471 特定外来生物
06/11/16

 『特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律』、略して(特定)外来生物法という環境に関する法律がある。これは人の生活や自然環境を脅かすおそれのある、本来日本には生息していない生物を指定し、その生物の拡散や増殖を防ぐことを目的としている。代表的な特定外来生物に、ブラックバス、カミツキガメ、アライグマなど。植物では水田の抑草対策にも使われる、外来のアゾラ(オオアカウキクサ)なども。

 最近道長の新作業所でもこの特定外来種の襲撃を受けたのだった。夜半になにやら愛犬キクのわけのわからないような鳴き声。朝になって気付いてみるとなんと犬小屋の真上の柿の木に、なにやらタヌキのような動物(しかもたぶんペアーで)発見。夜が明けて犬が下にいるし、降りられなくなってしまったのか枝につかまって動かない。そのまま一日が過ぎ、夜になり(愛犬キクをよそへ除けておいた)、さらに夜半になってやっとどこかへ退散。タヌキにしては派手な風貌なので、しらべてみると案の定『アライグマ』でした。

 やれやれもう二度とやって来ないだろうと安心していると、なんと二三日してまたもや同じパターンでアライグマ到来。先日懲りたはずなのにいったいこれはどういうわけなのでしょう。夜目に観ているとなにやら柿木の上で移動しながらの作業中の模様。なんと平気で柿の実を食い荒らしているのだった。

 どうやらアライグマ夫婦、犬が怖かったのではなく、まばゆい日光と人への警戒から樹上でのとう留という羽目になっていただけの様子。まったくふてぶてしいとしか言いようがなく、第一印象の『可愛げ』とは裏腹に、二回目の再来では腹も立ち、奴らの登っている柿の木を思いっきり蹴飛ばしてやったのだった。まったくバカにしやがって。

 そういえば以前、夜釣りに行った漁港で、逃げもせず残飯をあさるアライグマを見かけたことがありました。

 外来の生物が害があるとして特定されるころには、大体がもう取り返しのつかない状況に陥ってからのこと。今、遺伝子組み換えナタネが巷(ちまた)に姿を現し始めている。雑草性の高いセイヨウナタネのうち、組み換えナタネがどんな影響を及ぼすかはまったくの未知数。いろんな影響が考えられるなか、アライグマのように笑ってはいられない。

これは立派な害獣です


472 有農研全国大会
06/11/26


 日本有機農業研究会は1971年一楽照雄氏らにより創立された。有機農業運動を進める上で、生産者と消費者が有機的な関係のもと提携しあうことの必要性を提言し、指針とした。以来、現在まで受けつがれてきた。その会員が全国から一堂に会する催しとして『全国大会』が行なわれ、来年の冬で代35回をむかえる。それが来年2007年、愛知県豊橋市で行なわれることになっている。

 愛知県といえば地理的にも気候的にも農業に適しているといえるところ。ところがその反面、有機農業ということになると以外にその影が薄いという点を否定できない。これは商業栽培を目的にした農業が成り立つという理由からだろうか、どうしても手間のかかる有機という方法で農業をする農家が少ない。

 また有機をめざして新規就農を目指すという若者も、決して多いとはいえない。そんな状況の中、都市近郊型農業の愛知県でもそうだけれど、農家の担い手に対する高齢化の波が容赦なく押し寄せてきている。

 来年3月に豊橋で予定される日有研全国大会に向けて、ぼくも微力ながら応援をしようというわけで、その実行委員会に参加させていただいている。全国から訪れる方たちを迎え入れ、有意義な一泊二日間を過ごしていただくための下準備はなかなかたいへんといったところ。

 今このような大きな会で、いったいぼくらは何をしたらよいのだろう。『産消提携』を合言葉に、生産者と消費者のきずなを築くべく、アッピールをすべきなのか。はたまた日本の農業政策に物申すべきなのか。でもしかし、よく考えてみればそれも大事なことかもしれないけれど、もっと足元から見直さなければならないことがあるのではないかしら。

 それは何かといえば、ここに集まる有機農業者自身が、もっとがんばらなくてはいけないということなのではないだろうか。せっかく築き上げてきた有機の足跡があるとすれば、それを受けつぐべく後継者に向けて、大きな希望を示してやらなくてはいけない。

