例年とのちがいはただそこだけ。

 気温の違いが漬けあがりを左右する。これはぼくにも十分に納得のゆくことだけれど、今回のことについては、まったくわからない。「ちょっとの間、考えさせて」と、いったん電話を切らせていただいたのでした。

 「うーん」という半ばため息交じりで、ぼくの連合いと腕組みをすることしばし。そういえば道長でもかなり以前、しわの少ない、『張り』のある奈良漬を作ったことがあった。当時はまだ漬物業をはじめて間もないころ。満足な冷蔵庫もなかったため、常温で奈良漬を漬けていた。だから失敗も多く、そっくり一タル埋葬することもあって、けっこう大きな犠牲も払ったもの。

 その後必要に駆られ、冷蔵庫はさらに大きなもの、そしてさらに大きなものに出世していったのだった。あいかわらず失敗は経験したけれど、冷蔵庫という利器のおかげでこのへたくそ職人は、なんとかその素人ぶりをカバーしてきたというのが、道長の歴史なのかもしれない。

 けれど、よくよく考えてみれば、冷蔵庫には利点ばかりがあるわけでもない。例えば酒造り、酢造り、みそ、しょうゆなど、おおよそ日本の発酵食品とは、基本的に四季のめぐり、あるがままの自然につれて造られている。醸造期間を短縮するために加温したり、またその反対をする大手醸造会社もあるけれど。

 自然のままのよさというのが確実にあるのだろう。それでむかしはよかったのだけれど、それでは塩分や糖分が多すぎる。手間がかかりすぎる。製品にばらつきがでる。などの理由で製法も様変わりしてきている。科学技術のおかげなのだけれど、それにより捨て去られることのいかに多いことか。ぼくたちはその点をしっかりと肝に銘じておかなくてはいけないとつくづく思う。発酵食品の奥の深さに、あらためて感服。

以前訪問した折、宮川村の奈良漬作業所の前で深々とあいさつするぼくの連合い(教えて差し上げるどころか、あちらは人生の先輩なのですから)

418 キッズリターン
05/09/21


 くそおもしろくもない三流高校を、ふつうなら当然退学させられてそうなふたりのキッズ(マサルとシンジ)の青春グラフィティー。仕事をするでもなし、ただのたくるばかりの生活にはほとほと飽き飽き。内発的エネルギーとかいうやつも、なかば臨界前という感じ。むらむらする日々のふたり。

 米国映画では『American Graffiti』、日本では『青春デンデケデケデケ』というような映画があるけれど、北野たけしのこの映画もやはり、その原動力は今も青年の彼自身の内発的エネルギーによるものなのかもしれない。

 だれにでも青春時代というのがあり、そのころのことを思い出すとなんとも恥ずかしくなってしまうというか、落語の一節で言えば『後悔を先にたたせてあとからみれば、杖をついたり転んだり』というのがあるけれど、なんとも愚かしくも、ばかばかしくも、それでいてくすぐったいような、胸が苦しくなるような、複雑な気分になってしまうもの。青春時代、あそこでああしていたらとか、こうしていたらなどとあとで思ったとしても、それでは今、自分がその時代にもどってやり直しができるとしたら・・・。けれどそれが可能だとしても、そうしようと思う大人はたぶんいないだろうと思う。

 これは自分自身の『あのころ』を思い起こしてみてもわかってしまうようなものなのだけれど、あのときああしていたとしても、きっとまたそのすぐ後で、やっぱりおろかなことのくりかえしをするんだろうなと納得してしまうというもの。だからもう、あのころにもどりたいとは思わない。

 どんな若者でも、少年でも、その一過のうちで、きっと何かで輝くときがある。ぼくも4人の子供の親として、彼らの成長過程で、ひょっとするとこの子は・・なぞと思ったこともある。だれにでも、その才能というか性格のどこかに、たぐいまれな、飛びぬけた能力を持っているもの。ただし、それがやっぱり天性でおのずと天才の方向に進んでゆくなんていうのは極まれなことで、結局はなにかの思い込みや『つもり』、はたまた『なりゆき』がその人の人生を決めていってしまうことがほとんど。