 『有機』とはなんだろう。それは農業のいちばん基本的なかたち。人類の歴史の中で、仮にそれが5千年の長きにわたるとするならば、おそらくその99%以上をわれわれの先達たちは有機というかたちで農業をしてきたにちがいない。『慣行』とよばれる異質な農業は、その歴史の中のほんの僅かな部分でしかないのではないだろうか。要するに『慣れ行なわれる』どころか、現代の農業はまさに何かに逆行している。

 今、地球環境が文明という自然の摂理に反する人類の行為に対し、じつは『有機』こそが『規範』なのだと正々堂々とその存在意義をアッピールしなければならないまさにそのときなのではないだろうか。

 地球温暖化という人類の危機に際し、世界は『有機』への回帰に賭けなければならない時代にさしかかっているのだから。

日本有機農業研究会の機関紙『土と健康』


473 性根(しょうね)は変わるのか
06/12/06


 人の性格はそれこそ十人十色、百人百様というけれど、まさに一人一人ちがう。またひとにはそれぞれ性根(しょうね)というのがあり『三つ子の魂百まで』などといわれるように、死ぬまで変わらないとまでいわれている。ぼく自身いやあなたの性格についてもそうなのだろうか、どうなのだろうか。

 人は人生の一大事、なにかのきっかけを経るにつれ、観念してしまうというかギャフン、「参った」、はたまた改心、気持ち晴れ晴れ「実はわたしはこうでなければいけなかったのだ」「そうだったんだ」などと『何か』が変わるということがある。ぼくもいろいろな出来事、人との出会いなどで自分自身の内なる転機を経験している(つもり)。「ぼくはあの時生まれ変わった」なんちゃって。

 始末に悪いことに、たまに顔をあわせる知り合いなどから無責任にも「変わった」なぞと言われて悦に入りいい気になっていてはいけない。あにはからんや、むしろ当然。なんと身内(とりわけ連合いをはじめとする家族)からは「かえって輪がかかった」「手がつけられない」「勝手にしろ」というような、ため息まじりのあきらめムード。はっきり言って本人はいいかもしれないけれど、端ではたまったものではなかったりする。たぶんこんな場合、その人の身辺に快方の兆しはちょっと望めないのかもしれない。うーん。

 ではどういうのがほんとの意味で変わってよかったということになるのだろう。それにはどうもひとつのきざしが必要なのかもしれない。それはその人をとりまく身内もその人に連れて変わるということ。はっきりいってとってもいいムード。こうなるとその人の身辺は、相乗効果であれよあれよという間によくなっていったりするもの。
 それにひきかえ実はその人、変わったどころかむしろ輪がかかっただけという場合、状況は進展にも快方にも向かわずむしろ悪化にむかってしまう。そこにいるのはただの頑固親父、ひねくれもの、天の邪鬼。もしかしてそれってぼくのこと?それはあまりにみっともなく、絶対にありえません。

 やっぱりあたりまえのことだけれど、誰かのおかげ、なにかのきっかけで「変わることができた。ありがたい」という気持ちがわいてこなければいけない。その気持ちがふつふつとわいてきて、その上でこんどは自分がしてもらったことを何かに向けて『お返し』をしたいと思うようになる。これこそが実は本物なのかもしれない。でもやっぱりむつかしいところ。

 勝手にその本人、変わったのだという実はさびしくも錯覚であったり、はたまた『お返し』の真心もわくことがなかったりするならば、身内のだれも連れ添ってはくれないというさびしい結果にも。その人の周りがみんな幸せに向ってはじめて、なにかが変わったといえるのではないかしら。でも以外にその辺、表裏一体、調子に乗ると実も蓋もなし。過ぎたるはおよばざるが如し。うーん。気をつけなくてはいけません。