 この映画で、兄貴分のほうのマサルがボクシングに挫折してヤクザに進み、シンジは天性なのか、ボクシングに進む。ふたりともかなりいいところまで行きかけるのだけれど、そうは問屋が卸さない。その世界の頂点に近いところまでのぼるには、どこかなにかが足らないのかもしれない。

 けれども、ここで話しが終わってしまってはいけない。人間若いから、何度もやり直しができる、年をとったらそんなわけにはいかない、というものではない。人間も年をくりかえしてきたからといって、多少間違いが少なくなった程度。あいかわらず『杖をついたり転んだり』の連続。キッズリターン。ガキがふたたび生き返る。

 何度しくじったっていいじゃないか。むっくりとまたはじめりゃいいじゃないか。「おれたち、もう終わっちゃったのかなあ」とシンジ。「バカ、まだはじまってもいないよ」とマサル。

 ぼくの大好きな映画です。


419 阿弥陀堂だより
05/09/27


 すぐ北は新潟県という長野県飯山市の谷中(やなか)村というところ。山深く、四季の移ろいが美しく、冬は雪につつまれる心のふるさと。そこに一組の中年夫婦が帰ってくる。都会で医療の最先端にいながら、『死』と対面することに心の底から疲れ果て、精神に痛手を負ってしまった妻美智子。それをやさしく見守る夫孝夫は10年前新人賞をとりながら、それからさっぱり筆の進まない小説家。美智子はその村の診療所を受持つ。

 千曲川を一望する里山にぽつんと阿弥陀如来を祭る小さな阿弥陀堂がある。そこには先に逝った村のご先祖が祭ってあり、96歳になるおうめ婆さんが住んでいる。村の広報誌のコラム『阿弥陀堂だより』を担当する娘小百合がいる。彼女は喉の難病を抱え、声が出ない。孝夫の恩師の幸田先生は胃がんの末期。診察を拒み、自宅でみずからの死期をあるがままに待つ。そしてそれをやさしく、けれど寂しく、かなしく見守る妻。

 孝夫に支えられ、診療所を勤めるうち、山里の原風景の中で暮らすうち、子どもたちや人たちとふれあううち、美智子は心の痛手から癒されてゆくのだった。

 小百合の喉の肉腫の再発を確認。美智子は決心をし小百合を町の病院に移し、自らも主治医の若い内科医を補佐し、徹夜の治療をするのだった。都会ではたくさんの命を見取る日常を過ごしていたにもかかわらず、この町の病院でひとりの娘を救うために精魂を使ううち、人の命の尊さをあらためて自覚する。そして医師としての使命をとりもどしてゆく。または、自然に訪れる天命をおごそかにむかえ、みなに見守られあの世へ赴く幸田先生からは、人のいのちの厳粛さを知らされる。村の保育園の一角で週に三日、午前だけの診療が精一杯だった美智子なのだけれど、村の医療施設新設の計画を知らされ、その院長として人のための医療に向うことを決意するのだった。

 「朝には紅顔、夕べには白骨」という、阿弥陀如来の格言があるそうだけれど、今は元気な人のいのちにも、無常に死は訪れるもの。なのに人たちは、どうにも動かしようのない『天命』なのだけれど、みな、心を寄せあい、支えあい、子どもたちの無邪気さに、人のいのちの生き、死にに、おもいやりに、春夏秋冬の季節の移ろいに、花鳥風月、山水の美しさに心を動かし、涙する。そして生きるものたちは、生きるよろこびを、勇気を与えられる。