474 「アインシュタイン150の言葉」より
06/12/06


『アインシュタイン150の言葉』(ディスカヴァー21)から抜粋しました。
わたしには、特殊な才能はありません。ただ、熱狂的な好奇心があるだけです。
わたしは、自然について少し理解していますが、人間については殆どまったく理解していません
無限なものはふたつあります。宇宙と人間の愚かさ。前者については断言できませんが。
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。
異性に心を奪われることは大きな喜びであり、必要不可欠なことです。しかし、それが人生の中心事になってはいけません。もしそうなったら、人は道を見失ってしまうことでしょう。
どうして自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要なときに攻めてくれるんだから、いいじゃないですか。
わたしは先のことなど考えたことがありません。すぐに来てしまうのですから。
われわれが進もうとしている道が正しいかどうかを、神は前もって教えてはくれない。
いかなる問題も、それを作り出した同じ意識によって解決することはできない。
人間の真の価値は、おもに自己からの開放の度合いによってきまる。
驚異というべきは、この地球上のわたしたちが生きる環境です。
大切なのは、疑問をもち続けること。
思考とは、それ自体が目的である。音楽もそうです。
熱いストーブに1分間手を載せてみてください。まるで1時間ぐらいに感じられるでしょう。ところがかわいい女の子といっしょに1時間座っていても、1分くらいにしか感じられません。それが相対性というものです。
結果というものにたどり着けるのは、偏執狂だけである。
私たちはいつか、今よりは少しはものごとを知っているようになるかもしれない。しかし、自然の真の本質を知ることは永遠にないだろう。
何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない。
想像力は知識よりも大切だ。知識には限界がある。想像力は世界を包み込む。
創造的な表現をすることと知識を得ることに喜びを感じさせることが、教師にとって最高の技術です。
国家は、現代に於ける偶像となっています。その催眠術をのがれることのできる人はほとんどいません。
すべての人は、目に見えない笛吹きの曲に合わせて踊っている。
人間の邪悪な心を変えるより、プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい。
いいジョークは何度も言わない方がいい。

いつもユーモアをわすれなかったというアインシュタイン。死後、そのネタ帳まで見つかっているそうです。いつも遊び心を忘れることなく、茶目っ気あふれる人。

あるいはあらゆる理論にしろ、最も短い言葉で表現をする、簡潔に何かを表現して見せるという技は、数学や物理学には不可欠な言語能力なのかもしれません。

考えてみると、数式ほど無駄がなく、説得力のある言語は他にないでしょう。それは音楽と共通するような気がします。直接人を納得させることのできる言語とは理屈ではなく、ただそこに述べられる真実だけ。それはそのまま人の心に感動をもって直接受け入れられるのです。通常わたしたちが使っている言語では伝達することがむつかしいことがらを表現する言語として、数式や音符もまたあるのです。
アインシュタインを垣間見ることもできます


475 欅(ケヤキ)の看板
06/12/16


 宮崎県東諸県郡国富町に住むわが友から大きな荷物が到来。以前から彼が新築したら送ってやると言っていたので「とうとう来たか」とはやる気持ちをおさえて宅配便氏の送り状にサイン。

 ナイロンシートの下に緩衝材のぷっちんシート、さらに大切に毛布(家で使ってるのよりいい!)でくるまれていたのは、磨きこまれたケヤキの無垢材に書き込まれた『漬物本舗 道長』の文字。包みを開けたぼくは思わず「うわーっ、すごい」とむすこを促したのだった。

 前々の電話でわが友いわく、「ウレタン塗装をしてあるから雨ざらしでも平気」とのこと。せっかくだからよく目立つ新作業所の入り口の壁に取り付けようと思っていたのだけれど、いざ立派な看板と対面してみるととてももったいなく、考え抜いた挙句作業所の事務机の真後ろのぼくのいちばん目に付く場所に大切に掲げることにしたのだった。でもでも室内とはいえども、外来のお客様にも目立つ場所。

 15キロはあろうという重さなので、壁に取り付けるのも一苦労。しかもその壁、金属製の冷蔵庫の外壁ということもあり、親子三人で取付工事難攻。ホームセンターで買ってきたあれこれのネジをとっかえ引き換え、やっとのことでガッチリと取付完。まったく一汗かいて一苦労。まさか看板と格闘になろうとは思いも寄らなかったけれど、あらためて三人三様の灌漑にふけるのだった。

 あれはぼくらが23歳かそこらのころ。入社式を前に無謀にも結婚。学生気分でお金もなく、ライトバンで新婚旅行。伊豆を周って埼玉の(当時彼は電気工事夫をしていた)アパートを訪問。二泊もしてしまったのだった。これはかなワンとばかり二泊目の夜、とうとう彼は知り合いのところへ宿を借りに退散。それをまんまと促してしまったのだから、まったくあきれた新婚夫婦。

 そんなわが友、しばらくして意中の女性とめでたく結ばれたのだった。なんと神宮外苑の一角『明治記念館』での挙式。今に思えばなんとわが友、張り込んだもの。普段はつましくとも蓄えて、ここぞというところでかっこいいところを見せ付ける。ふだん浪費家で、いざという時にかっこ悪いぼくとちょっとちがう。

 ぼくらの作業所新築はかっこいいものでもなんでもなく、計画の見直しに見直しを重ねた挙句のものだけれど、それでも目いっぱい背伸びをしてできあがった代物。

 そんな力みの入った道長新作業所に、これもまたけっこう力みの入ったわが友のケヤキの看板。その看板を背に事務をするぼくは、今後常にわが友を自分の背後に感じ続けるのかもしれない。「おいおまえ、また何かおかしなことを考えて、本業を上の空にしてるんじゃないだろうな。いい加減にしとけよ」なんて、よくよく考えてみたら、もったいなくてこんなところに取り付けたけれど、これはかえってなにか背後霊にでも取り憑かれでもしたような感じ。おっと後からなんとなく威圧感。はーい、がんばります。



476 鹿除けの網
06/12/21

 道長ではここ音羽町で農家として仕事をしてゆくため、一昨年財布をはたいて畑を購入。手始めに梅の木を植えたもののなぜか成長不良。おかしいと思っていたらシカのしわざ。というわけでしばらくしてシカ除けのネット設営。その後愛犬キクの散歩のたび梅畑の様子を見に行くのだけれど、ときどき網の一部が破れていて、そのたび破れ目を繕いなおしていたのだった。

 音羽米の鈴木さんから、ネットに角を絡ませてそのまま死んでしまったシカの話を聞くことがある。うちのシカ除けネットでも同じことが起こらなければいいのにと、ネットが破られているのを見つけるたびふと思うのだった。

 ところがそんな心配とうとう的中。先週木曜の朝、道長の隣家のご主人からたいへんな知らせを受けてしまったのだった。シカが網に絡んで暴れているとのこと。とたんに複雑な心境にさいなまれてしまった根っからの平和主義者のぼくとわがむすこ(というよりは単なる弱虫)。つのる不安に隣家のご主人(警察官)に同行依頼。するとなんと彼、さりげなく木刀持参。「この木刀のヒビはイノシシをたたいたときの」と指を指し示す。「ひぇー」。なんとそのまたお父上、下草刈り用の大鎌持参。「うへー許してぇー。たのむからやめてね」と拝みを入れるぼくに、「なんの防衛手段じゃ」。

 わが梅畑についてみると案の定、これまたたいへん。角に網を絡ませて暴れまわる雄シカ。これはいったいどうしたものか、まったく手のつけようがないのだった。もうたいへんキケンで近づけません。それでなくても死にもの狂いなのに、おそろしや人間まで来襲で半狂乱の雄シカ、そのうち変なふうに飛んだかと思ったら突っ張った網でドタッと落下転倒。

 シカの解体は免許がいるからワシでは出来ん。役場にでも知らせろと促され、作業所まで戻り処理依頼。やれやれと現場に戻っていってみると、なんと雄シカはすでに絶命してしまっているのだった。ショック死かもしれないし、打ち所が悪かったのかもしれない。とにかくあっけなくも、しかしながら壮絶な雄シカの最後ではあったのだった。

 シカやイノシシの出没であちらにもこちらにも足跡とフンだらけの道長の畑とその界隈。今回のようなことが現実になってみて、ここは自然との狭間なのかとあらためて思い知ってしまうのだった。

 生半可(なまはんか)に防護の網を張っただけのぼく。それに反して自然界の動物は、それこそ生きるか死ぬかの瀬戸際でこの梅畑の辺りを空腹を満たさんと歩き回っている。シカの住むであろうこの山は東名高速道路で分断され、工場が建設されてしまっている。