 『日本の心』というものがあるとしたら、この四季の明白な国で、美しい自然の中ではぐくまれるというか、冬から春へ、夏から秋へ、人から人へ受け継がれてゆくものなのかもしれない。この映画の中には、すばらしく美しい千曲川と北アルプスの山々の美しさが、何にも代えがたいものとしてちりばめられている。都会にもあり、里山にもある人々の生と死のいとなみ。この映画は、それは自然の中でこそ繰り返されるべきなのだと教えてくれる。

 キャスティングもすばらしく、孝夫に寺尾聡、美智子に樋口可南子、おうめ婆さんに北林谷栄・・。監督は『雨あがる』の小泉堯史(たかし)。原作は長野の佐久総合病院の内科医長・筆名南木佳士(なぎけいし)。このすばらしい映画は、長野の、日本の美しい自然があってして、その感動を何の抵抗もなく与えてくれます。

千曲川を一望する阿弥陀堂
『阿弥陀堂だより』公式HPより


420 John Lennon
05/10/05


 ジョン・レノンといえば、言わずと知れたビートルズの中心人物。1970年ビートルズを解散後、80年に凶弾に倒れるまでにすばらしいアルバムを残している。享年40歳。

 そのなかで『Rock'n'Roll』というアルバムを'75年に出しているのだけれど、はっきりいってすごくかっこいい。このアルバムに収められている曲に彼のオリジナルは一曲もなく、すべてがスタンダードばかりで、いわば彼の音楽のルーツ。製作期間はたったの10日間といわれるだけあって、録音の状態は決していいものとはいえないけれど、あのプレスリーも目じゃないほどかっこいいロックンローラーぶりを発揮している。

 中でもなんといってもしびれるのが『Stand by Me』。この曲はソウルシンガー、ベン・E・キングの名曲で多くのミュージシャンにカバーされている。ジョンはこの曲を純粋にロックンロールのリズムで決めている。

 もともとこの曲の歌詞はどういうものかというと、「たとえ天地がひっくり返ろうと、君がぼくの傍らにいてくれるなら、ぼくはちっとも怖くない。泣きもしない。だからダーリン、ぼくの傍らにいておくれ」といったもの。ベン・E・キングもその他の多くの歌い手も、この曲はどちらかといえば、ちょっと小躍りをしながら、うれしげに歌い上げている場合が多い。それなのにジョンの Stand by Me はなんとなくちょっと悲痛というか、あまり楽しげでもない、むしろさみしげという感じ。

 記録によると、このアルバムをやっつけているころ、彼は小野洋子に突っぱねられ、一人淋しくニューヨークで暮らしていたとのこと。やはり気持ちは曲に出るものなのだなと納得。さらにこのアルバムを出して後、ヨーコとの生活再開、4年間を育児のため?家にこもってしまう。そして80年の12月、ヨーコとのあらたな音楽活動に向うための充実したクリスマスアルバム『Double Fantasy』を出した直後、殺されてしまう。

 ぼくはその年のクリスマス、久々のジョンの歌声がうれしくてこのアルバムを手に入れたのだった。だから彼の死は大きなショックだったし、おそらくロック音楽界というかその歴史において、もっとも重要な人物を失ったのだという無念でいっぱいだった。

 「いまさら」ということもあり、ジョンのレコードなぞこの『Rock‘n’Roll』しか持っていないし、聞く必要もないと思っていたのだけれど・・。最近、わがむすこが『ジョンの魂』というアルバムをCDで買ってきた。そして貸してもらって聞いてしまったのだった。かれはその中で「ぼくはこの世の何もかも、ビートルズもきらいだ。ただ自分とヨーコだけを信じる。夢は終わった。さあはじめよう」と過去と決別する歌を歌っている。

 ちょうど昼ごはんを食べていたとき、この曲がかかってしまった。ぼくはたまらなくなり、目頭が熱くなってしまったのだった。「いったいどうしたのか」と無粋(ぶすい)にもぼくの連合い。いえいえ、たかがポップな一曲に心を奪われ、胸がいっぱいになっただけ。ちょっと恥ずかしかった。
Stand by Meはこちらでどうぞ