 今や害獣の烙印を押されてしまっている野生動物の死はいったいだれの罪なのかと考えてしまう。


477 琵琶湖周航の歌
06/12/31


 そのメロディーの美しさ、朗々とした詞の魅力から、親しまれている曲『琵琶湖就航の歌』。これは現京都大学のボート部の歌として1919年にその部員小口太郎により作られたとされていたそうだ。毎学年末の恒例として行なわれていた大津三保ヶ崎を起点とするボートによる琵琶湖一周の旅を歌ったもの。ぼくなぞも、琵琶湖就航とはいったい何なのだろうとずっと思っていた。今頃になってやっと納得したという次第。

 この曲、つい最近になって作曲者は吉田千秋という人によるもので、『ヒツジグサ(睡蓮の一種)』という曲名で1915年に発表されたものだと判明したとのこと。そしてその曲には当時紹介されていた英国の詞『Water Lilies』の邦訳がつけられていたとのこと。なんとなくピンと来ないはなしなのだけれど、それではどうして『ヒツジグサ』に三高のボート部の詩が付けられたのだろう。

 滋賀県高島市のHPに当時小口太郎が琵琶湖巡りの途中、友人に宛てたという手紙が掲載されている。その中に「未草の生えた池の中にボートをつないで・・」という行があるのに気づく。おそらく小口は当時発表されていた吉田千秋の『ヒツジグサ』を知っていて、そのメロディーに琵琶湖巡りの詞を付けたのかもしれない。この詩、1番だけを見みると別れの詩のようでさびしげに思うけれど、後に続く6番まででは琵琶湖の豊かな風光が描かれていて、ボート部のメンバーもこの歌を歌いながら青春を謳歌したことだろう。

 ところで吉田千秋という人物だが、これほどに美しいメロディーを作るに足る才能を持っていたにもかかわらず、なんとたった24歳(この曲発表4年後)という若さで結核の病に倒れてしまったのだった。しかもこの『ヒツジグサ』が彼にとって処女作だったことはいかんともしがたく、まったくもって残念なこととしか言いようがない。もっと生き延びていたなら、たくさんの名曲を残したかもしれないのだから。

 そんな吉田千秋の『ヒツジグサ』の詞をあらためて観てみる。その詞は次のようなもの。『おぼろ月夜の月明かり/かすかに池の面(おも)に落ち/波間に浮かぶ数知らぬ/未草をぞ照らすなる』というもの。月夜の水面に浮かぶたくさんの睡蓮。それが照らされ揺れる様はなんとも言えず、この世のものとは思えない情景のように思えてしまう。

 千秋は『ヒツジグサ』を発表した折、すでに結核の病魔に冒されていた。しかもそれは死の宣告を得たも同じでまったく無念であったにちがいない。すでに死を覚悟していた彼は、天国の情景にも似た睡蓮の咲く様をイメージしたのではなかろうか。そしてそのメロディーにその思いを載せた。しかもまるで鎮魂歌のごとく静かに揺れる未草の花。

 青春を謳歌した小口太郎も26歳の若さでみずからの命を絶っている。もしかすると彼も忌の際で琵琶湖就航の折、あの入江で揺れていた未草が思い起こされたのかもしれない。そのとき歌ったのは吉田の『ヒツジグサ』だったのではなかろうか。なんとなく『生と死』の機微というか光と影を思わざるを得ない。
6番に西国十番とありますが、本来は三十一番。語呂が合わなかったため十になってしまった


478 引越し
07/01/16


 昨年11月、ぼくたちは待望の新作業所に仕事を移すことができ、めでたしめでたし。と、そうはかんたんに問屋が卸さないのが浮世の常。大切な物品は当のむかしに新作業所にピストン輸送したのだけれど、あまり使わないもの、とりあえず捨てずにとってあるもの、さらにはただもったいない、はたまたさらにはとりあえずとっておけ、いやいやこれでもかで捨てるのが面倒だというようなガラクタ類にいたるものまで、まだまだかつての道長作業所には残されているのでした。

 いつまでも放っておけないというので、仕事にちょっと余裕がでてきた今日この頃、やっつけ仕事で道長の引越し第二弾。いずれにしても引越し作業というのは、段取りさえつけたらあとは一気にたたみ込むのが肝要。でないとこの手の作業はいつまでたっても収拾が付きません。

 というわけで先週は車庫に使っていたパイプハウスの引越し。かぶせてあるシルバーシートを外し、骨組みの鉄パイプを地面から引き抜かなければなりません。ところがこのパイプハウス、温室用の使い古しをもらってきての際利用。だから今となってはかなりのサビつき様。とにかくこれが抜けない。無理すればさび付いた根本で折れてしまいます。パイプの下穴あけ用の鉄杭を打ち込んでは穴を広げ、息子とふたり掛かりで抜くのだけれど、とうとう2本が使用不能。仕方なくスペアーにとってあった太さのちがうパイプ流用。今度はパイプとパイプの接合金具のサイズもちがってくるので、農協の営農センターへ直行・・。なぞととったり返したりするうち、薄暮のころにとうとう完了。半日仕事をして後の作業なのでよくできました。

 そして今週は事務所で使っていたコンテナハウスの移転。今度は物置として使用。もうすんでしまったからいいけれど、ちょっとあぶない引越し。トラックとフォークリフトを音羽米の鈴木さんのところから借りてきて『持ち上げる』『積み込む』『降ろして設置』という寸法。でもこれがえらくたいへん。こんな方法、プロだったら絶対やらないけれど、アマチュアなればこそ、ほかに選択肢もないから「やっちゃえ」という最終手段。しかもナンバー登録のないフォークリフトが、1キロ弱の道のりを一般公道を走っちゃう(事故は絶対起こさないという信念ひとすじ)。コンテナハウスをトラックから降ろして設置するのがまたたいへん。じつは自重のかなりあるフォークリフトは未舗装の場所は大の苦手。そのうえかさばって重いコンテナハウスを狭い場所にぴったり設置するのは、アマチュアのぼくたちにはまさに天井から目薬の難技。無理矢理という言葉が適当かどうか知らないけれど、とにかく事故もなく設置は完了したのだった。っと思ったら案の定、リフトが砕石でならしただけの地面をかき回した結果、とうとうはまってしまう始末。スコップで養生しながらやっとのことで苦境を脱出。真っ暗な夜道をライトで照らしながら、息子運転のリフトは鈴木邸に帰るべくひた走るのだった。よくやったものだと自分たちを褒めちぎるぼくたちでした。
コンテナハウス設置完了。でも素人技がみえみえ


479 流行り廃り
07/02/08


 きょうもまた引っ越しのつづきをしていたら、物置からなにやら電気剃刀のようなおかしなものが出てきた。なあんだこれは『電動毛玉取り』ではありませんか。最近ではこんなもの使う人なんぞめったにいないけれど、数年前にはどこの家庭でも買ったり何かの景品でもらったりで、ひとつやふたつ常備していたもの。ひと頃はこれを片手に、せっせと毛玉取りにはげんだもの。挙句の果てには「もうほかにないかしらん」と、もう着もしない服をおかしな場所から引きずり出してはジリジリ。

 この手の流行はほかにもあり、ぶら下がり健康器とか、マイナスイオンの出るという家電品。古くは頭にはめるだけでわが子の頭の血のめぐりがよくなるという永久磁石の仕込まれた『頭脳バンド』など。女性のファッション。スカートの長さ。これまたわけがわからないのだけれど、何の因果か長くなったり短くなったり。いずれもうまくできていて、それ以上短かくなったり長くなりすぎなかったりしないところがにくい。

 男の場合にだってある。クールビズだのウォームビズ。わざわざそのためのファッションまで買わされる始末。ほかにも流行はたくさんあり、自動車、色彩、言葉など。むしろ不思議なのは、なぜか流行はめったなことでは定着しないところ。もっとも流行にたいそうな理屈付けがあるわけでもなく、ただほかのみんながそうだからという動機だったりする。さらには、その流れが何かに操作されていたりするからたまらない。反対に明確な主義主張は邪魔になる。またそういう部分で動いていないからこそ、心のしっかりした人でも流行にながされたりもするもの。

 世界のながれとはなんだろう。人類はこの地球に生まれ、いろいろ経験しながら現代に至る。それはそれでいいのだけれど、肝心なのは流行とはたぶんその間ずっと繰り返されてきたことにちがいない。理由はといえば、まず人は社会的な動物なのだということかもしれない。常に他を意識するからこそ、それと自分とが同じか違うかの判断を繰り返すうち、流行はいつの間にか動き出していたり、はたまた仕掛けられたりして大きな流れになってゆく。

 でもやっぱりいちばん始末に悪いのが仕掛けられての流行。それもその原動力というのを何かの甘い誘惑でさそう。『富』のよろこび。またそれにともなう『消費』のよろこび。いずれをとっても碌なことはなくて、その意欲は常に他人をしのぐ、利用する、食うことの結果として満たされる。そんなながれが主流となって、いまや世界を一色に塗りつぶそうとしている。その向こうに見え隠れするものとは、決して明るいとはいえない未来であったりもする。

 これは流行とはいわないのかしら。いえいえやっぱり流行かもしれない。世界中の人々が、こんな流行りの現実に終止符を打ち、こんどは流行ではなく、世界の『ながれ』として目覚めたらいいとおもう。


480 忌野清志郎
07/02/10


 日本のロックはどちらかというとあまり聴かないのだけれど、とうとう買ってしまった忌野清志郎の最新CD『夢助』というの。清志郎といえば今までもぼくは好きだったけれど、はじめての購入。

 録音ははるばる米国テネシー州ナシュビルにて。プロデュースとギターに Steve Cropper とあり、古くはオーティス・レディングのバンドで、ちょっと新しくは映画『ブルースブラザース』に参加。米国の黒人音楽では大御所というべきミュージシャン。なんともシンプルで郷愁をさそうギター演奏がかっこいい。

 このCD、どの曲もロックンロールがかっこよく決まっていて、清志郎のすばらしいメロディーとそしてなんといっても歌詞が粋。洋楽ロックだと歌詞を聴かなくてすむ(そのほうが好都合だったりもする)けれど、邦楽ロックの場合、愚にもつかない歌詞が付いてまわったりして、かえって聴く気がしなかったりするもの。でも清志郎はちょっとちがう・・とぼくは思う。

 中でも一番気に入ってしまったのが『温故知新』という曲。まったくといっていいほど気の利いた歌詞。その内容をとやかく言っても仕方ないけれど、でもあえて。『古きを訪ね新しきを知る』となにやらおかしげな出だし。『古いとか新しいとかしゃらくさいこと』『古いとか新しいとか関係ない』『古いとか新しいとかたいした事じゃない』と繰り返しながらも、『古いギターはいい音がする』『とても古い愛だけど幸せだから』などという彼の本音がポロリと出る。そして『古い世界も知らないくせに、新しい事など何もできっこないさ』と来る。結局、古いものがいいということになってしまうところが憎い。S・クロッパーのギターソロも粋な古臭さをかもしている。

 忌野清志郎(1951年生まれ。ぼくといっしょ)といえば、中学生ですでに The Clover というバンド結成。のちに Remainders of The Clover(クローバーの残党)というバンド名に。さらに68年、その名に Succession(継続)を加え、ながったらしいバンド名として再結成。それが短縮してRCサクセッションとなったといわれている。今までに数え切れないアルバムを出しながら、ずっと黒人音楽とロックンロールの精神を忘れることなく、浮き沈みしながらも今日に至る。RCサクセッションは91年に終わってしまったけれど、それでも気が付いてみれば、清志郎は今でもとってもかっこいいロックンローラー。

 昨年は残念なことに初期喉頭がんで入院。くわしいことは知らないけれど手術はせずに退院。最近では非公式にあちこちのライブに出没して歌い慣らしをしているらしい。

 黒人音楽なんて日本の音楽じゃない。日本人は日本の音楽をすればいい、なぞと言う人がいるかもしれない。でも黒人音楽というのは決してアメリカの音楽なんかじゃない。これは人種差別に苦しみながらも、幸せになりたいという願いから生まれた『希望の音楽』なのであり、国境を越えた世界の音楽なのだ。

 それほどに黒人音楽はすばらしい力を持っている。そんな音楽にすべてをささげる彼のすがたに、まったく敬服してしまう。
最新CD『夢助』
忌野清志郎オフィシャルサイト